テラーノベル
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「最小人数でいきます。カメラ、照明、録音以外は退出してください」
助監督の声で、重い扉が閉まる。
スタッフが機材を調整するわずかな隙。勇斗が、俺の隣に腰を下ろした。
「……仁人。そんなに固くなるな」
「……わかってる。でも、どうしても、あの日のことが……」
「なら、一回ここで合わせるか」
勇斗が不意に、俺の手首を掴んでベッドに押し倒した。
「……っ、勇斗? まだ本番じゃ……」
「練習だよ。……どこまで触ったら仁人がどんな反応をするか、知っておかないと。皆に『最高の映画』だって見せたいだろ?」
勇斗の瞳は、真っ直ぐに俺を射抜いていた。
彼の膝が、俺の足の間に滑り込む。バスローブが乱れ、素肌と素肌が触れ合う。
「直実……」
勇斗が「航平」の声で囁く。
彼の顔が降りてきて、首筋に熱い吐息が吹きかけられた。
「あ、……ん、……っ」
敏感な場所を鼻先でなぞられ、俺の喉から震えた声が漏れる。勇斗の手が俺の腹部を這い、心臓の鼓動を確かめるように掌を押し当てた。
「……すごい速いな」
勇斗が顔を上げ、至近距離で俺を見る。その瞳は、もう「佐野勇斗」のものではなかった。
彼の唇が、俺の唇を優しく、けれど拒むことを許さない深さで塞いだ。
あの日よりもずっと、重くて甘いキス。
俺は無意識に、勇斗の広い肩を掴んでいた。
「……はい、準備できました! 二人とも、位置についてください」
スタッフの声が、魔法を解くように響いた。
勇斗はスッと俺から離れ、乱れた髪を無造作にかき上げた。
「……悪りぃ。でも、これで感覚は掴んだだろ」
彼は一度も振り返ることなく、スタート位置へと戻っていく。
俺はベッドに横たわったまま、激しく上下する胸を押さえていた。
勇斗は今、プロとして「練習」だと言った。
けれど、俺の手首を掴んでいた指先の震えも、あの深いキスの熱も、すべてが演技だとはどうしても思えなかった。
「本番行きます! シーン65、テイク1……スタート!」
カチンコの音が鳴り響く。
再び、勇斗が俺の上に重なる。
「直実……俺から離れるな」
航平としてのセリフ。けれど、俺の耳元に吹き付けられる吐息は、台本の文字以上に熱く、生々しい。
勇斗の唇が、俺の唇を塞ぐ。
撮影を重ねるごとに、彼のキスは深く、執拗になっていく。舌が絡み合うたびに、俺の思考は真っ白に塗り潰され、ただ勇斗の体温だけを探してしまう。
彼の大きな手が俺のシャツのボタンに掛かる。一つ、また一つと外され、冷たい空気が肌に触れる。けれど、すぐに勇斗の熱い胸板がそこを塞いだ。
「……っ、あ……」
俺の喉から漏れる声は、演技なのか、それとも本能なのか。
勇斗の指が俺の脇腹をなぞり、腰を引き寄せる。その力強さに、俺は逃げ場を失った獲物のような心境に陥る。
「……好きだ、仁人」
耳元で、勇斗が極めて小さな声で囁いた。
台本では「直実」のはずの場所。監督やスタッフに聞こえたかはわからない。けれど、俺にははっきりと届いた。
(……今、俺の名前、呼んだ……?)
