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報道から2週間が過ぎた。
結局、保健所の検査でも異物は発見されなかった。
世間も、悪戯だったんじゃないかと思い始めているし、おじさまも賢介さんも自宅に帰れるようになり、やっと普段の生活に戻った。
「藤沢」
社員食堂で、珍しく翼が声をかけてきた。
「どうしたの?」
最近は仕事が忙しくて、会うのも久しぶり。
「騒ぎも大分落ち着いたみたいだな」
私のとなりの席にに座る翼。
「このまま終息してくれればいいんだけれどね」
「そうだな」
ランチの天津飯と棒々鶏を食べながら、私はチラチラと翼を見る。
「で、何?」
目立つことが嫌いな翼がわざわざ私に近づいてくるってことは、何かあるに違いない。
それが気になった。
「それなんだが・・」
翼は持っていた持っていたコーヒーを置いた。
そもそも、翼が人前で声をかけてくることは珍しい。
見た目は誰が見ても100点満点。
整った顔とスマートな身のこなしで、仕事が出来るくせに寡黙なところが年上お姉さん達にも人気がある翼。
そんな人と一緒にいれば嫌でも目立ってしまう。
翼もそれが分かっているから、わざわざ接近したりはしないはずなのに・・・
***
「あなた達、随分目立ってるわね」
今度は麗が現れた。
「麗に言われたくないわよ」
あなただって、十分存在感を醸し出していますよ。
出来れば、私はこの場から逃げ出したい。
この2人といると、周りからの視線が痛い。
「翼の用事って、美優のこと?」
席に着いた麗が、翼に訊く。
「ああ」
翼が頷いた。
何?
「どういうこと?」
「これよ」
麗が携帯を差し出した。
えっ。
その画像を見た私は、絶句した。
「何、これ?」
やっと出た言葉がそれだった。
麗の携帯に映っていたのは美優さんの顔。
それもただの顔写真では無くて・・・
唇から血を流し、目は腫れ上がり、頬にはいくつもの切り傷。
これって、DV 写真だ。
「ねえ、一体どういうことなの?」
私は状況が理解できず苛立った声を上げてしまった。
「琴子、落ち着け」
翼に言われて、さすがに周りを見る。
どうやら声が大きくなっていたらしく、周囲の注目を集めてしまった。
「ごめん。で、何なの?」
「写真のタイトルは『デートDV』。どうやら賢兄にやられたって言いたいようね」
麗もあきれ顔だ。
はああ?
「何馬鹿なこと言ってるのよ。賢介さんがそんな事するわけないでしょう?」
また、私の声が大きくなる。
「賢兄がそんな人じゃないことぐらい分かってるわよ。でも、美優はそう主張しているの」
どうやら麗も怒っているらしい。
何で・・・こんな馬鹿なこと・・・
美優さんは一体何がしたいんだろうか?
「その写真。立花は誰にもらったの?」
翼も自分の携帯から同じ写真を見せながら訊く。
「モデル時代の友達からもらったのよ」
「俺は、バイト時代の仲間から」
二人が別々に手に入れているって事は、広まるのも時間の問題。
「賢兄に、知らせる?」
麗が私の顔を覗き込む。
「いいえ。まずは、美優さんに事情を聞きたい」
***
その日の勤務後、私は美優さんに連絡を取り会う約束を取り付けた。
場所は会社近くのカフェ。
若い子も多く利用する人気店。
「琴子、賢兄には言わなくていいの?」
なぜか着いてきた麗が、心配そうに声をかける。
そりゃあいつかは賢介さんに話さなくちゃいけないけれど、今はすべて憶測の域。
美優さんの言い分を聞いて、本心を確かめてからでないと何も言えない。
「まずは美優さんの話しを聞きたいの」
運ばれてきたオレンジジュースに口をつけながら、私は美優さんを待った。
「来たみたいだ」
同じくついてきた翼が入り口を指さす。
「ごめんなさい。お待たせしました」
いかにもモデルって風貌で店内の注目を集めながら、美優さんは近づいてきた。
「3人お揃いね」
意地悪な笑顔。
「急に呼び出してごめんなさい」
私はまず謝った。
「かまわないわ。私にも言いたいことがあるし」
相変わらず笑顔を作ってはいるが・・・目が怖い。
これは戦う目だ。
この時、私は確信した。
美優さんは私が嫌いなのだと。
