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#ファンタジー
96
僕は結局自宅に帰るタイミングを失い、ここにとどまり続けていた。
なんて嘘。美咲さんがいたからね。
誰もいない寂しい山の家に帰る気なんて起きなかったんだ。
人の会話と女性の温かい雰囲気。それに僕のアイドル美咲さん。
ところで「浩」さんはまだ姿を現さない。なんか手が届かない背中の真ん中を蚊に喰われたような気分のまま。
彼女は夜明け前から起きる。子供たちに朝食を作る。
残り少ないアルファ米。
そこに豆やトウモロコシを足す。工夫した味加減。それを笑顔で差し出す。
毎日、同じように。子供たちが笑う。そこだけ早く夜が明けるみたいだ。
ここでも、僕は朝のルーチンは欠かさないようにしていた。
一人、避難所の先の坂を降りた海岸まで歩く。
持ち手が使い込んで黒ずんだ木刀を取り出す。
呼吸を整える。東の空が鈍いアルミ鍋のような色に染まる。その下では、たぶんまだ混乱と略奪が続いているだろう。だが、少しずつ、変化は起きているに違いない。
構えを取る。
金窪流の立ち方。膝を少し曲げ、後ろ足に少し重心を多くかける。
呼吸を整える。目の前にはゲジゲジ眉の親父の幻。ゲリラだと?どうしてるんだろうな。
奴の崩しを予測して足を運ぶ。
一気に踏み込む。想像の親父は木刀の反りを使って僕の突きをずらす。そのまま懐へ打ち込んでくる。柄を下げる。足を回す。距離を取る。
鈍ったな。実際の親父ならそのまま腹を断ち切っているだろう。
もう一回。構えから始める。
「ねえ、あなたって、いったい何者なの?」
背後から声がした。
振り向くと、美咲さんが立っていた。
髪を後ろで結び、手にはまだ炊事場の手拭き。少しあきれたような、でもどこか楽しげな顔。
スカートの下から伸びるスリムで真っ白く伸びる足が朝日を柔らかく反射する。
「ク、クラスメートじゃん。でもね、実はさ、ちょっと家が古武道の伝承者なんだよ」
「ふーん。そうよね、高校生でコンピュータできる人は毎朝鍛錬はしないわ。それ、何の古武道なの」
「金窪流剣術ってやつなんだけどね」
「金窪……? あれ、どっかで聞いたことがあるような無いような……」
美咲さんは頭を捻っている。
「知らない方が普通だよ。表に出してないからね。なんでも、創設者は北条義時の手のものだったらしいよ。まあ、ずいぶん昔のやつさ。今じゃもう、絶滅危惧種みたいなもんだからな」
合点がいった、という顔をしている。
「そうか、だからね」
それからフフフと笑う。エクボが可愛い。
「じゃあ、あたしの家来ね」
「へ、なんだそれ」
僕はちょっと驚く。
「うちもね、ちょっとそういう家系なの。鎌倉に代々住んでてね、北条政子の流れを汲むって祖母がよく言ってたわ」
「うわ、遠い親戚かもしれないな」
「この辺りじゃあるあるね。それでね、うちには口伝の教えってのがあってね、子供の頃から、人を見る訓練とか、心の間合いとか、そういうの教わって育ったわ」
「そういえば、美咲さん……」
「さん付けはいいわよ。美咲って呼んで」
お、彼女の中で一段くらいが上がったぞ。
僕のグニョグニョの脳みそはさらに溶けた。
だけど彼女の家系の話に僕はちょっと胸騒ぎを覚えた。試験勉強でヤマが当たりまくったような複雑な気分がする。
「じゃ、美咲」
い、いやぁ、慣れない。でも嬉しいぞ
「そうよ、北条美咲よ」
「うん、学校で知ってたけどさ、まさかの北条とは知らなかった。本家なの?」
「いいや、傍流よ」
「へえ、それでもやばいな。うちのご先祖の主君だな。え、姫、それでも美咲って呼び捨てしても良いのでござるか?」
「何言ってるの、一千年も前の話でしょ」
彼女は呆れている。
