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朝。チャイムの五分前。教室には、もう“日常”が出来上がっていた。
机の上に腰をかけた遥は、首を少し傾け、
指先で髪を整えながら、ぼんやりと誰かの話に頷いていた。
それは、返答ではない。
「聞いてます」という演技でもなかった。
ただそこに“いる”ことを許されるための、小さな動作。
呼吸のように染みついた、自動反応だった。
──差し出すのは、もう当たり前だった。
それが“誰の命令”だったかなんて、誰も思い出せなかった。
「お前さ、マジで才能あるよな」
「もう、プロだろ、プロ」
「映像、まだ保存してんだけど、見せていい?」
「おい、今日はどこまでやんの? 昨日、途中で終わったじゃん」
誰かが冗談めかして、肩を叩く。
遥は、薄く笑った。
「……まだ、何か残ってたっけ?」
それは、“終わらせてくれ”の裏返しでもあった。
けれど、誰もその意図には気づかない。
ただ、“そういうキャラ”として消費する。
(おれが……これを、見てるだけかよ)
教室の入り口。日下部は、鞄を下ろすタイミングすら失っていた。
背中に汗が滲んでいた。
遥の指先が、机の端に触れ、ゆっくりと撫でる。
まるで、「今からここに誰かを座らせる」儀式のように。
(……演技じゃない。もう、“それが日常”になってる)
(だけど──目が、全部“嘘”だ)
日下部は、気づいてしまっていた。
気づいたうえで、何もしていない自分を、自分で軽蔑していた。
──あの夜、街角で見た遥の背中。
鞄を持ち直す指に残っていた、引っ掻き傷と赤い擦れ跡。
湿気に濡れた髪の奥で、瞬間だけ見せた“虚無”の目。
(……俺が、壊した)
声にはならなかった。
それは言ってしまえば、すべてが終わる言葉だった。
けれど──遥が、ふとこちらを見た。
ほんの一瞬。
だがそれは、“誰にも向けられない目”だった。
その一瞥に、日下部は呼吸を詰まらせた。
(……まだ、間に合うのか?)
教室の空気が、何かを問いかけているようだった。