もちろん、以前の食事の席でされた事を考えれば、好かれてないのは分かっていた。
でも、今の彼女は私に憎しみを向けている。
***
「私、何かしましたか?」
美優さんの挑戦的な眼差しの理由が思い当たらなくて、つい口走った。
クスッと、翼が笑う。
「琴子、いいから本題に入りなさい」
麗がたまりかねて口を出した。
ああ。
そうだった。
「美優さん。これ、何ですか?」
私は真っ直ぐに美優さんを見て、写真を差し出した。
ふふ。
一瞬、美優さんが笑ったように見えた。
「こんな物が世間に出れば、みんな困ったことになります。誰の特にもなりませんよ」
不思議に思っていた事をストレートにぶつける。
しかし、
「そうとは限らないわ」
美優さんの突き刺さりそうな視線が、私に向けられた。
睨み付けるように私を見る美優さん。
「私はあなたが出会うよりずーっと前から賢介さんのことが好きだったの。愛しているって気持ちは誰にも負けない。いつか私の方を振り向いてくれると思っていたわ。それなのに・・・」
「私は何も・・・」
何もしていない。
何も求めてはいない。
「ただの居候ですって?大嘘つき」
そんな・・・
「私は本当に」
ただの居候なんです。と言いかけて、言葉を飲んだ。
確かに、私は賢介さんに惹かれている。
その気持ちに、必死にストップをかけている。
「あなたは、自分でも分かっているはずよ。賢介さんが今誰を愛しているのか分かっていて、気付かないふりをしている。卑怯者!」
憎しみの込められた言葉に、私の心が折れていく。
***
「もういいだろう、いい加減本題に入ろう」
翼が改めて写真を差し出す。
「何の写真だ?」
「先月、自宅の階段から落ちた時の写真」
「随分、大怪我ね」
麗の冷めた声。
「そうなのよ。モデルのくせに顔に怪我なんて困っちゃったわ。麗なら分かるでしょう?」
美優さんが営業スマイルで答える。
やっぱり、この人怖いかも。
「専務には関係ないんだな?」
翼が核心を突く。
「もちろん。私の不注意なんですもの」
運ばれてきたアイスコーヒーを受け取りながら、
「心配させて、ごめんなさい」
と謝った。
「じゃあ、何で『デートDV』なんてタイトルになるのよ」
苛立ちを含んだ麗声。
「それは、私には分からない」
言いながら時計をチラッと見た美優さん。
美優さんの話はおかしい。
そもそもモデルが、怪我をした顔の写真を撮るだろうか?
普通なら、隠しておきたいと思うはず。
ましてや、アップするとか考えられない。
それに、
美優さんは『デートDV』とタイトルのついた写真が出回っていることを知っていた。
諸一の上で放置していた。それは、わざととしか思えない。
「美優さん。あなた嘘つきですね」
「はあ?」
思い切り睨まれた。
***
「いい加減本音で話しましょうよ。何でこんなことをするの?何がしたいの?」
私はイライラしながら問い詰めた。
すると急に美優さんが真面目な顔になった。
「私は琴子さんが思う以上に賢介さんのことが好きなの。誰にも渡したくない。あなたに奪われるくらいなら、壊してしまいたい」
壊すって・・・
「美優、あなたが壊れてるわ」
ポツリと、麗が呟いた。
すると突然、
パシャッ
美優さんがコップの水を麗にかけた。
「美優!」
麗が立ち上がり、美優さんの肩をつかむ。
「キャー、やめて」
美優さんが叫んだ。
もみ合いになる麗と美優さん。
周りのお客さんも私たちを見ている。
翼も止めるけれど収拾が付かなくて、店内が騒然としだした。
その時、
「やめなさい」
聞き慣れた声が耳に入ってきた。
それも相当機嫌の悪いときの・・・賢介さん。
***
次の瞬間。
「賢介さーん」
美優さんが賢介さん元に飛び込んだ。
私も、麗も、翼も、事態が飲み込めず呆然と立ち尽くした。
「何してるんだ」
冷静な口調で、私たち3人を見る賢介さん。
「美優と話をしていただけよ」
麗が答えるが、
「違うわ。3人で私を責めるの。私は何もしていないのに・・・」
泣きながら賢介さんにすがる美優さん。
私は直感した。
これはすべて美優さんが仕組んだ事。
私たちから呼び出された時点でこの展開を予想していたんだろう。