「ふーん、それであのリーダーシップなんだね」
僕はうんうん、納得って拳を打った。
「やめてよ、そんな大げさに。私はただ、目の前の人が困ってたら、手を伸ばさずにいられないだけ」
言葉の奥に、何か痛みのようなものを感じた。
彼女は、誰かを救えなかったのかもしれない。その影が、目の奥の静かな光に見え隠れしていた。
昼過ぎ。
「おおい、大変だ」
徳本リーダーが走ってきた。
「どうしたんですか?」
美咲がこっちだよって手を上げる。
「隣町の食料倉庫が襲われている」
「え!」
隣町の避難所、そこの食糧倉庫から僕たちも結構な量を分けてもらってる。そこがやられているとなると死活問題だ。
「助けに行ける奴はいないか?」
リーダーは周りを見回した。具合の悪いことに昼過ぎで男手が少ない。
「行くわ」
美咲が立ち上がる。
やばいな、半グレとか大勢いたら大変だぞ。
でも美咲がもう歩き始めている。ここで知らんふりはできないぞ。
「お、おう、僕も行くよ」
こうして、徳本リーダーの運転する軽トラの荷台に僕と美咲、それに体格のいい若いやつ3人で隣町の倉庫に駆け付けた。
そこで見たものは、風態のよろしくないにいちゃん達がトラックにコメを積み込む姿だった。その周りをボランティアの女性達が遠巻きに見ている。
その前には顔を押さえた男性が何人かうずくまっていた。
「大丈夫ですか?」
リーダーは軽トラをその中に突っ込んだ。うわ、この人見た目より無鉄砲だ。
「徳本さん!」
顔を押さえて座り込んでいた男性の一人が顔を上げる。
「どうしたんですか?」
徳本さんが運転席から降りる。
「なんだ、お前は」
コメを積んでいたうちの一人が絡んできた。
20代初めくらい、ロン毛、ピアスが口にも空いている。おい、レゲェか。
「隣町の避難所のものです。そのお米、どうするんですか?」
「俺たちのモンだよ、決まってるじゃねぇか」
「これは避難所の食糧難です。なくなったら子供達が食べれなくなります」
徳本さん、必死に身振り手振りでやめさせようとする。
「知るかよ!」
あ、殴られた。徳本さんが口をおさえてうずくまる。
「ちょっと、あんた達、何するの」
鋭い声に僕はギョッとした。美咲が腰に手を当てて仁王立ちしている。
「おい、可愛いお嬢ちゃん、どうしたの?」
ヘラヘラそいつが美咲を視線で撫で回す。きっと裸に剥いてるんだろうな。
「あんまり可愛いこと言うと、お米と一緒に連れてっちゃうぞ」
「そりゃいいや、ははは」
残り2人が野卑た笑いをぶつけてくる。
ロン毛は一歩前に出る。
美咲の顎に手をかけた。形の良い唇を無理やり上に向かせる。
手のひらで彼女の頬と耳の感触を楽しむ。その右手は彼女の他の部分に移りそう。
「離せ」
あ、また僕の声だ。やっちまった。
「なんだい、僕ちゃん、よく聞こえないけど」
ロン毛は僕の方を向く。
「手を離せって言ったんだ」
「お、ボーイフレンド気取りかよ、笑っちゃうぜ」
そういってそいつは右フックを僕にかましてきた。
僕は本能的にかわす。体捌きで入れ替わる。
そのまま後ろに回ってやつの背中を押してやった。そいつはそのままつんのめって転ぶ。
「てめえ、死にてえのか、おい、バットよこせ」
後ろの若い手下風の男が荷台からバットを引っ張り出してそいつに渡す。
「土下座しろ、そしたら僕ちゃん、許してやってもいいよ。だけど彼女は頂いていくからねー」
僕は呼吸法を始めていた。
口の中でつぶやく。『人を殺めることをお許しあれ』。
野蛮な人格が目を覚ます。光景がスローになる。
ジーンズの後ろポケットに挿していた特殊警棒を伸ばした。
「ふん、小僧が!」
ロン毛がバットを振りかざす。
おいおい、またバットかよ。スポーツ用品店は売り手を考えた方がいいんじゃねぇの?
