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第299話 最初の成功
【どこでもない層/深部】
白色コアの光は、まだ収まっていなかった。
現実側で顔写真が見つかって以降、弱まっては強くなりを繰り返している。
何かを思い出そうとしているのか、それとも外から届く情報へ反応しているだけなのか。
Cにも、まだ判別はできていない。
《外部人物情報・照合継続》
《記憶反応・上昇》
《名称情報・復元未完了》
空間上へ結果が反映される。
カシウスは白い光を見ていたが、やがて白峰律へ視線を向けた。
「顔まで戻った」
白峰は答えない。
「次は名前だろう」
「そうでしょうね」
「思い出されるのが嫌か?」
「今さらです」
白峰の声はいつもと変わらない。
だが、その視線は白色コアから離れなかった。
カシウスが静かに言う。
「最初に成功した時、お前は喜んでいた」
その一言で
白峰の表情が、ほんの僅かに止まった。
忘れていたわけではない。
忘れられるはずがない。
ただ。
長い間、成功という言葉だけを切り離していた。
その後に何が起きたのかを見ないために。
白色コアが脈打つ。
白峰の中で。
昔の研究室が蘇った。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧研究施設/過去】
その頃。
クロスワールドゲートという名前は、まだ存在していなかった。
研究室の中央には、一脚の椅子が置かれている。
頭部を囲む複数のセンサー。
胸部、首、両腕へ取り付けられた生体測定装置。
椅子の周囲には、通常のネットワーク試験には必要のない機器まで並んでいた。
身体の反応だけではない。
名前。
記憶。
感情。
自己認識。
そして。
肉体とは別に存在している可能性のある、意識そのものの位置。
それらを測定するための装置だった。
白峰律はモニターの前に立ち、最後の確認を続けている。
その隣。
椅子へ座る前の女性が、同意書を読み終えた。
一ノ瀬ユナより少し年上。
同期開発部門で、初期の意識応答系と接続処理を担当している技術者。
ユナが入るより前から白峰のチームにいた。
女性は最後のページへ署名すると、書類を白峰へ返した。
「これでいいですか?」
「はい」
白峰が受け取る。
そこに書かれている試験名は。
《深層意識同期試験》
女性は装置を見る。
「毎回思いますけど、名前の割に大げさですよね」
#探偵
橘靖竜
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#異世界
しゅーくりーむ
134
上野文
8,526
ライラ🔮🌸🌙
29,745
「今回は通常試験より深いところまで接続します」
「仮想側へ?」
「それも含みます」
女性は少し首を傾げた。
白峰はそこで一度だけ言葉を止めた。
彼女へ説明した内容。
意識応答の深層同期。
通常の仮想空間より深い情報層への接続。
一時的な身体感覚の低下。
記憶混乱の可能性。
そこまでは説明している。
だが、説明していないものがあった。
条件が揃った場合
人間の意識そのものが
肉体から切り離される可能性。
さらに、その意識がこの現実とは異なる場所へ移る可能性。
白峰は、その危険を知っていた。
まだ確率が低い。
理論上の可能性にすぎない。
自分なら途中で止められる。
仮に分離しても、同じ経路を逆に辿れば戻せる。
そう考えていた。
女性が白峰を見る。
「何です?」
「いえ」
白峰は書類を置いた。
「体調に違和感があれば、すぐに言ってください」
「それ、三回目です」
「重要なので」
「分かってます」
女性は笑った。
そして少し離れた机を見る。
ユナの席。
今日は空いていた。
「ユナちゃん、いないんですね」
「別の作業を頼んでいます」
「この実験、知ってます?」
「詳細は話していません」
「終わったら教えていいですか?」
白峰が女性を見る。
「なぜです」
「絶対、見たがるから」
女性は笑う。
「『ログください』『コードも見せてください』って」
白峰は少しだけ想像した。
「言いそうですね」
「でしょう?」
何でもない会話だった。
少なくとも。
この時までは。
◆ ◆ ◆
同じ頃。
世界の反対側。
【異世界/旧境界観測区画】
石造りの部屋の床一面に、幾重もの結界が描かれていた。
中央にあるのは門ではない。
人が通れる大きさもない。
ただ一つの意識反応を受け取るために作られた細い接続点。
オルガ・セフィロが、複数の座標を比較している。
現実側から白峰が送ってくる信号。
古い境界事故の記録。
戦場で人間が突然消えた地点。
魔力衝突のあと、意識だけが残った場所。
世界を越える現象そのものは昔からあった。
カシウスが作ったわけではない。
白峰が発見したわけでもない。
ただし、過去の転移はすべて偶然だった。
どこへ行くかも
何が移るかも
選べない。
身体ごと消えることもあれば
意識だけが別の場所へ落ちることもある。
今回
