コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ワイは衰弱した少女を自宅に運び、そっと布団に寝かせた。細い体は驚くほど冷たく、息も荒い。肩で息をするたび、胸がかすかに上下する。
あかん、これはヤバいな。近くで見れば見るほど、その状態のひどさが分かる。服はボロボロどころか、もう布切れ同然や。擦り切れた布地の隙間から、色の悪い肌がのぞく。その肌には、無数の擦り傷と痣が散らばっとる。痣はどれも古傷と新しいものが入り混じっていて、何度も何度も傷つけられた跡やと一目で分かった。
誰かに……いや、誰かどころか、何人もの人間に虐げられてきたんやろな。無理やり押し込められたみたいに、手足は異様に細い。痩せ細った腕なんか、少し力を入れたら折れてしまいそうや。痛々しいにもほどがあるやろ。
「……うーん、この」
思わず漏れた言葉が、ひどく静まり返った部屋の中に沈んだ。まるで自分の声が他人のものみたいや。ワイは目の前に横たわる少女の顔をじっと見つめた。目を閉じたまま、微動だにせん。息をしているのかどうかすらわからんほど、弱々しい。
ワイはゆっくりと視線を下げた。少女の胸元で、小さなネームタグが揺れとる。埃にまみれ、擦れた金属板にはかろうじて文字が刻まれとる。
「ケイナ……か」
声に出してみると、それだけでこの名が現実のものとして感じられた。かすれすぎて読み取りづらいが、おそらくそう書いてあるんやろ。名がある。つまり、こいつもどこかに「所属」しとったはずや。でも、今はどうや。こんなとこに、こんな状態で――。
胸の奥がじわりと疼いた。誰にも助けられず、誰にも必要とされず、ただ転がり落ちてきたんやろか。どこから? 何のために? あるいは、脱走でもしてきたんやろか? ワイには知る由もない。けど、このまま放っといたら――。
拳を握りしめた。ひやりとした指先に、じんわりと汗が滲む。無意識に力を込めすぎたのか、関節がぎしりと鳴った。自分でも驚くほど、腹の底がざわついとる。何や、この感じ。苛立ちか? それとも――。
「……このままやと死ぬやんけ」
ポツリと落とした言葉が、まるで空気に飲み込まれるみたいに響かんかった。誰も答えへん。少女はただ、かすかに息をするだけや。
胸の奥がざわつく。妙な感覚や。ワイには関係あらへん。せやのに、なんでこんなにも心が乱されるんや。
冷たい指先、泥にまみれた顔。まるでこの世から切り離されたみたいに、ひっそりと横たわっとる。――もし、あのとき、ワイが追放されたとき、誰かが手を差し伸べてくれとったら?
ありえへん想像や。そんなこと考えてもしゃーない。過去は変えられんし、変えられへんものに縋るのはアホのすることや。ワイは【ンゴ】スキルの使い方を見つけて、こうしてリンゴ栽培で生き長らえとる。それで十分なはずや。
やけど、今ここにおる少女は?
このまま放っといたら、かつてのワイみたいに、誰にも見向きもされずに消えていくんか? いや、違う。ワイのときよりも酷い。こいつには、生き延びる術すら残されてへんのや。
チッ、と小さく舌打ちする。ワイが動けば、こいつの運命は変わるかもしれん。
「……まあ、できることやるしかないわな」
ワイは手近にあったリンゴを一つ手に取り、ケイナの口元へ運ぶ。せめて、少しでも食えれば……そう思ったけど、彼女はかすかに首を振った。
唇はガサガサに乾き、割れて血が滲んどる。喉が動く気配すらない。
「うせやろ……?」
声が思わず震えた。食う力もないんか? これは……ほんまにヤバいんちゃうか?
ワイは息を吐き、少女の顔を見つめながら、何気なく手をかざしてみる。
――何かを願うように。
いや、そんなんじゃない。ただの直感やった。せやけど、その瞬間、ワイの体の奥からじわりと何かが広がる感覚があった。手のひらがじんわりと温もる。まるで、そこに灯がともるみたいやった。
次の瞬間、ケイナの体に浮かんでいた傷がふっと薄れた。肌に散らばっとった痣が、ほんの少しだけやけど、薄まった気がする。
荒かった呼吸も、少しずつ落ち着いていく。
「……ファッ!?」
思わず声が出た。ワイは、自分の手をまじまじと見つめる。何が起こったんや? いや、そもそもこれはほんまにワイがやったことなんか? 【ンゴ】スキルはリンゴ関係の能力だけちゃうなかったんか? 回復とか、そんな話、聞いとらんぞ。
信じられへん気持ちのまま、もう一度スキルを試す。手のひらをそっとケイナの胸元へかざし、今度は意識して力を込めてみた。
すると、さらにケイナの顔色が良くなっていくのが分かった。さっきまで青白かった肌に、ほんのりと血色が戻っとる。
「ンゴって……回復スキル付きやったんか?」
今までただの「リンゴを無限に食えるスキル」やと思っとった。でも……ちゃう。そんな単純なもんやない。「けが人を看護できるスキル」でもあったらしいわ。
ワイの手当ての甲斐あってか、ケイナのまぶたがゆっくりと震え、薄く開かれる。
濁った瞳の奥に、かすかな光が宿るのが見えた。
「……あなたは……?」
その声はか細く、今にも消えそうやったけど、それでも確かに生きていた。
ワイはちょっと口元を緩め、肩をすくめる。
「ただのリンゴ農家や。いや、今しがた新たに回復魔法使いもどきにもなったんやけどな」
こうして、ワイと奴隷少女ケイナの新たな生活が始まったんや。