「アグネス、アグネス、目を覚ましなさい」
わたしを呼ぶ、優しい女性の声。
でもまだいまはとても心地よいから、眠っていたい。
「アグネス」
何度も何度も名前を呼ばれるので仕方なく目を開けると、何もないただの真っ白い空間にわたしは寝ていたようだった。
さっきまで、王城にある大きな教会で大勢の人に囲まれて、第一王子との結婚式の最中だったはず。
そして、司祭に扮した暗殺者に剣で胸を刺されて、一緒にバージンロードを歩いていたお兄様もわたしを庇ったために刺された。
ふたりであの赤い絨毯の上に崩れるように倒れたはず。
ここは死後の世界であることだけは、うっすらと理解できた。
よろよろと起き上がり、白い純白のドレスが赤い血で染まった胸の辺りにそっと触れてみる。
先ほどまで燃えるように熱かった刺された胸は、無傷で痛みもない。
「治っている?」
まだ眠気で頭がぼんやりしているので、理解に時間がかかる。
「アグネス、ようやく目を覚ましましたね」
「貴女様はどなたですか?」
はっと、息をのむぐらい美しく透き通るような肌に金色の真っすぐの髪。
全身に光を纏い、優しく微笑む美女は誰だかすぐにわかった。
だって欠かさず毎日、貴女様に祈ってきたのだからその顔を忘れるはずもない。
「ずっとアグネスを見守ってきましたよ。毎日、わたしに祈りを捧げてくれていましたね」
「女神様…」
お姿もお声も想像通り美しかった。
「女神様、お兄様は?お兄様は死んでいないですよね?」
わたしの問いに悲しげな表情をし、女神様が首を横に振った。
「そ、そんな… お兄様がお亡くなりになるなんて…」
わたしの手がカタカタと震える。
お兄様はわたしを庇ったばかりに…
「女神様、お兄様は?お兄様はいまどこにいるのですか?わたしと一緒に死んだのなら、ここにいるはずですよね!」
「…彼はまだ眠っています」
女神様が伏目がちに答えた。
お兄様はまだ眠っている…ということは。
まだ間に合うのかも。
「女神様、お願いがあります。わたしは12歳で聖女候補として、大聖堂に入れられてから毎日ずっと、この国の民のために貴女様に祈りを捧げてきました。だから、わたしは一度も自分のために祈ったことはありません」
ゴクッと唾液を飲み込む。
「大変厚かましお願いをいまからします。どうか、どうか、わたしのお兄様、レオンを生き返らせてください!!わたし自身の願いを聞いてください」
そう言い切ると、両足を跪き、いつものように祈る体勢になる。
その後は無意識のうちに祈りの言葉がスラスラと出てくる。
「アグネス、祈りを止めなさい」
それでも、わたしは聞こえないふりをして、祈りを続ける。
「…もう、わかったわ。アグネスがいままでどれだけ、自己犠牲を払って、私のために祈っていたのかを知っている。だから、特別にチャンスを与えるわ」
わたしは祈りを止め、顔を上げて困り顔の女神様を見つめた。
「チャンスとは?」
「アグネスは本来、亡くなったのだから、いますぐにわたしと一緒に天に召されなければなりません。それはわかっているわよね?」
「もちろんです。聖典で学びました」
「よろしい。でもアグネスに7日間だけ時間をあげます。その7日間で貴女の兄、レオンの「願い」を貴女が叶えなさい。そうすれば、レオンを生き返らせましょう」
「お兄様の願い?」
「そうです。レオンの願いをアグネスが叶えるのです」
「どうやって?」
「アグネス、手を」
わたしは女神様に手を差し出した。
女神様がわたしの左手の人差し指に触れると一瞬だけ眩く光った。
「えっ?これは?」
わたしの左手の人差し指にただの銀の指輪が嵌められていた。
「この指輪をしている時は、アグネスはレオンの姿になります。それを利用して、レオンの願いを探り叶えなさい」
「わたしがお兄様の姿に…」
「そうです。この指輪を嵌めている時はレオンに、指輪を外せば元のアグネスの姿です。時間は7日間だけ。延ばすことはありません。レオンが生きていた時間に少しだけ戻します。アグネスがレオンの願いを叶えたなら、レオンは生き返り、元の世界へ返しましょう。でもそれが出来なければ、レオンもアグネスもわたしと一緒に天に行くのよ。わかったかしら?」
「女神様、ありがとうございます。与えられた7日間を全力で頑張ります。必ずお兄様の願いを叶えて、お兄様を生き返らせます」
左手の人差し指に嵌められた銀の指輪をそっと撫でて、心に誓う。
必ず、必ずお兄様の願いを叶えて、生き返らせてみる。
お兄様、待っていて。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!