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天に倦み飽きた太陽が空を下り始める頃、地上の悲劇はようやく幕が下りる。港町アクトートに溢れていた全ての魔物が溶け去った時、魔法少女ユカリは灯台の上で、まだ外をうろついている者がいないか見渡していた。しかし哀れな異形の獣たちが全て溶け去っていることに気づき、戦いの終わりを知る。そしてもう一つ、北から侵入してきた魔物たちは町全体に広がっていたが、大多数がこの灯台の方向に向かっていたことに気づく。
昼間なので光は灯っていなかったが、この灯台は町で最も大きな建物なので目立っているといえばその通りだ。しかし魔物が自分で考えたにせよ、クオルが事細かく命じたにせよ、灯台を目指す理由はユカリに想像もつかなかった。
ふと、町中に工房馬車を発見する。屋根は剥がれ、壁の塗装は落ちて、派手派手しい姿は見るも無残な廃墟の如く変じている。その屋根の上で魔物が溶けずにただ伸びていることに気づく。ユカリはグリュエーに吹かれて工房馬車へ向かい、変身を解きながら降り立つ。魔物はユカリの想像上の母親の姿、焚書官の姿になった。
「お疲れ、レモニカ。怪我はない?」
壮絶な戦いは想像できたが、ユカリは努めて戦いの終わりに相応しい優しい声音で語り掛けた。
「ありますが、何ともありませんわ」と言って、レモニカは誇らしげに微笑んだ。
その微笑みは夜までもたなかった。
戦いの後片付けは焚書官たちが指揮し、ユカリとベルニージュ、レモニカ、そしてサイスが辛うじて形を保つ工房馬車に会した。工房馬車の庭の前の大きな部屋で、がらくたのようになった机と椅子を集め、今日のことを報告することにした。
開口一番、サイスはユカリたちを糾弾する。
「魔物たちがどこへ向かっていたか気づいたか?」
ベルニージュは何も言わず、レモニカはサイスの声に驚きながらユカリとベルニージュに答えを求めるように目を向ける。
「えっと、灯台ですか?」とユカリは恐る恐る答える。
「惜しい」とベルニージュが呟くと、
サイスの声が張り詰める。「レブネ氏の館だ。君らの実験の、禁忌文字の光だ」
「だから何?」とベルニージュは返す。「光ったから魔物が来たわけじゃない。初めからこの街に魔物たちは向かっていたのでなければ間に合わない。町にやって来た後で光を見て集まってきただけ。責められるいわれはない」
サイスもすぐさま言い返す。「だが闇雲に光らせることなく、町の外で光らせたなら魔物の被害はずっと少なかったはずだ」
「魔物が来ることを知っていたならね? 魔物が光に向かうことを知っていたならね? 結果論だよ」
自分の過ちに気づきつつもサイスは言葉を連ねる。「そうでなくても、あの光が人心に不安を与えていることは前に言ったはずだ! どうすれば町中で光らせようと思えるんだ!?」
ベルニージュも負けじと声を張る。「十分な真珠と天秤を得つつ、倫理とやらに反しないためだよ!」
「もうやめてよ。二人とも言い合うために言い合ってない?」とユカリは静かに、しかしはっきりと言う。「私たちはまだまだ協力する必要があるんだから。反省になじり合いは必要ないでしょ? あとレブネ氏が悪党だったとしても真珠を奪っていいことにはならない、と私が主張した。考えは変わらないけど、ごめんなさい」
「ユカリが謝る必要ない」ベルニージュはサイスを睨みつけて言う。「あとワタシはユカリを責めたかったわけじゃないからね」
「分かってるよ。ありがとう」
そう言ったユカリはレモニカに目を向ける。少し落ち込んでいるように見えた。どうやら【天罰】を光らせたことに責任を感じさせてしまったらしい。
その後、いくつかの情報を共有するが、結局、報告の中に新しい知見に至るものはなかった。
「クオルがこちらの位置をどこまで把握できるのか分からない。急を要する報告以外は後にしよう」サイスは立ち上がって言い、三人娘に確認するように順に顔を見る。「これ以上この町に被害を出したくないならすぐにでも発つぞ」
「分かりました。また後で」とユカリは言い、サイスを見送る。
ユカリは再びレモニカの隣に座り、その手を取って優しく言う。「レモニカ。不幸な事態だったけど、避けようのない状況の中で私たちはよくやったと思うよ。ベルも言ったけど、私たちはより良い方法を模索したわけで。仮に魔物の接近を知っていたとしても、一切の被害を防ぐことはできない。まあ、慰めにはならないか」
そう言った後、ユカリは少し自分が変わってしまっていることに気づいたが、何がどう変わってしまったのか上手く言い表すことはできなかった。
レモニカは俯いて、吐き出すように言う。
「わたくしは生まれたその瞬間から他人を不幸にしてきたんです」
「その呪いのこと?」とベルニージュが尋ねるとレモニカ小さく頷く。
「母はわたくしが生まれた時に死にました。当然です。世界で一番嫌いな何かが自分の腹から産まれ出てきたのですから。その心への衝撃は計り知れません。わたくしは、わたくしが憎いのです」
ユカリもまた衝撃を受けていた。なぜ自身がそのことに思い当たらなかったのか、分からない。
ユカリは言葉の上でもその出生について触れることができそうになかった。
だから「一番悪いのはレモニカに呪いをかけた者だよ」と少しだけ話をそらしてしまった。
そのような言葉をかけても少しだってレモニカの気持ちが安らぐことはないだろう、とユカリにもよく分かっていた。