思ったより足が早い。あっという間に間合いに入ってくる。
僕は最小の動きでスイングを外す。やつはそのまま走り抜ける。
おっと、そっちにはボランティアの女性達が座り込んでいる。
僕もダッシュでそいつに追いつく。彼女たちとロン毛の間に割り込む。
「チ!」
ロン毛は再びバットを振り回しながら襲ってきた。
僕は足捌きで正中を外し、そのまま警棒を眉間に叩きつけた。
ロン毛は一言も言わずに棒みたいな倒れ方をした。
「ふぅー」
僕は一旦警棒を下ろして呼吸を整えた。
親父に「お前は体力無さすぎ」って言われたことを思い出した。
このモードに入るとあっという間に消耗する。ちょっと休憩したい。
でも、バットを渡した若いやつは待ってはくれない。
ロン毛がやられたのを見て驚いたのは一瞬だ。慌ててトラックの荷台をかき回す。
鉄パイプを取り出しだ。僕に向かってダッシュしてくる。右肩から振り込んでくる。
僕は立ち位置を急いで変えた。後ろに立つ美咲を危険に晒すわけにいかない。
鉄パイプの軌道を見定め、警棒を上段にあげて斜めに受け逸らす。
そいつは体勢を崩す。横に回りこみ警棒を右手に叩き込んだ。
うわ、悲鳴をあげて鉄パイプを落とす。僕は正眼でそいつの喉に特殊警棒の切っ先で狙いをつけた。
「ま、待ってくれ、許してくれ」
そいつは打たれた手を抑えながら詫びる。
「おい、なら、コメを全部下ろして消えろーっ」
これ以上相手するのは体力的にきつい。
だが、まだ、トラックにコメを積んでたやつが一人残っている。そこで僕は奴らに最後の引導を渡して区切りをつけようとした。
「待って」
突然強い女性の声が割って入った。誰?と向くと美咲だった。
「あなたたち、どうしてこんなことをするの?」
「いや、兄貴からコメをどっかから持ってこい、と言われて……」
手を押さえながら若い奴が答える。
「あなたたちはご飯足りてるの?」
美咲が不思議な質問をする。
「いや、震災以来あんまりです」
美咲はそいつの前に立った。目を見る。
「そう、かわいそうに。あなたの兄弟やご両親もそう?」
「え、どこもそうじゃないすか?みんな腹ペコですよ」
「辛いわね……わたしたちも、子供たちもそうよ。でも、あなたに命令した『兄貴』はどうなの?」
「あ、いや、美味いもの食ってるんじゃないすか?」
美咲は立ち上がった。3人の襲撃者の目を順番に覗き込む。
「あなたも、友達も、ご両親も、兄弟も、弟さんも、私たちも、子供たちもお腹が空いています。明日のご飯もわからない。でもね、みんなで工夫して分ければ違う。私たちはそうしようとしている。前に進んでいるんです」
ここで一息ついた。
「今日はまっすぐ帰りなさい。傷も治しなさい。そして考えてください。どうしたらいいのか?今まで大切だった人たちにどう恩返しができるのか?」
そういって、もう一度目を見つめた。3人は、首を垂れる。
「行きなさい、また会って笑い合いましょう」
ちょっと驚いた顔して若者たちはコメを下ろし、トラックで逃げていった。
僕は美咲を見つめた。
恥ずかしいけど感動していた。周囲の人たちも憧れの推しを見るような目をして彼女を見つめている。
あ、そうだ、僕は解除の呼吸と戦闘モード終了の言葉をつぶやく。『感謝します』
自信なさげな僕に戻った。でも美咲さんの言葉は心にしっかり残ったままだった。
それから徳本リーダーに声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?痛そうです」
徳本さんは偶然野犬に出会ったような目で僕を見た。
「君、すごいね、剣道でもやってたの?」
うんうん、すごいすごいって遠目に見ていた女性達も頷いている。
「いえ、ちょっと」
なんていったらいいのかな、困るな。でもちょっといい気分。
「みんな、お米を戻すわよ。手伝って」
美咲が話を拾った。
それからすぐに僕たちは自分たちの避難所に戻ってきた。
すぐに徳本リーダーと美咲が話しを始めている。
彼女が言う。
「これからも来るわ。防衛部隊を作りましょう」
「防衛部隊って?」
徳本さん
「迎え撃つ準備をするのよ」
