ブー ブー
相変わらず、2日と開けずに届く陸仁さんからのメール。
その誘いを、私はいつも断わっていた。
でも、陸仁さんに頼ってみようと決めた。
そのことで賢介さんとの関係が壊れたとしても、かまわない。
今の最優先事項は、賢介さんを守ること。
その為だったら、私は何でもする。
「ごめん。お待たせ」
さわやかな笑顔を向けて、陸仁さんは私の前に現れた。
「急にお呼びして、すみません」
「いいよ。ずっと誘ってたのは僕だから、嬉しい」
コーヒーを注文すると、陸仁さんが真っ直ぐ私を見る。
「でも、急に呼び出すって事は、何かあるんだよね?」
さすが、感づいてるか。
「はい。実は・・・」
私はすべてを打ち明ける決心をした。
母とおばさまが大学時代の友人だったこと。
母が亡くなってからはおばさまの援助で大学まで出たこと。
卒業後は平石家に居候していること。
私は完結に事実のみを話した。
「へー。そうなんだあ」
さすがに陸仁さんも驚いた様子だ。
「今まで黙っていてごめんなさい」
私は頭を下げた。
「いや、さすがに驚いたけれど・・・これで、なんとなく納得も出来た」
納得?
「変わった子だなあと思っていたんだ。工学部を出て受付にいるのも変だし、僕に対する態度も、凄く避けられてる気がしたしね。だから余計に興味を持ってしまった」
陸仁さんくらいの王子様なら、向こうから寄ってくる事はあっても、避けられたり逃げられたりって事はないのかも知れない。
だから、私が珍しかったのか・・・
「で、今それを打ち明けた理由は?」
ズバッと本題に入られて、
「えっと」
私は言い淀んだ。
***
「谷口美優さんのことはご存じですか?」
陸仁さんのコーヒーを口に運ぶ手が一瞬止まった。
「それは、谷口美優を個人的に知っているかって事?それとも、今話題になっている報道について知っているかって事?」
探るように訊く。
「後者です」
コトン。と、コーヒーカップを置いた陸仁さん。
「知っているよ。僕だって、新聞もネットも見るからね。で、それが?」
「今回のことは美優さんが私と賢介さんのことを誤解したのが原因なんです」
「誤解なの?」
なんだか冷たい声。
「ええ。私はただの居候ですから。でも、美優さんは信じてくれなくて、こんな騒ぎになってしまって」
「坊主憎けりゃ袈裟までって訳だ?」
「まあ、そういうことです」
「で、責任を感じている琴子ちゃんとしてはどうしたいの?」
「何とか解決したいんです」
「ふーん。でもなんで、賢介じゃなくて俺に言うの?」
あああ。
やはり、そう来たか。
「それは・・・陸仁さんの方が適任ではないかと・・・」
「はあ?どういう意味?」
陸仁さんが身を乗り出した。
「ですから・・・賢介さんは当事者ですし。これ以上騒ぎが大きくなるようなことは避けたいし・・・」
「賢介に火の粉がかかるようなことは困るけれど、俺ならいいと?」
「そんなつもりはありません!」
つい大声になってしまった。
チラチラと周りのお客さんを見る。
「ごめんなさい。本当にそんなつもりではないんです。ただ、デートDVの写真についても、異物混入についても、誰の仕業かはは大体分かっているのに、私や友人では調べられることに限界があって。陸仁さんならって、そう思っただけです」
ごめんなさい。と、頭を下げた。
「賢介には話した?」
「いいえ。関わるなって、止められているので」
「なら、なんで俺に相談しに来たの?賢介を怒らすと怖いよ」
「分かっています」
賢介さんにバレても、バレなくても、もう平石の家にはいられないと覚悟をしている。
この騒動さえ収まれば、私はまた元の生活に戻るつもりでいる。
「覚悟をしてるんだね」
「はい」
よそ見をせずに、真っ直ぐ陸仁さんの目を見て答えた。
***
「分かった、協力するよ。ただし、俺にも何かしらのメリットがないとね」
なんだかとても悪戯っぽい笑顔。
ん?
「確認だけど、琴子ちゃんは賢介とは何もないんだよね」
「はい。ただの同居人です」
ジーッと私を見る陸仁さん。
「じゃあ、俺と付き合ってくれる?」
え?