驚きで目を見開いた俺の唇を、勇斗はさらに深く、貪るように塞いだ。
それは、カメラに向けた演技などではなく、一人の男としての、剥き出しの執着のように感じられた。
「……はい、カット! オッケー!」
監督の声が響いても、勇斗はしばらく俺から離れなかった。
俺の首筋に顔を埋めたまま、荒い呼吸を繰り返している。
「……勇斗?」
俺が小さく声をかけると、彼はようやく身体を起こした。
「……悪りぃ。……ちょっと、入り込みすぎた」
そう言って、彼は一度も俺の目を見ないまま、セットの外へと歩き出した。
俺は乱れたシャツを整えることも忘れ、ただ呆然と彼の背中を見送った。
今の「仁人」という呼びかけは、役作りとしてのミスなのか。
それとも、彼が日常の中で押し殺してきた本音だったのか。
カメラが止まれば、俺たちはまた「吉田仁人」「佐野勇斗」に戻らなければならない。
けれど、俺の身体に残った勇斗の手の感触が、それを許してくれそうになかった。
映画の撮影が一段落し、俺と勇斗は雑誌撮影のために、太智、柔太朗、舜太が待つ楽屋へと戻った。
ドアを開けた瞬間、いつもの賑やかな声が俺たちを包む。
「おつかれ! 仁ちゃん、勇ちゃん。撮影お疲れ様!」
舜太が真っ先に駆け寄ってきて、俺たちの肩を組んだ。
「おー、舜太。お疲れ。……雑誌のほうは終わったの?」
勇斗が努めて明るい声で返す。さっきまでセットで俺を押し伏せていた男とは思えないほど、いつもの「佐野勇斗」の顔だ。
「俺らの方はバッチリだよ。あとは5人のカットだけ。……ねえ、仁ちゃん、なんか顔赤くない? スタジオ暑かった?」
太智が俺の顔を覗き込んでくる。
「えっ、あ、……ライトが強かったからかな」
俺は鏡の方を向き、必死に動揺を隠した。耳の奥では、まだ勇斗が囁いた「仁人」という声がリフレインしている。
「……勇ちゃん、ちょっと手、貸して」
不意に柔太朗が、勇斗の腕を掴んだ。
「何だよ、柔太朗」
「袖、ボタン外れてる。……激しいシーンだったんだね」
柔太朗の視線が、一瞬だけ俺と勇斗を交互に刺した。彼はいつも鋭い。俺たちの間に流れる、単なる「撮影の疲れ」ではない、濃密で重い空気を感じ取っているようだった。
5人揃ってのインタビューが始まった。
「最近、グループ内で流行っていることは?」
というライターの質問に、太智が「勇ちゃんが仁ちゃんに演技の相談をしすぎること!」と笑って答える。
「いや、相談っていうか、仁人がしっかり受けてくれるから助かってるだけだよ」
勇斗がさらりと言った。
「仁ちゃん、本当にお疲れ様だね。勇ちゃん、熱が入ると止まらないからさ」
舜太が俺の背中をポンポンと叩く。
メンバーの言葉は、いつも通り温かくて、俺たちの関係を「最高のメンバー」として信頼してくれている。
けれど、その信頼が今の俺には痛かった。
もし、彼らがさっきのセットでの出来事を知ったら。プロの演技を越えて、勇斗が俺の名前を呼び、俺がその熱を拒めなかったことを知ったら。
ふと鏡越しに、勇斗と目が合った。
彼は笑いながら太智とふざけていたが、瞳の奥だけは笑っていなかった。
獲物を狙うような、あるいは自分の犯したミスに苛立っているような、暗く深い熱。
俺はいたたまれなくなって、すぐに視線を膝の上に落とした。
すべての撮影が終わり、5人でスタジオの出口へと向かう。建物の外には、送迎用のワゴン車がエンジンをかけたまま待機していた。
「あー、お腹空いた! 今日はみんなで何食べる?」
太智が真っ先に自動ドアを抜け、車へと駆け寄る。
「俺、肉がいい!」
舜太もそれに続き、開いたスライドドアに乗り込んだ。
「よっしー、勇ちゃん、早く乗りなよ」
柔太朗が最後に車に乗り込みながら、こちらを振り返る。
俺も後に続こうとした、その時だった。
背後から伸びてきた強い手に、二の腕を掴まれて引き止められた。
「……勇斗?」
「先に行ってて。仁人にちょっと、次のシーンの相談あるから」
勇斗が車の中の3人に向かって、短く声を上げた。
「えー、また? 勇ちゃん熱心だねー」
「じゃあ、先行って注文しとくよ。遅れないでね、仁ちゃん!」