美咲はキッパリ。
「戦うって、どうやって?」
徳本さん
「ボランティア、知り合い、なんでも良いわ。武術の経験のあるやつを10名くらい集めてもらえないかしら。それから体力のあるものも必要かもしれないわね」
美咲は指で数を数えている。
「わ、分かった。でもそれでそうするんだ?」
「集まった人を見て使える技術があれば共有しましょう。そうじゃなければこの金窪くんが技術をトレーニングするわ」
え、何、いきなり振ってきたぞ。
「君の技術って」
「い、一応、僕は古武術の師範クラスでもあるんですよ。すこしは足しになるかと思います」
ここで美咲に恥をかかすわけには行かない。
「そうか……」
リーダーはちょっと疑わしそうな顔。
そリュそうだよな。高校生のオタクエンジニア。そいつが武道の師範だと?でも、隣町の食糧倉庫のことを思い出したのだろう。うんうん首を振る。
「それだけじゃ足りないわ」
美咲が口を挟んだ。
「襲ってくる彼らだって被害者でもあるのよ。彼らを味方にする方法を考えなきゃ」
「それが出来ればいいけどねぇ」
「ちょっと、あたしに考えがある」
美咲の目が光った。
「まるで戦国武将だな」
僕と徳本リーダーは顔を見合わせた。
こうして、避難者の中から防衛チームメンバーが選抜。
トレーニングが開始された。
土地柄か、僕のように古武術をマスターしているもの、剣道、柔道、元警官や自衛官。かなりのメンバーが揃ったのだ。
まず、僕たちは自己紹介をした。
「金窪隼人、剣術と防御術に知識がある。よろしくお願いします」
「一堂達也だ。海上自衛隊訓練校の教官だった。自衛隊式格闘術を教えていた」
「式馬(式馬)伸司だ。もと神奈川県警だ。剣道三段」
「僕は……」
思ったよりいろんな方面の使い手が集まっている。
ここで美咲が前に出た。
「あたしたちは、大切な人たちを守っていかなければいけないわ。こちらの金窪くんの助けで食糧もだんだん回り出したわ。でも、このうち一割が行方不明になっている」
彼女は前に並ぶものたちを睥睨した。
一呼吸。
そして、良く響く声で告げる。
「このままでは、私たちは食い物にされる。大切な人たちの命が脅かされている。あなたたちの力が、今、ここで必要なんです」
さらに続ける。
「一堂さん、式馬さん、みなさん」
美咲の声はその1人1人を貫く。
「あなた方の知恵と力、貸してくれませんか?自衛ためのチーム、トレーニング、仕組みが必要です。お願いです」
僕は感心した。
なんだろうね、これだけのトークでここに集まった10名以上の男たち、その心を一挙に持っていったのだ。
うーん、北条政子の子孫か・・・姫、恐るべし。
僕たちは、それぞれの技術、それに知恵を結集することになった。
その流れの中で、僕のことが話題になる。
「金窪君、君の受け継いだ剣術って興味あるな」
式馬伸司が言い出した。彼も古くから鎌倉近辺にいる家らしい。
「そうだ、あなたたち、一度立ち会ってみたら?」
美咲がとんでもないことを言い出した。
「それぞれの技量も把握しといたほうがいいでしょう?」
おいおい、勘弁してくれよ。何考えてるんだ。
「一堂さん、審判お願い」
「うん、面白い」
「隼人君、いいよね」
彼女はどこから手に入れたのか、ソフトチャンバラの刀を持っている。
美咲が僕に近づく。耳元で囁く。うへぇ、ゾクゾクするぞ。
「ごめんね、でもね、ここで力を見せとかないとまとまらないのよ」
チェ、そういうことか。承知仕りました、姫。
「でもさ、僕が負けたらどうするんだよ」
僕も小声で返す。
「大丈夫、負けないわ。信じてる」
彼女は明るい声。姫、ご容赦お願いしますよ。
こうして、僕と式馬伸司はソフトチャンバラを持って立ち会うことになった。
場所は避難所の中庭。
審判は一堂達也。
避難所のみんなが興味津々で集まってきた。
親父がみたら張り倒されるだろうな。
僕は暗い気分になる。だが、反対側にはすで式馬伸司が正眼で構えている。
流石に三段。全く隙がない。
「やばいな、この状況」
どうするかな。
でもここで心のリミット外すと怪我人が出るだろう。うーん、通常運転で行けるかな?