「それは、どういう・・・」
意味ですかと訊こうとして言葉が続かなかった。
「俺は琴子ちゃんの言う通りに、美優とその周辺を調べるから、その代わり一晩だけ俺に付き合ってよ」
一晩だけ・・・って事は、
「子供じゃないんだから、意味は分かるよね?」
ちょっとだけ考えて、私はコクンと頷いた。
「分かりました。何でもします」
ククク。
陸仁さんの笑い声。
「女の子の口から何でもしますなんて聞くと、期待しちゃうなあ」
いつもの軽口に戻った陸仁さん。
私は耳まで真っ赤になった。
陸仁さんは、異物混入を投稿した2人の身辺調査とお金の流れ、美優さんとの関係、美優さんの診断書を書いた医者について、すべて調べてみると約束してくれた。
私は
「よろしくお願いします」
深々と頭を下げた。
次回会うのは10日後、週末金曜日の夜。
「その日までに調べておくから」
と言ってもらった。
そして、その日はホテルのレストランで食事をしそのまま泊まっていく約束をした。
***
翌日から、私は身辺整理を始めた。
せっかく慣れてきた仕事も、仲良くなった先輩達とも、あと少しでお別れしなくてはならない。
せめて悔いのないように、精一杯の笑顔で受付に入る。
まだまだ美優さんの話題で世間は賑わっているため取材の記者や美優さんのファンによる冷やかしもあるが、そんな野次馬のようなお客様にも笑顔で対応した。
「琴子ちゃん。最近元気ね」
彩佳さんが声をかける。
「そうですか?」
へへへと、笑って見せた。
入社して約半年。
彩佳さんには本当によくしてもらった。
隠し事をしている私としては、後ろめたさ満載だけど、今はまだ何も言えない。
ごめんなさい、彩佳さん。
***
定時後は真っ直ぐ家に帰宅。
喜代さんやおばさまの手伝いをして夕食を作ったり、おばさまの買い物に付き合ったりと、残り少ない親子の時間を大切に過ごした。
「琴子ちゃん、来年のお正月は一緒におせちを作りましょうね。お雑煮は味噌でいいかしら?」
おばさまが嬉しそう。
「おせちなんて、作ったことないです。いつもはおばあちゃんの煮物くらいで、後はスーパーで買っていましたから。でも、お雑煮は醤油味でした」
きっと食べることのできないおばさまの手作りおせちを思いながら、私はおば様との時間を大切に過ごした。
「お醤油味のお雑煮、食べてみたいわね」
「今度作ります」
「楽しみね」
おばさまは本当に嬉しそう。
ごめんなさいおばさま。
せっかくお母さんが出来た気がしていたのに・・・
こんな形でお別れなんて・・・
本当に、ごめんなさい。
***
麗にも、翼にも、何も話さなかった。
「琴子、何か考えてるのか?」
昼食時の社員食堂で、翼が声をかける。
「別に・・・」
ごまかせないのは分かっていて、でも知らん顔してみる。
「ま、いいけど。無茶しすぎて、専務に心配かけるなよ」
「分かってる」
なんだか見透かされているようで、怖い。
「ねえ翼。落ち着いたら一緒に飲みに行こうよ。出来れば麗も一緒に。私、必ず連絡するから」
「何か、別れの挨拶みたいだな」
ギクッ。
「違うわよ。美優さんのことも後少しすれば落ち着くだろうから、そうなったらまた飲もうって言ってるの」
「ふーん」
勘がいいんだか鈍いんだか、翼は気のない返事。
出来ることなら、2人とはずっと友達でいたかった。
でも、無理だろうか・・・
***
幸せな時間は早く過ぎるもの。
片付けをしたり、少しずつ荷物をまとめたり、仕事の整理もしたり、私な残された時間を惜しむように過ごした。
「琴子ちゃん。今日は遅いの?」
出かけていく私にかけられたおばさまの声。
最近金曜日の定番になりつつある麗たちとの飲み会。
でも、今日だけはいつもと違った。
「麗と一緒に食事に行って、泊まってこようと思うんです。明日は早めに帰りますから」
「え?泊まってくるの?」
おばさまが台所から顔を覗かせた。
「はい。明日は土曜日だし、見たい映画のDVDを手に入れたらしいので」
ちょっと言い訳っぽいかな。
「分かったわ。飲み過ぎたらダメよ」
「はい」
元気に手を振り、私は平石の家を出た。
会社のロッカーも机の中もこっそり片付けた。
制服もクリーニングに出し、社員証と自宅の鍵を封筒に入れてポストに投函。
そして午後7時。
ホテルのレストランに到着した。
***
「いらっしゃいませ」
「平石です」
「ご案内いたします」
約束の時間ピッタリ。
案内された席には、すでに陸仁さんが待っていた。
「お待たせしました」
出来るだけ平気な顔をして、私は席に着く。
「逃げずに来たね」
おかしそうに笑う陸仁さん。
「私がお願いしたんです。逃げたりはしません」
いつもより少し大人っぽい格好をした私。
もう、覚悟は出来ている。
食事はフレンチのコース。
ゆっくり時間をかけて、楽しんだ。
大学時代の話や、やりたかったコンピュータープログラミングの仕事について、他愛もない話をしながら笑い合った。
「じゃあ、これが依頼されていたものだよ」
食事もほとんど終わりかけた頃、陸仁さんが差し出した。
それは、茶色い封筒。
A4サイズの中には、異物混入の投稿をした2人の氏名、住所、職業や大学名。口座の出入金記録の写し。その中に谷口美優の名前があった。
「やっぱり、美優さんがお金を入金していたんですね」
「そうみたいだね。これがあれば2人を訴えることが出来るよ」
本当だ。これは確実な証拠になる。
それから・・・美優さんの診断書。それに、写真?