むしろレモニカはより落ち込んでさえいるようだった。
サンヴィアの名よりも古いサンヴィアの盟主国、トンド王国は果てなく広い涯平原のその向こう、北東の岬にその王都を構えている。遠く北へ、高く空へ伸びる岬の、良く鍛え上げられた剣のように鋭い突端には北バイナ海に挑みかかるようにして、城壁に隠れることのない壮麗なる王宮が築かれている。
何れの時代にも王宮を攻め落とすべく海から攻め込んだ船はあったが、功を奏した例はなかった。天然の防壁である岸壁には幾重にも穿たれた物見回廊があり、無数の狭間が水平線に睨みを利かせている。
サンヴィア各都市の例に漏れず、王都トンドにもまた広大な地下空間が存在する。宮殿直下、及び岸壁周辺は地下の砦であり、世の定まらぬ時代には名の知れた英雄たちが海の神々や怪物たちと戦い、宿命を交わした戦場でもあった。
扇状に広がる都を守る黒の防壁は悠久の歴史の中で幾度か打ち崩されこともあったが、その度に積み増された日干し煉瓦は来る夜のように黒々としている。そして氷の魔術を纏い、次の戦を身構えていたのだろう。しかし黒の防壁は戦に臨むことすらできず、蹂躙された都に涙を流すこともできずにいる。
クオルは壁門に施された無窮にして美麗な氷の魔術を難なく解かし、誇り高い黒の防壁に一瞥を向けることもなく通り抜けたのだった。
夜闇に溶けた黒の防壁から、あるいはお喋りな星々の瞬きから身を隠すようにして、木立の陰で工房馬車は蹲っていた。その内部はユカリ、ベルニージュ、レモニカ、ユビスに加え、焚書官全員が入る余裕があり、来るべき時に備えて身を休めている。
ユカリは二階の暗い寝室の少し欠けた硝子窓から、冴え冴えしい星空を見上げて両手を組み、しかし何を祈るべきか迷う。これから何に臨むかを考えれば武運だろうか。だがそんなものを祈ったことも望んだこともなかった。
その時「ラミスカ」と呼びかけられ、ユカリはむっとして振り返る。
薄暗闇にベルニージュと大男の姿のレモニカが立っていた。妙な雰囲気にユカリはたじろぐ。
「つい先日決めたばかりだと思うんだけど? その名は捨てた、ってわけでもないけど。寝かせておいて」
「失礼いたしました」大男レモニカは姿に似合わず委縮する。「でも今日だけはラミスカさまと呼ばせてください」
ユカリは目を細め、何かを見極めようとベルニージュの方を見るが、目をそらされる。こちらも似つかわしくない態度だ。
「改めて、ってなると、何だか恥ずかしい、ね。ラミスカ」とベルニージュは歯に言葉でも引っかかっているかのように詰まりながら言う。
ユカリは不審な眼差しを二人に向けて言う。「ちょっと怖くなってきたんだけど。説明してくれないの?」
レモニカがユカリのもとに歩み寄り、焚書官の姿になって、その鉄仮面に星の輝きを受け止める。
「わたくしたち、ユカリさまではなくて、ラミスカさまをお祝いしたいのですわ」
そしてレモニカの後ろでベルニージュが背中に隠していたらしい布のようなものを広げて見せる。
「ああ、よく見えないか」
そう言うとベルニージュはユカリやレモニカには聞き取れない呪文を何度も何度も唱え、部屋中に炎を飾る。まるで星々の仲間に入ったような風景が広がる。
そしてベルニージュが両手で広げたものが菖蒲色の革の外套だと知る。
「これを私に?」ユカリはベルニージュから外套を受け取り、肌触りを確かめるように撫でる。「綺麗。こんな色に染められた革なんて見たことない。羊?」
「鹿。着てみて。まだ調整があるから」とベルニージュは言ってユカリの背中に回り込む。
「調整?」ユカリは着ていた茶色の羊革の外套を脱いで言う。「こっちが誕生日の贈り物だと思ってたんだけど。じゃあこの外套は何だったの?」
「何だったのってただの防寒着だよ」とベルニージュは苦笑いして答える。「今度のはあまり厚くないからね。サンヴィアなら春の終わりくらいまで着れるんじゃないかな」
ユカリはベルニージュのなすがままに新たな外套を羽織る。「身幅も袖丈もぴったりだよ。ぴったり過ぎる。いつの間に計ったの?」
「いつだって計れますわ」レモニカはくすくすと笑う。「多少無茶してもユカリさまは起きませんもの」
「なるほど」ユカリはベルニージュが何事かを呟いていることに気づく。「ねえ? 呪文唱えてない? 何する気?」
菖蒲色の外套が一瞬身震いした。
「もう終わった。ちょっとグリュエーの力で飛んでみて」そう言うとベルニージュとレモニカはユカリから距離をとる。
「え? うん。グリュエーお願い」ユカリは窓を少し開けてグリュエーを招き入れ、室内で舞い上がる。「ん? おお? んん? 何か違う。何が違うの? 何これ。あ! 分かった」
ユカリは空中で縦に横に回転し、壁を蹴り、天井を転がり、自由自在に飛び回る。
「好きな体勢になれるし、平衡感覚がはっきりするし、血が昇らないし、視界が広がる! しかも天井で寝れる!」そう言ってユカリは天井に寝転がる。「あと温かい」
次の瞬間、ユカリは床へと落下した。
「グリュエー!」ユカリは目尻を吊り上げ、何となく窓を見上げて言った。
「全部グリュエーがいればこそなんだからね!」と言ってグリュエーは窓蓋をがたがたと揺らす。
「大丈夫ですか? ユカリさま」
レモニカに助け起こされつつユカリは言う。「うん。拗ねちゃっただけだから」
ユカリはレモニカを抱き締め、ベルニージュを見つめて言う。「ありがとう、二人とも」