太智と舜太が屈託なく手を振り、スライドドアが閉まった。ワゴン車がゆっくりとスタジオを離れていく。
夜の冷たい空気が流れ込むスタジオのエントランス。
勇斗は俺の腕を掴んだまま、人目のつかない柱の陰へと俺を押し込んだ。
「……さっきのこと、気にしてんのか」
勇斗の低い声が、暗がりに響く。
「当たり前だよ。……なんで、俺の名前呼んだの。あそこは『直実』でしょ」
俺の声が震える。
「……わかんねーんだよ、俺も」
勇斗が吐き捨てるように言った。
「演技してても、触れてても、お前が『直実』に見えなくなる。……吉田仁人を抱いてるのか、役を抱いてるのか、境界線がなくなってんだよ」
勇斗の手が、俺の頬を強く包み込んだ。
建物のすぐ外にはスタッフだっているかもしれない。
なのに、彼の指先からは、隠しようのない独占欲が漏れ出していた。
「……勇斗、……やめて……」
「やめねーよ。お前だって、あの時拒まなかっただろ」
勇斗の顔が近づく。
すぐ近くの道路を車が通り過ぎる音が、やけに遠くに聞こえる。
「……勇斗、離して。みんな待ってる」
「……今の俺には、あいつらの前で笑う自信なんてねーよ」
勇斗の声は低く、ひび割れていた。彼は俺の頬に添えた手に力を込め、逃げ場を塞ぐように顔を寄せる。
「仁人、さっきのシーン……俺が名前を呼んだ時、お前、一瞬だけ俺を『勇斗』として見たろ」
「それは……っ」
否定しようとした唇を、勇斗の親指が強く押さえた。
「演技じゃ埋められねーんだよ。……お前に触れるたびに、台本の言葉なんて全部消えて、俺の中には『お前が欲しい』って感情しか残らねぇ」
勇斗の瞳に宿る、剥き出しの執着。それは、何年も隣にいたメンバーとしての姿からは想像もつかない、一人の男としての飢えだった。
彼はそのまま、俺の首筋に顔を埋めた。熱い吐息が肌を焼き、ゾクりと震えが走る。
「……ずるいよ、勇斗」
俺は彼の胸元を弱く押し返しながらも、その熱から逃げ出すことができなかった。
プロとして失格だ。メンバーを裏切っている。そんな罪悪感よりも、勇斗に強く求められているという歪んだ悦びが、俺の身体を芯から溶かしていく。
「……勇ちゃん、仁ちゃん! まだー?」
遠くで舜太の大きな声が響いた。どうやら、忘れ物か何かで車から戻ってきたらしい。
俺たちは弾かれたように距離を置いた。
勇斗は素早く髪を整え、ポケットに手を突っ込んで、いつもの「佐野勇斗」の顔を作った。そのあまりの切り替えの早さに、俺の心臓はさらに激しく打ち鳴らされる。
「おー、舜太! 今行くって!」
勇斗が何食わぬ顔で、建物の外へ向かって声を張る。
俺も必死に呼吸を整え、火照った頬を両手で押さえてから、彼の背中を追った。
「遅いよー! 柔が、二人が密談してる間にお肉全部食べちゃうぞって言ってるよ!」
車の窓から身を乗り出す舜太の笑顔。
「あはは、それは困るな。急ごう、仁人」
勇斗が俺の肩に腕を回す。それはファンやメンバーが見慣れた、いつものスキンシップ。けれど、その掌の熱だけが、数秒前までの密事の余韻を俺に思い出させていた。
焼き肉店に到着し、5人でテーブルを囲む。
「お疲れ様ー! 乾杯!」
太智の音頭でグラスが鳴る。
「……よっしー、やっぱり疲れてる? あんまり食べてないじゃん」
柔太朗が俺の皿に肉を取り分けながら、隣で囁いた。
「えっ、あ、ありがと。大丈夫だよ、ちょっと胸がいっぱいなだけで」
「……ふーん」
柔太朗の視線は鋭い。彼が何かを察しているのは明白だった。
一方の勇斗は、舜太と太智の間で大笑いしながら肉を頬張っている。その姿は完璧な「佐野勇斗」で、俺だけが取り残されたような錯覚に陥る。
けれど、テーブルの下。
俺の膝に、勇斗の足が不意に触れた。
偶然じゃない。彼はそのまま、自分の足を俺の足にぴったりと密着させ、誰にも気づかれないように力を込めた。
(……っ!)
俺は箸を落としそうになるのを必死で堪えた。
賑やかな笑い声、肉の焼ける音、そしてメンバーの温かい空気。
その真ん中で、俺と勇斗だけが、誰にも言えない秘密を共有し、境界線を踏み越えようとしていた。
コメント
2件
主さんの作品最高すぎます🍀*゜ 続き楽しみです!!