「これは?」
よく分からなくて、陸仁さんを見上げた。
「この写真は、DV用のメイクをする前。全治3週間診断書はクリニックの医者が書いたものだけど、谷口美優に依頼されて書いたと告白した録音も入れておいた」
ああ、確かに。
封筒の中に小さなボイスコーダーが入っている。
「ありがとうございます」
封筒をギュッと握りしめて、私はお礼を言った。
「それにしても、何でそこまでするの?賢介とはただの同居人でしょ?」
コーヒーを口に運びながら、陸仁さんが見つめる。
「そうですね。何ででしょう?」
自分でも分からない。
「賢介のことが好きなんじゃないの?」
少しだけ、陸仁さんの顔が近づいてきた。
「もしそうなら、どうしますか?」
思わず言ってしまった。
もう、逃げられないと分かっているのに。
「じゃあ、行こうか?」
陸仁さんは私の質問には答えずに、席を立った。
無言のまま、私も続く。
***
陸仁さんが会計をすませ、レストランを出る。
真っ直ぐに廊下を進み、上層階の客室に向かうエレベーターを2人で待った。
ああ、もうこれで賢介さんとは会えない。
こんなことをした私を許してくれるはずもない。
「泣きそうだね」
ちょっとからかうように、陸仁さんが振り返った。
「そんなこと・・・」
ありませんと言いかけて、やめた。
確かに、今の私は泣きそうな顔をしている。
ピコン。
エレベーターのドアが開く。
私は陸仁さんとエレベーターに乗り込んだ。
その時、
もう1人、男性が駆け込んできた。
ええええ?
賢介さん。
「お前は馬鹿かっ」
大きな声で、怒鳴られた。
私は事態が飲み込めず、
ただ立ち尽くした。
「琴子ちゃん。自分に嘘をつくのはよくないよ。そんなことしても、誰も幸せにはなれない」
陸仁さんが真面目な顔をして言う。
「賢介、お前もあんまり怒るな。琴子ちゃんもお前のことを思ってしたんだ」
私をかばうように賢介さんを振り返り、手に持っていたキーを渡した。
「ああ」
賢介さんはそれしか言わない。
これは一体何の茶番だろうか?
出来ることなら、この場から消えてなくなりたい。
しかし、そうはいかなかった。
***
ギュッと、痛いくらいに腕を掴まれた。
「来い」
見たこともないような怖い顔で、賢介さんは私を連れて歩き出した。
着いたのは、最上階のスイートルーム。
引きずられるように部屋に入ると、寝室のベットに放り投げられた。
「危ないことはするな!」
叫ぶような声。
賢介さんがどれだけ怒っているのかが分かる。
私は起き上がろうとして、賢介さんが上から覆い被さってきた。
そして、乱暴なキス。
私は抵抗しない。
賢介さんの動きが止まった。
「何で、勝手なことをした?陸仁と寝るつもりだったのか?」
答えられなかった。
「俺から離れる気なのか?俺はお前なしでは生きられないのに、お前に俺は必要ないのか?」
苦しそうに、悲しそうに、賢介さんは問いかける。
そんなことはない。
私もあなたが好きだから、たとえ陸仁さんに抱かれても助けられたらそれで良かった。
ただ、あなたを助けたかった。
でも、口には出さなかった。
「ごめんなさい」
ただそれだけ言って、目を閉じた。
すべて承知の上でやったこと。
だから、私は何も言い訳しなかった。
しばらくの沈黙の後、
「もういい。勝手にしろ。もうお前を束縛しない。好きなところに住んで、好きな奴と付き合えばいい。もう知らない」
そう言い捨てて、賢介さんは出て行った。
1人残された私。
一晩中泣き続けた。
分かっていたことなのに。
自分が選んだ事なのに・・・