僕も構えを取る。
だが、正眼じゃない。柳生新陰流のように、少しソードを斜めに合わせる。
式馬伸司の目が細くなる。
「イェー」
剣道の気合い声。
一方、僕は一瞬で呼吸を整える。
精神を集中する。視覚、聴覚を統合する。
金窪流剣術の基本技。
「ツァー」
式馬伸司が動いた。
僕の剣先を擦り上げる。そのまま一気に面を取るつもりだ。
その時間、レイコンマ2秒。
だが、僕はすでに動いていた。
ギリギリで奴の進行方向からずれる。
式馬伸司、剣道の達人だ。当然、胴抜きを予想するだろう。
だが、金窪流剣術は命をやりとりする暗殺術だ。剣道の流儀ではない。
そのまま右肩を突く。その速度は零コンマ一秒。
式馬伸司から見ると僕がそのまま二重写しに見えたかもしれない。カウンターとなった右肩突き。
姿勢が崩れる。
僕は右足で奴の足を踏む。
方向性を失った体重は前向きに倒れる。
その背後に回り込み僕はガラ空きの後頭部をソフト竹刀で突いた。
「勝負あり」
遅れて一堂達也がコールする。
その前には前のめりに倒れた式馬伸司。大の字に伸びている。
慣れた手つきで一堂達也が抱え上げ、活を入れる。
式馬伸司は目を覚ます。
何が起きたか、わからないようだ。視線が彷徨う。そして、やっと僕を見つける。
「すごい、こんなの初めてだ」
感服したようにいう。
「大丈夫ですか?いや、流石です」
僕は礼儀を尽くして彼が立ち上がるのを助けた。
「これが金窪ですか。参りました。噂の通りです」
「ご存じだったんですか?」
「いや、子供の頃に道場の師範から存在は聞いたことがありました。まさか実在するとは思いませんでした」
「古臭い伝統ですよ」
僕はただ、感想を言った。
こんなふうに日本が壊れなければ、ほとんど役に立たなかっただろうからね。
「お見事。さぁ、これでますます私たちの自衛チームは強くなったわ。さぁ、力を合わせていきましょう」
美咲の声が響く。
なんだよ、お前は殿様か。
恨みがましく彼女を見ると、申し訳なさそうに僕を拝んでいた。
Tシャツの襟元がちょっと開いて目のやり場に困る。
チェ、やっぱお姫様だな。
一方、美咲の方は人脈網を作り出していた。
周囲の街の脅威も、元を辿れば誰かの親戚や知り合いのケースが多い。これらを通じて仲間にしてゆく努力だ。
もちろん、覚悟と用心が大切だ。さもなければ、こっちが食われる。その人的技術については驚くものがある。
僕たちの組織は実際、急速に安定してきていた。
僕が避難所で暮らし始めてからもう二週間が経った夜。
「浩!どこ行ってたのよ」
「ごめん、ごめん」
その声を聞いた時、僕はちょうど分配システの状況がスマホで見れるアプリのテストをしていた時だった。
美咲と誰かが話をしている。
僕はP Cの画面から目を上げた。
校舎の玄関の方からか?あのあたりは暗い。パソコンの画面に慣れた僕は目を細めた。暗くてはっきり見えない。
男女が抱き合っている。
女性の後ろ姿は、美咲っぽい。
男の方は首一つ大きい。
男は美咲らしき影を連れて校舎の向こうの暗がりに引っ張っていった。
わざわざ普通の出会いならそっち行くか?
僕はアホみたいに口を開けたままその姿を見送った。
次に来たのは柔道で投げられて畳に頭を強かに打ちつけたようなショック。
僕のガラスのハートは木っ端微塵になった。
そうかぁ、そうなんだよな。
学校男子生徒の高嶺の花。地味な服装でも街を歩けば男が振り返る。
あれだけイイ女なんだよな。年上で頼れる男がいて当たり前なんだよね。
僕はせいぜい便利なボディガード。それに避難所の修理屋なんだな。
いいように使われていたってわけだ。
でもさ、こんな大変な時にみんなの役に立ててよかったよね、僕はそう、自分を慰めるしかなかった。
そういえば、ずいぶん家を留守にしていたな。明日帰るか。僕はパソコンをシャットダウンした。
翌朝、僕は徳本さんに、しばらく家に帰ります。何かあったら連絡くださいね、と僕のスマホの連絡先を渡して逃げるように避難所を後にした。
美咲とは、とにかく顔を合わしたくなかった。
僕の勝手な思い込みが原因だってわかってる。でもさ、とてもまともに彼女と会話できるとは思えなかった。
3時間ほど歩いてやっと鎌倉の自宅に辿り着いた。
富士山の噴火は続いている。
空はどんより灰色のまま。
玄関の取ってに手をかけるとざらっとした砂の感触が残る。玄関の引き戸も滑るが悪い。
ガタピシ言いながら開ける。なんだかみんなポンコツだ。そのまま部屋に入る。
雨戸が閉まったままの家はやたらに広くて暗い。
目が痒い。そのまま擦ると涙が出てきた。
いかんいかん、雨戸を開ける。居間に光が入る。
ちゃぶ台にソース焼きそばの空パッケージが残されたまま。こればっかり食べていたからな。
そうか、親父、どうしているかな。あれから全く連絡がない。ゲリラだからしょうがないか。
僕はボーとちゃぶ台を前にしてに座っていた。
まずは掃除、それから洗濯だ。
避難所で徳本リーダーの服を借りたりしていたが、それにしても汚れて匂いがしている。ジーンズの穴もますます大きくなっている。
洗濯機を回した。さて、次は……そうだ、親父に伝承者として資料読んどけ、ってお言われてたな。どうせ暇だ。
僕は親父の部屋に向かった。
古い木の扉を引っ張るとギィギィ鳴った。中は思ったより綺麗だ。
部屋の二面には彼のの専門としていた暗号通貨関係の書籍や資料の本棚になてっている。
一番下の段にカーテンが掛かっている。見せたくないものがあるのか?
