そっと障子を閉める佐紀子の動きに隙はない。
背筋を伸ばし、佐紀子は、月子など、はなからいないかのよう、視線を合わせることもなく、しずしず歩むと、野口のおばの隣に腰を下ろした。
──立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花──
まさに、佐紀子の為にある言葉だと、月子はいつも思っていた。
小豆色の小紋に黒の帯をしめる、今日の出だちは、月子と四つしか違わない、 二十歳の、乙女らしくない地味なもので、それは、逆に、佐紀子の上品さ、淑やかさを際立たせている。
艶やかな髪は、流行の巻き髪に結い上げ、かといって、娘らしく、流行りを追いかける訳でもなし、佐紀子は、常に自分に適した身支度を心得ていた。
下手をすれば、野口のおばよりも威厳が感じられ、仮とはいえ、当主の役目をしっかり全うしているように見えた。
それに比べて、自分は……。月子は、小さくなった。
日々の裏方仕事で、荒れた手。袖口と裾が擦りきれている木綿の着物。刺子で誤魔化している、継ぎはぎだらけの前掛け。
働いているからといっても、あまりに、みすぼらしいとしか言えない姿を、佐紀子の前に晒しているのが情けない。
佐紀子は、決して華美ではないものの、身につける物は、やはり、流石としか言い様のない上等なもので、西条家の品格を落とさない様に心配りも忘れていない。
さらに、奥向き含め、屋敷の采配、そして、事業の成果を確認するため、夜遅くまで帳簿に目を通し、商い事まで上手くまわしていると、屋敷の皆は知っている。
年若い娘ではあるが、佐紀子の才覚は、確かなもので、彼女の言うことには皆逆らえないのだ。
その佐紀子の色白で、少し面長の顔に収まる薄くキリリと引き締まった口が開いた。
「……おば様、やはり、先様は……今回のお話は無かったことと……」
「佐紀子!何も心配しなくていいんだよ!うちの人が、山村様のご機嫌をとっているからね!まったく、本当に、いい迷惑な話だよ!」
「……迷惑は……、おば様ですわよ。月子さんが、びしょ濡れじゃないですか?」
「いや、これは、その、なんだよ、手が滑ってね……」
「おば様のお気持ちは、よくわかりますわ。私だって、心底、虫酸が走りますもの。ですが、あまり誉められたことではないでしょう?……ほら、畳が濡れてしまっている。染みになってしまったら……余計な出費が増えますわ」
「ああ、そうだねぇ。これは、うっかりしてた。佐紀子には、かなわないわ」
ホホホと、野口のおばは、高笑った。その横で、佐紀子も、うすら笑みを浮かべ、居心地悪く小さくなっている月子に、冷ややかな視線を手向けてきた。
いつもこうだった。
佐紀子の言うことは、一見、公平で、理にかなっているように聞こえるが、上手く言葉を操つり、結局、月子へ嫌みの一言、二言を浴びせて来る。
今も、佐紀子は、野口のおばが、月子へ行った仕打ちを注意するようなことを言い、良く良く聞けば、月子の事ではなく畳の事を心配している。
他の者達からの、嫌がらせよりも、この佐紀子の物言いは、月子には、こたえるものだった。
──まあ、その通り。さすが、佐紀子様!──
毎回、屋敷の者達は、佐紀子の言葉に正当性があると、称賛する始末で、そんな、佐紀子のやり方が、月子を常に追い詰めていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!