それを初めて人の手で起こそうとしている。
ヴァルド・レイグは床の結界へ触れた。
「座標は合っている」
オルガが聞く。
「固定できる?」
「入ってくるものが一つなら」
「身体は来ない」
カシウスが言った。
部屋の中心。
結界の外側に立っている。
「今回必要なのは意識だけだ」
ヴァルドがカシウスを見る。
「成功すれば、身体と意識を分けられる」
「それはすでに分かっている」
「では何を見る」
カシウスは少し黙った。
その目に、一瞬だけ
今とは違うものが宿った。
「何が残るかだ」
オルガが視線を上げる。
カシウスは続ける。
「肉体を捨てても、記憶は残るのか」
「感情は?」
「名前は?」
「自分を自分だと認識するものは、どこにある?」
以前。
カシウスは、愛した女性を失った。
転移実験の失敗。
彼女は消え。
記録だけを残した。
声。
姿。
記憶。
反応。
カシウスは、それらを集めた。
そして、再生した。
だが、戻ったものは
彼女の顔をして
彼女の声で話し
彼女の記憶まで持ちながら
カシウスが知っている彼女ではなかった。
感情がなかった。
迷いも。
癖も。
わずかな怒りも。
好きだったものを選ぶ時の躊躇も。
何かが、
決定的に欠けていた。
「記録を集めるだけでは足りなかった」
カシウスが言う。
「なら、生きている人間から直接調べる」
オルガが結界を見る。
「身体を離れた時に何が残るのか」
「ああ」
「それが分かれば」
オルガは続きを言わない。
カシウスが言った。
「本物との差が分かる」
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧研究施設】
白峰も
別の理由で同じ答えを求めていた。
モニターには一つの古いフォルダが開かれている。
写真。
音声。
メッセージ。
位置記録。
文章。
動画。
もうこの世にはいない
白峰の恋人が残したもの。
白峰は事故のあと
集められるものを全て集めた。
最初は
どこかに意識が残っていると思った。
死という現象が
ただ見えない場所への移動である可能性。
学生時代に匠と作った補助層。
情報層。
現実と仮想の中間。
そのさらに深い場所。
探した。
何度も
どこにも
彼女はいなかった。
だから、
白峰は考え方を変えた。
本人が残っていないなら。
残されたものから。
もう一度作ればいい。
名前。
声。
思考。
記憶。
選択。
感情。
人間を構成するものを集め。
一つの意識としてまとめ。
そして
器へ戻す。
だが、問題が一つあった。
作ったものが本当に「人間」になるのか。
情報を集めただけの塊ではないのか。
自分が恋人の情報からコアを作ったとして
そこに本当に彼女が生まれるのか。
その答えを得るため
白峰には、生きている人間が必要だった。
生きている人間を
身体と意識へ分ける。
そして
身体を離れても。
記憶。
人格。
感情。
自己認識。
それらが保たれるのか確かめる。
保たれるなら
人間という存在は、身体だけで決まるものではない。
ならば死者の残した情報を
正しく一つへまとめることができれば。
そこから
失った本人を作れるかもしれない。
白峰は、本気でそう信じていた。
「準備できました」
女性の声で
白峰は現在へ戻った。
椅子へ座っている。
頭部の固定も終わっている。
白峰は画面を閉じた。
過去の恋人の写真も消える。
「始めます」
女性が頷いた。
「お願いします」
◆ ◆ ◆
同期率。
十二。
十八。
二十七。
まだ通常範囲。
女性の脳波も安定している。
「何か見えますか」
白峰が聞く。
「暗いです」
「他には?」
「光が……少し」
三十九。
四十五。
通常試験なら
この辺りで止める。
今日はさらに進める。
五十一。
女性が少し眉を寄せた。
「耳鳴りします」
「痛みは?」
「ないです」
五十八。
白峰が異世界側へ信号を送る。
「こちら白峰。境界反応は」
数秒。
オルガの声が返る。
『出ている』
その瞬間。
白峰の心拍も上がった。
理論が、正しい。
六十三。
六十七。
画面へ新しい表示。
《外部座標反応・検出》
白峰の手が止まる。
その反応を
何年も探してきた。
この現実ではない場所。
本当にあった。
女性が呟く。
「白峰さん」
「はい」
「変です」
白峰がすぐ画面を見る。
「何が」
「身体が……重いというか」
少し間。
「違う」
女性は目を閉じたまま言った。
「逆です」
「身体が遠い」
白峰の顔が変わった。
七十一。
警告。
《意識位置偏位》
白峰は停止操作へ指を伸ばす。
ここで
止めるべきだった。
本来なら。
だが、異世界側からカシウスの声。
『反応が出た』
白峰の手が止まる。
『あと少しだ』
「身体側は安定しています」
白峰は答えた。
自分へ言い聞かせるように。
『なら続けろ』
七十四。
七十七。
女性が息を吸う。
「誰かいます」
白峰が画面を見る。
「何が?」
「声……」
「何と言っています」
「分からない」
女性の眉間へ皺が寄る。
「知らない言葉です」