開けてみたらエロ本とD V Dが一列になっている。
昭和だよな。呆れてカーテンを元通りに閉める。
別のサイドにはガラスがはまった古い書棚が3台並んでいた。どうやらここに「金窪流剣術」の資料があるようだ。
僕はこっちの資料を読み始めた。
資料を読み出して3日目、流石に飽きてきた。
親父があんなに「見るなよ」って言った昭和のエロ、気分転換に見てみようかな、そう思い、本棚一番下のカーテンを開ける。
ずらっと雑誌とD V Dがきちんと並んでいる。その一番端のやつだけタイトルがついてない。
あ、こういうのが結構やばいんだよな、そう思って引っ張り出した。
親父の部屋のD V Dにかけてみた。
あれ、動かんぞ。
これ、D V Dフォーマットじゃない。
なんだろ。
興味をそそられパソコンのD V Dプレーヤーにかけてみた。
パソコンの画面でメディア指定をする。
ずらっとファイルが並んでいる。
ファイル名を見たとき、目が覚めた。
「日本及びアジアの暗号通貨の技術的欠陥とその脆弱性の悪用方法」
「日本国内における暗号通貨の不正蓄財と裏金についての現状と口座所有者リスト」
え、こりゃやばいでしょう。
そうか、こんなことを調べたから親父、防衛省を首になったんだな。
特に2番目のファイルがヤバそう。中身を開いてみた。
なんと、日本の主要政治家、上級閣僚、それに有名な富豪たちの名前がずらっと並んでいる。
暗号通貨ウォレットの履歴もある。
もし、これが世の中に出たら大スキャンダルだろう。
どうしようかな、暗号通貨の技術については僕も技術オタクとして関心はある。
僕はそれらをU S Bにコピーしてポケットに入れた
そのほかのファイルもずらっと見たが、残りは興味を引くものがなかった。
そして、僕は再び伝承書を読み耽流ことにした。
自宅に戻ってから1週間が経った。
いつものように庭で金窪流の型をおさらいしていたら、スマホが鳴っていることに気がついた。
もしかしたら日菜かもしれない。北海道から帰ってきたから会いたい?なんてね。淡い邪な期待。
ちゃぶ台の上で鳴り続けるスマホを取り上げた。
画面には「徳本」の文字。
最初は誰かわからなかった。でもすぐに声を聞いて思い出した。
避難所の徳本リーダーだ。
「もしもし、金窪くん?徳本だ」
「あ、リーダー、久しぶりですね」
「大変だ、美咲ちゃんが拐われた」
「は?」
この人、何を言ってるの?
