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無名
27
桜城
#失恋
霞月 つむぎ 🌌🐈⬛🪽
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「一回だけ、廃墟に泊まったことがある」
オカルト好きの先輩が、何気ない調子でそんなことを口にした。
私も肝試しをした経験はあるし、若気の至りで廃墟へ足を踏み入れたこともある。ただ、そこで一晩を過ごそうなどと考えたことは一度もない。
「泊まったって……一晩ですか?」
「オカルト掲示板に上げるネタを作りたかったんだよ」
当時はまだ今ほどSNSの種類も多くなく、ネットで怪談や心霊スポットの情報を探すなら、巨大掲示板を覗くのが定番だった。
「××町の山の方に、廃墟になった洋館があるって聞いてさ。おもしろそうだったから行こうって思ったんだ」
本来は同じ趣味を持つ友人たちと向かうつもりだったらしいが、どうしても全員の予定が合わず、一刻も早く現地を見たかった先輩は、結局一人で行くことにしたという。
「言っとくけど、最初から泊まるつもりだったわけじゃないからな?」
「じゃあ、なんで泊まることになったんです?」
普通なら、頼まれたところで泊まりたくない。
それでも怖い話が大好物だった私は、すでに続きを聞きたくて仕方がなかった。
「雨、降ってきやがったな……しかも、かなりひどい」
洋館の二階を探索していた時、屋根や窓を激しく叩く雨音に気づいたという。
山奥というほど人里離れた場所ではなかったものの、かつて林道だったと思われる道はすっかり荒れ、獣道と化していたため、先輩はコンビニにバイクを停め、そこから洋館まで歩いてきていた。
天気予報にも雨の印は出ていたが、せいぜい小雨程度だったはず。
ところが窓の外には、滝のような雨が降っている。
ガラス越しの景色は激しい雨に歪み、少し離れた場所にあるコンビニの明かりだけがぼんやりと浮かんでいた。それ以外に見えるものといえば、暗闇の中へまばらに続く外灯くらいだったという。
「これ、止むのか……?」
折り畳み傘もレインコートも持ってはいた。
それでも、足元すら満足に見えない夜の獣道を、豪雨の中で歩くのは危険すぎる。幸い暑くも寒くもない季節だったため、雨脚が弱まるまでは洋館に留まろうと決めたそうだ。
先に言ってしまえば、その建物には特別な曰くなどなかった。
凄惨な事件が起きたわけでもなく、誰かが命を落としたという話もない。ただ住む人がいなくなり、長い年月をかけて朽ちていっただけの古い洋館である。
過去に侵入した者達の仕業なのか、室内には荒らされた跡が目立っていたものの、床が抜け落ちているような危険な状態でもなかった。
先輩は外を見渡せる二階の一室を拠点に決め、転がっていた椅子を窓辺へ運ぶと、そこへ腰を下ろした。
あとは、雨が止むのを待つだけ。
ところが、いつまで経っても雨脚は弱まらない。
いい加減うんざりしてきた頃、窓の外に赤い光が見えた。
遠くで、ゆっくりと明滅しており、目を凝らして見てみると、どうやらパトカーの赤色灯らしい。
雨に霞んだ夜景の中を赤い光だけが断続的に染めており、それが妙に生々しく映ったという。
(コンビニで何かあったのかな)
最初はその程度にしか考えなかった。
雨音が激しく、サイレンの有無まではわからない。ただ、赤色灯だけを回して走っているように見えたので、地域の防犯パトロールか何かだろうと思ったらしい。
だが、パトカーはコンビニを通り過ぎた。
その瞬間、先輩の胸に小さな違和感が芽生えた。
赤い光が、こちらへ近づいてくる。
まさかと思って見ているうち、パトカーは洋館へ続く道の入口で停車した。
「……何しに来たんだ?」
急に心臓が騒ぎ始める。
廃墟へ誰かが忍び込んでいるのを近隣住民が見つけ、警察へ通報する――そういう話なら理解できる。
しかし、その日は誰にも見られていないはずだった。
コンビニで飲み物を買い、店を出たあと、そのまま何食わぬ顔で敷地外へ歩いて出ていっただけ。周囲に人影はなかったという。
(店員が通報したのか?)