異世界側、オルガが言う。
『こちらでも意識反応を検出』
ヴァルド
『固定に入る』
白峰の目が画面へ釘付けになる。
八十一。
八十三。
その瞬間
女性の胸元から白い光が浮かんだ。
白峰が息を止める。
女性の身体は椅子にある。
脈もある。
呼吸もしている。
なのに、白い光は
身体から離れていく。
《身体生命反応・維持》
《意識反応・分離》
白峰の指が震えた。
「……成功した」
まだ、
ほんの一部。
だが
人間の意識が、身体とは別に存在している。
記憶も。
名前も。
自己認識も保ったまま。
白峰の頭に
事故で失った女性の姿が浮かんだ。
もし、これを再現できるなら。
もし、意識を構成する条件を全て特定できるなら。
いつか彼女も
白峰の目に、初めて
明確な希望が宿った。
◆ ◆ ◆
【異世界/旧境界観測区画】
白い光が
結界の中央へ現れる。
ヴァルドが即座に境界を閉じる。
「固定」
オルガが波形を確認する。
「自己認識、維持」
「記憶反応もある」
カシウスが白い光へ近づいた。
人間の形に近い。
だが肉体ではない。
頭。
肩。
腕。
輪郭が光で作られている。
その存在が動いた。
『……白峰さん?』
カシウスの目が
初めて大きく開いた。
声。
ある。
怯え。
ある。
困惑。
ある。
そして
相手を求める感情。
ある。
カシウスが低く呟く。
「違う」
オルガが聞く。
「何が?」
「私が作ったものとは違う」
再現体ではない。
記録を並べただけの存在でもない。
身体を離れた。
生きた人間。
それでも本人。
カシウスの中で
長い間止まっていた仮説が動き出した。
「これだ」
その声は。
誰へ向けたものでもなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧研究施設】
通信へ女性の声が届く。
『白峰さん?』
白峰がすぐ答える。
「聞こえています」
『私……』
ノイズ。
それでも言葉は途切れない。
『どこにいるんですか?』
白峰の胸が熱くなる。
「別の場所です」
『仮想空間?』
白峰はすぐには答えなかった。
「それより、確認します」
「名前は?」
女性が答える。
正しい。
「今日の日付は?」
答える。
正しい。
「今朝、何を食べましたか?」
答える。
白峰の知らない内容。
事前に記録していない記憶。
異世界側でオルガが照合する。
『反応に矛盾なし』
白峰はさらに聞く。
「今、怖いですか」
少し間があった。
『……ちょっと』
その答えに白峰の指が止まった。
怖い。
予定にない質問。
予定にない感情。
事前に書かれた応答ではない。
生きている。
白峰は目を閉じた。
ほんの一瞬だけ
事故で死んだ恋人の顔が浮かぶ。
――できる。
そう思った。
人間は身体を離れても
人間のままでいられる。
なら、必要なものを全て集めれば
いつか失った人間も、戻せる。
異世界側からカシウスの声が届く。
『白峰』
「ああ」
『成功だ』
白峰は初めて否定しなかった。
「成功した」
研究者として
心からそう思った。
異世界側でもカシウスは
白い人影を見ている。
自分が失った女性。
再生した感情のない模造体。
そして今、目の前にいる
肉体を離れてなお感情を持つ生きた意識。
二人は違う人間を思い浮かべながら
同じ結果を見ていた。
白峰は
失った恋人を。
カシウスは
失った愛する女性を。
この成功が二人にとって
同じ意味を持つはずはなかった。
それでもこの瞬間だけは
二人とも死を越える方法へ
一歩近づいたと思っていた。
通信の向こうで女性が言った。
『白峰さん』
「はい」
声には先ほどより少しだけ安心が戻っている。
『すごいですね』
白峰は画面を見る。
《人工意識分離・成功》
《世界間意識転送・成功》
《人格維持・確認》
《感情反応・確認》
《自己認識・維持》
最初の成功。
人間の手によって
意図して生きた人間の意識だけを
別世界へ送ることに成功した。
女性が続ける。
『ユナちゃん、びっくりしますよ』
白峰は少しだけ笑った。
「そうでしょうね」
『戻ったら私から話していいですか?』
その言葉に。
白峰の笑みが
止まった。
女性は気づかない。
『それで――』
当然のことを、聞いた。
『戻る時は、どうすればいいんですか?』
白峰の手が
キーボードの上で止まった。
モニターには
成功を示す表示が並んでいる。
送れた意識を肉体から分け
別の世界まで確かに送れた。
だが。
その画面のどこにも。
《帰還》
という項目は。
まだ存在していなかった。
コメント
1件
うわ……すごかった。最後の「《帰還》という項目はまだ存在していなかった」で背筋が凍りました。成功の喜びと同時に、その先の帰る手段を考えてなかった白峰さんの盲信がもう…。女性技術者が「戻る時は?」って聞いた瞬間、心臓ぎゅっとなった。失った人を甦らせたい気持ちは痛いほどわかるけど、その代償が今のユナちゃんたちの状況につながってるんだなって思うと、切なすぎる。橘さんの過去描写、やっぱり重くて繊細で大好きです…。