「逗葉浜の避難所から支援依頼があったんだ。君のシステムを使えないかと思ってさ。それで式馬さんたちと美咲ちゃんで訪ねていったんだよ。そしたらやばい奴らがいてそのまま捕まったらしい。このままじゃ何されるかわからん。君の力が必要なんだ」
「え、でも僕、鎌倉ですよ。一堂さんや防衛隊の人たちがいるでしょう」
奴ら、こっちにも別に襲撃に来るなんて言ってるんだ。一堂さんは今離れるわけにはいかないんだよ。君しかいないんだ、頼む」
僕はちょっと躊躇した。
一番の理由は美咲。彼女はもう僕の心から無理矢理に消去した存在だ。ここでまた、と思うとキツイ。
ほんと自分勝手だと思って自己嫌悪だ。
でも、その時、金窪の資料の言葉を思い出した。
「乞われれば助けよ。さもなくば自分を見失う」
(ご先祖様、はい、心を入れ替えます……)
「徳本さん、わかりました、場所はどこですか?」
いつの間にか、そう答えていた。
一時間後、僕は電チャリを降りていた。場所は逗葉浜の避難所。
様子を見る。
トラックが倉庫の前に横付けされている。倉庫の中から若い奴らが段ボールを運び出している最中だった。
さりげなく近づく。
倉庫の中を見た。
何人かの柄のよくない連中が椅子に座っている。
その前には式馬さんが手を縛られて転がっている。顔が腫れているようだ。
その時一人の体格の良いモヒカンの男が女性を引き摺り出した。
細いウエストから腰に手を回した。今度は形の良いバストに手を伸ばす。左手で下からゆっくり掴み上げる。
女性は猛烈に抵抗している。しかし、男の体力には敵わない。
あ、シャツを破られた。
ブラジャーで守られた豊かな胸が揺れながら晒される。
真っ白で美しい肌が眩しい。
美咲だ。
頭に血が上った。僕は特殊警棒を手にして本能的に走り込んでいた。
「なんだぁ、どこの小僧だ」
手前の椅子に座っている男が睨む。
30代初めくらいだろうか。目つきが悪い。
僕は、金窪流呼吸を始める。
口の中でつぶやく。『人を殺めることをお許しあれ』。
野蛮な人格が目を覚ます。世界がスローになる。
「おい、その女性から手を離しな」
僕はそのまま奴らの真ん中に踏み込んだ。
「金窪君」
美咲が叫ぶ。
「ほお、またまた白馬の騎士気取りか?おい、こいつも痛い目に合わせとけ」
リーダーを殴った男が周囲を焚きつけた。
「くたばりやがれ」
五人が一度に向かってくる。
現場は倉庫。出入り口は二カ所。僕は環境を確認した。
特殊警棒を一気に伸ばす。取っ手を手元に引き込む。
金窪流剣術の型
<混沌>
これは、乱戦・屋内戦を想定したものだ。
簡単に言うと四手先を読む、プラス最悪の場合のプランBも併せて動く。ちょっと複雑な流れ。
先頭の男、バットを持っている。
振りかぶって殴りかかってくる。これは楽勝だ。あまりにノロいその軌道をかわし、今袈裟に警棒を打ち込む。
そうしながら僕はナイフを取り出した男の正中に進む。奴はスピードを上げて突っ込んでくる。
だが、金窪流は反応速度が違う。余裕でタイミングを崩す。
そのまま警棒で喉に突きを入れる。う、悪い感触。やっちまったか?
僕は一歩踏み込み、今度は遅れた別の男の脳天を叩き下ろす。これで3人。
マッチョなやつが美咲を投げ捨てて鉄パイプを拾った。そのまま振り上げる。
僕はやつの下を掻いくぐり、ローキックで膝の関節を破壊した。
崩れた後頭部に警棒でとどめの一打。
ここまで15秒。
そして、想定した有利な位置をとる。
一瞬で、辺りが静まり返る。ヘラヘラ笑っていた奴が、唖然とした顔で僕を見ていた。
その時、ひときわ異様な気配がした。
倉庫の奥から、ひとりの男がゆっくりと歩み出てきた。
なんだよ、現代日本だぞ。和服か?木刀を持っている。
目はまるで、蛇だ。
「天心一刀流、天城烈士。」
そう名乗ると同時に、構えを取った。用心棒か。
「気をつけろ、こいつはできるぞ」
床から式馬さん。そうか、こいつにやられたのか。
ただ者じゃない。
斜に構えた正眼。古武道だ。
「はぁっ」
裂帛の気合い。
木刀が唸りを上げた。一撃。
避けられなかった。胸に衝撃。
息が詰まる。
崩れ込んだ僕を見て、天城は薄く笑った。
だがそれは、罠だ。あえて受けた。
金窪流は、受けの中に勝ち筋を仕込む。
奴が構え直す、その瞬間を待っていた。
かがめていた足の反発で一気に間合いを詰める。
あわたてた奴は、僕の警棒を叩き落とそうとする。
だが、これはフェイントだ。
その肩からタックル。
奴の体は壁に当たる。姿勢が崩れる、反動で前に出る。僕はあえて立ち上がる。
やつも姿勢を崩しながらも、上段から打ち下ろそうとする。