さっきからチラチラと時間を気にしていたのも、賢介さんが来るタイミングを計っていたからだ。
なんて怖い人。
「賢兄。まさか、その女の言うことを信じるわけじゃないわよね」
麗が詰め寄るが、
「麗」
窘めるように麗を見返す賢介さん。
「とにかく、ここを出ませんか?」
翼が口を開いた。
確かに、今の私たちはかなり目立っている。
「事情は改めて聞くとして、今日は帰りなさい」
溜息混じりに賢介さんが言う。
「坂井。麗を送ってくれるか?」
「はい」
「君は史也に送らせる。また改めて話そう」
それは美優さんに向けた言葉。
「琴子、帰るよ」
そう言うと、私の手を取る賢介さん。
「えっ、でも・・・」
「いいから、来なさい」
なんだか怒っているみたい。
***
「待って。これが、賢介さんの答えですか?」
美優さんが大きな声を上げた。
その場にいるみんなが美優さんを見つめる。
「そうとってもらってもかまわない」
冷たい目をした賢介さん。
「どうなっても知りませんよ」
吐き捨てるような言葉。
「賢介さん。私は1人で帰れますから、美優さんを送ってあげてください」
美優さんの写真のことが頭をかすめて、つい言ってしまった。
しかし、
「琴子。いいから帰るんだ」
ピシャリと言われ、返す言葉がない。
結局、
翼が麗を送り、三崎さんが美優さんを送り、私は賢介さんの車で自宅に向かった。
「危ない事はしないって約束したはずだろう?」
「・・・」
「何で言わなかった?」
「美優さんの話を聞いてからと思って」
「無駄だよ。彼女は今冷静に話せる状態じゃない」
確かに、そうかもしれない。
直接会ってみて私もそう感じた。
でも、だからこそ、あの写真はまずい。
「写真のことも知っていたんですか?」
「ああ」
そうだよね。
私たちの耳に入っているくらいだから、賢介さんが知らないわけがない。
「何とか穏便に済ませたかったんだけどね」
その表情が辛そうだった。
もし私たちの行動が美優さんの背中を押すことになったら・・・どうしよう。
***
嫌な予感って的中するもので、
翌日のネット上には美優さんの写真が溢れた。
モデルとして、決して特になることのない写真。
でも、彼女はあえてアップした。
きっと、それほど賢介さんに固執しているって事。
昨日、美優さんは『奪われるくらいなら壊してしまいたい』と言った。
その気持ちが、私には理解できない。
「琴子」
社員食堂に座る私を麗が呼ぶ。
私は無言で顔を上げた。
普段昼食を食べない麗がここに来るのは、理由があるから。
「困ったことになったわね」
「そうね」
きっと美優さんの事だろう。
実際、会社の前には記者らしき人達が集まっている。
「賢兄は、何か言ってた?」
「何もするなって、念を押された」
ふーん。と、オレンジジュースを口にする麗。
「私たちのせいだよね」
聞かなくたって分かったこと。
昨日、私たちが美優さんの神経を逆なでしたから、こんなことになってしまった。
「琴子はこのまま黙って見てる気なの?」
「何とかしたいけれど、賢介さんには止められてるし、方法がないでしょう?」
しばらくは事態の推移を見守ることしか出来ない。
「モデル仲間や、知り合いにも何か知らないか聞いてみるわ」
珍しく麗が積極的。
「ありがとう」
「馬鹿。琴子のためじゃないわよ。それに、翼が『この前の異物混入も美優の仕業なんじゃないか』って言うのよ」
そんな・・・
まさか、そんなことまで・・・
「まあ、調べてみるから」
こんな時、翼も麗は頼もしい。
私だけが何も出来ない。
***
はああー。
大きな溜息をついたとき、
ブブブ ブブブ
メールが来た。
『平石陸仁』
ヤバッ。
慌てて携帯を隠し、
「ごめん戻るわ。また連絡するから」
麗に手を振り、私は席を立った。
『琴子ちゃん。美味しいパンケーキの店を見つけたんだ。一緒に行こうよ』
最近では3日に1度は来るお誘いのメール。
ああ、何て呑気なんだろう。
そんな気分じゃないのに・・・
でも、返事はしなくちゃ。
『今、忙しくて行けそうにありません。ごめんなさい』
忙しいのは嘘ではない。
そして、もしかしたら陸仁さんならこの事態を解決することができるんじゃないだろうか?