そう考えてみたものの、若者が徒歩でどこへ向かったのかまで、店員がわざわざ気にしていたとも思えない。
それに、仮に通報があったとしても妙だった。
警察が来るほど不審に思われていたのなら、もっと早く到着しそうなものだ。
雨の影響で建物の様子を確認しに来た可能性も考えたが、わざわざこの廃墟だけを見回る理由がわからない。
いくつもの考えが頭の中を巡っている間に、パトカーの運転席が開いた。
一人の警察官が、雨の中へ下りてくる。
「それで、不法侵入が見つかったと?」
そこまで聞いた私は、少し肩透かしを食らっていた。
怖い話だと思って聞いていたのに、警察に見つかったというオチなら、恐怖の種類がずいぶん違う。
ところが先輩は首を横に振った。
「いや、見つからなかった」
「じゃあ、警察は何しに来たんです?」
「それが、わからないんだよ……」
先輩によれば、警察官は一度も洋館の中へ入ってこなかったらしい。
懐中電灯でも使っていたのか、建物の周囲をゆっくり歩きながら、何かを確かめるように敷地内を見回っていたという。
「時々、立ち止まるんだよ。しゃがんで、地面をじっと見たりしてさ」
「人を探してる感じではなかったんですか?」
「少なくとも、俺にはそう見えなかったな。窓を覗くわけでもないし、建物に入ろうともしない。一通り見たら、そのまま帰っていった」
「そのまま?」
「ああ。来た道を引き返して」
その言葉を聞いて、少し引っかかった。
パトロールの途中で偶然洋館に立ち寄ったのなら、そのまま先へ進んでもおかしくない。
けれど警察官は、わざわざ洋館まで来て、敷地を確認すると元来た道へ引き返した。
つまり、少なくともその警察官は、最初から洋館を目指して来たのだろう。
「結局、何を見てたんです?」
「雨が上がってから帰る時にな、警官がしゃがんでた辺りを見てみたんだよ」
そこにあったのは、荒れ放題の花壇や土の入った古いプランターで、特別なものは何もなかったという。
「花とか咲いてませんでした?」
思わずそう尋ねた。
花壇と聞いて、真っ先に連想したものがあったからだ。
昔から小説や怪談には、花の下に何かが埋まっているという話がある。なかでも紫陽花は、土壌によって花の色が変わる性質があるため、ミステリー作品などでも不穏な象徴として扱われることが少なくない。
先輩も同じことを考えたらしい。
「俺も、紫陽花でも咲いてれば話としては出来すぎだなと思ったよ。でも何もない。雑草だらけの、ただの花壇だった」
「じゃあ、本当に何を見てたんでしょうね?」
「さあな」
先輩は肩をすくめた。
「仮に何か埋まってたとしても、何年も放置されてるような場所だったし。それならプランターまで一個一個確認する理由もよくわからないだろ?」
そこで、話は終わった。
先輩はそのまま帰ってしまい、部室には私一人が残される。
けれど頭の中には、答えのない疑問だけが残った。
なぜ、あの警察官は深夜の廃墟へ来たのか?
雨の中、花壇やプランターの前でしゃがみ込み、いったい何を確認していたのだろう?
先輩の姿を探していたのなら、建物の中へ入るはず。
何かの通報を受けていたのなら、それらしい動きがあってもよさそうなものだ。
それなのに警察官は、何も見つけようとせず、何も持ち帰らず、ただ地面を確かめるようにして帰っていった。
花壇を掘り返してみれば、何かわかるのだろうか?
古びたプランターの土を全部ひっくり返せば、その夜、警察官が探していたものに辿り着けるのかもしれない。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎった。
(行けばわかるのかな……)
確かめに行く勇気は、私にはなかった。
※この話は、肝試しや廃墟への侵入などの行為を助長するものではありません。他人の土地や建物へ許可なく立ち入る行為は、法令に触れる場合があります。絶対に真似をしないでください。
コメント
1件
うわ、めっちゃ気になる……!途中まで「警察来ただけじゃん?」と思ったけど、全然違った。警官がわざわざ廃墟まで来て、建物には入らず地面だけ調べて帰るって、めっちゃ不穏じゃないですか。あの花壇、絶対何か埋まってますよね…続きがめちゃくちゃ気になる!👀🌙