そして、その剣先は倉庫の棚に当たった。
「くそぉ!」
やつが自分の失態に気がつく。
作戦通り。
このために事前に倉庫の積み上げた段ボールの位置、立ち回りの場所を頭に叩き込んでいたのだ。
奴はしまった、という顔。
僕は一気に距離を詰め無防備な額に特殊警棒を叩き込んだ。
板を割れるような音。僕の手には、さらにその下に衝撃を伝えてしまった後悔。
「終わりだ」
一拍遅れて、天城が血反吐を吐き、崩れ落ちた。
親父の教えが蘇る。
「お前は実践経験がない。命の取り合いもしたことがない。それが弱点になる時がくる」
けれど、この時も、不思議と心は静かだった。
もしかしたら、僕は人間を憎んでいるのかもしれない。しかし、その後、寒気が出るような感覚が手先を痺れさせた。
僕は一歩前に出る。さっきまで得意げに話していた奴。もうこいつしか残っていない。
「テメェ」
サバイバルナイフを構え、突き込んでくる。
僕は軽くスイングしてかわす。
やつは、逆刃に構え、横にないでくる。
なんだよ、映画で覚えたんだろう。全く様になってないぞ。
僕はそのまま、ぬるっと前に出る。
ナイフを持つ手を警棒で叩く。いやな音を立てて獲物を落とす。手首が折れたかな。こいつはちょっと懲らしめないとな。
手を抑えたそいつの鎖骨を警棒で叩き折る。
そいつは肩を押さえてしゃがみ込んだ。
終わったな。僕は終了の呪文を唱える。
『感謝します』
いつもの自分に戻る。
残った連中は武器を捨てた。
夜。焚き火の明かりが、顔を赤く染める。子供たちが笑いながらスープをすすっている。
逗葉浜の人々も、少しずつ顔を上げ始めた。
「……お疲れさま。」
美咲がスープ缶を差し出す。
「ありがとう。今日は大変だったね」
あんな目にあったにも関わらず、彼女の様子は全く変わっていない。
「胸、大丈夫?」
逆に美咲は僕が打たれたことを気にしている。
「問題ないよ。わざと、プロテクターしてあったところを打たせたんだよ」
僕は種明かし。
「ふーん、なんか、準備万端ね。マーベルのヒーローみたい」
感心したようにいう。なんか距離が近いぞ。
「ああ、そうだ、僕もう帰らなくちゃ」
彼女とこんな近くで話せるチャンスに気分が高まる。だけど彼女には恋人がいるんだ。このままいれば辛くなるだけだ。
僕は彼女の視線を避け、立ち上がった。
「え、どうしたの、もう夜よ。明日帰れば?」
「うん、でもね、ちょっと家でやることがあってね」
「そうね、いつまでもあなたに頼ってはいけないわね」
美咲は下を向く。それから思い切ったように僕を見つめた。
「でも……いきなり姿を消して、すごくショックだった。私、反省したわ。あなたに甘えていたんだ」
「美咲はあの人いるから大丈夫だよ」
美咲は何?って顔している。
「え、あの人って?」
「ほら、徳本リーダーが言ってた浩さん」
「彼はもう帰ったわ」
「帰ったってどこへ?」
「私のうち」
「え、一緒住んでるの?」
「うん」
うわ、高校生でもう同棲かよ。美咲、見かけよりやり手だったんだな。
「そうか、美咲は戻らなくていいの?」
「うん、親の面倒は兄貴が見てるからさ」
「は?」
「うちさ、海沿いで津波にやられたんだよ。家も水かぶって半壊、だから親と兄貴で今片付けてるんだ」
「え、じゃあ?」
「そうだよ、浩にいちゃん」
「あの時は?」
「いつ?こないだ一回避難所にさ、親の様子と家の状況を話にきたよ。あっちも食料とか薬もないしさ、融通させてあげてるんだ」
ここで僕は大きな勘違いをしていることに気がついた。
「あ、そうなんだ」
えーい、このアホめ。
「え、兄貴がどうかしたの?」
「いやいや、何でもない」
僕はそっぽを向いた。ニヤニヤしている顔がバレたらまずいからね。
それに美咲に他の彼がいるかもしれない。
「そうかぁ、美咲の家も大変なんだね。そうか、今日は遅いよね、明日帰るわ」
「うん。よかった……」
「今日は大変な1日だったね」
僕は話題を変えた。
「まだ震災と援助軍の混乱が続いているわ。みんな自分が生きるので精一杯。でもね、あなたが鎌倉やここでで見せてくれたこと、あれは希望になると思ったわ。少しずつでいい、こう言う絆をつなげてゆきたいの。そうすれば私たちはまた笑って暮らせるわ」
姫の顔に戻って、美咲は少し寂しそうに笑った。
僕たちは黙って空を見つめていた。
空には、無数の星が散っていた。壊れた都市の上に、それでも変わらず輝く星々。僕たちは、そこにほんの少しの未来を見た気がした。だが、その先は決して平坦ではなかったのだ。
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