ふと、そんなことを考えた。
ダメダメ。
そんなことを賢介さんが許すわけがない。
***
美優さんの写真は『デートDV』のタイトルをつけてネット上を駆け抜けた。数日後には、スポーツ紙の紙面を飾り、ワイドショーでも取り上げられることになった。
さすがに、美優さん自身は何のコメントも出さない。
それでも、全治3週間の診断書が出ただの、賢介さんと美優さんがもめているところを見た人がいるだのと噂だけが大きくなっていった。
賢介さんは無言を貫き、黙々と仕事をしている。
責任を感じ何とかしなくてはと焦る気持ちだけが大きくなる私は、賢介さんに合わせる顔もない。
「琴子ちゃん。麗ちゃんと食事はいいけれど、あまり遅くならないでね」
「はーい」
心配するおばさまにできるだけ明るく返事をする。
私は怒りを共有する麗と翼に会うため、週末の作戦会議へと向かった。
***
3人が集まったのは行きつけの大衆居酒屋。
このザワザワした感じが、なぜか落ち着く。
「で、何か分かったの?」
麗が翼を見た。
「うーん。異物混入の投稿をしたのは二人。別々のサイトからで、一人は大学生。もう一人はサラリーマン」
「計画的にガセネタを流した訳ではないのね?」
麗が核心を突く。
「正直、それは分からない。俺の知り合いに大学生を知ってるって奴がいてそいつの話によると、最近やたら金回りがいいらしい」
「怪しいじゃない」
確かに。
もし誰かの嫌がらせだとすれば、実行してくれた人にはお金を出すだろうから。
「ただ、これ以上は本人から無理矢理聞き出すか、警察にでも訴えて金の流れを調べてもらうか。どちらにしても、俺たちの手には負えないだろう」
「そうね」
枝豆に手を伸ばしながら、麗が悔しそうな表情をした。
「美優さんの怪我はどうなの?」
ウーロン茶を飲みながら、私は麗を見る。
「嘘に決まってるでしょう?ただ、嘘だって証拠がないのよ。それどころか、都内のクリニックで診断書まで書かせてるらしくて」
診断書?
じゃあ、本当に怪我したって事?
「診断書なんて、金を積まれれば書く医者もいるのよ。嘘はダメだけれど、必用なところだけを誇張したり、都合の悪い事は消したりしてね。美優の場合もそんなクリニックの医者」
お医者さんがそんなこと。
「立花知り合いじゃないの?」
翼が口を挟む。
「もちろん知ってるわよ。ただし、そんなことする医者に限って口が堅いの。弱みでも握らないことには本当のことは言わないわ」
なるほど。
どちらにしても私達には手が出せないらしい。
***
居酒屋で3時間ほど作戦を練った。
しかし、いい打開策は見つからず、
麗はダメ元でクリニックの医者に話を聞きに行くことになり、翼は友人を使って投稿した男達の周りを調べてみることになった。
「琴子は賢兄が何を考えているかを調べてよ。きっと何か策を弄しているはずだから」
麗に言われ、
「分かった」
と頷いた。
実はこの時、私にはもう一つの考えが浮かんでいた。
私の周りにも、セレブ専門の医者に口を割らせたり、異物混入事件のお金の流れを調べたり出来るだけの力を持った人が、1人だけいる。
それが、平石陸仁さん。
彼なら事件の真相を暴くことも出来るかも知れない。
***
麗と翼と別れ、自宅に帰ったのは9時過ぎだった。
さすがに土曜日だけあって、賢介さんもおじさまも家にいる。
「琴子お帰り」
幾分疲れた表情の賢介さん。
「ただいま」
挨拶はするものの、会話が続かない。
「麗達と、またよからぬ事を考えていたんじゃないよね?」
ちょっと笑いながら、許さないぞって見つめられた。
ふー。
賢介さんに向き直った私は、1つ息を吐き。
「じゃあ、賢介さんはどうするつもりですか?教えてください。そうすれば、余計な邪魔はしませんから」
珍しく強い口調で言ってしまった。
「そんな心配はしなくていいんだ。琴子は」
「いつまで子供扱いするんですかっ!」
つい、賢介さんの言葉を遮った。
「いっつも何も教えてくれなくて、私がそんなに信用できませんか?」
不思議そうに私を見る賢介さん。
「わかった、ついておいで」
いつもの優しい笑顔を引っ込めて、賢介さんは階段を上がっていく。
私は後を追った。
***
初めて入った賢介さんの部屋。
「座って」
ソファーに座るよう勧められた。
「お邪魔します」
シンプルで、でも高そうな皮のソファー。
使い込まれたのか、いい味が出ている。
「おとなしそうに見えて、猪突猛進だな。放っておくと何をしでかすか分からなくて、目が離せない」
呆れたような言葉。
きっと、私のことだよね。
「どうするつもりか教えてください。そうすれば私も余計なことはしません」
「ダメ。教えない」
はああ?
「前にも言ったよね。琴子はおとなしくしていなさい。危険なことはするな。琴子に動かれたら心配でたまらないんだ」
そう言ったきり、賢介さんは口を閉ざした。
きっと、これ以上は何も言わないだろう。
賢介さんにとって、いつまでも私は子供なんだ。
いいわ。
そういうことなら、私は私でやるだけ。