テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
思い出したら悲しくなってきて、目の前が霞む。
スタスタと永井くんが戻ってきて、涙をそっと拭った。
「大丈夫ですよ、俺にまかせて」
「永、井……くん」
そっと微笑む彼の顔は眉目秀麗という言葉がぴったりだ。
「ありがと……」
「あとどれくらい仕事あります?」
「……もう、やる気ない。あとは明日にする」
「じゃあ、ロビーで待ってますね」
彼はそう告げると、リフレッシュルームを出て行った。
ポロポロと流れる涙を拭いながら、私もロッカールームへ移動し、コートを着る。
つい数ヶ月前に元彼に買ってもらったコート。
できればもう着たくなかったが、年末の激務で買い換える時間もなかった。
袖を仕方なく通せば、悲しくて切なくて肩が小刻みに震える。
どうしてこうなったんだろう。
そう考えても仕方ない。
息を吐きながらスマホを取り出すと、メッセージアプリを開く。
誰からもメッセージはきていない。
伊吹に送った、もう一度話がしたいというメッセージは未読のままだ。
重だるい悲しみがずとんと肩にのしかかる。
ロッカーの小さな鏡にうつる自分の顔は、なんとも情けない。
私は息をついてリップを塗り直すと、ロッカールームを出て、ロビーに向かった。
「おまたせ」
スマホを目を落として立っていた永井くんに声をかける。
「いえ。じゃあいきますか」
「家はどこ?」
「こっからすぐです。歩いて五分もかかりません」
「へぇっ!? この辺に住んでるの?」
会社は名古屋駅から徒歩圏内。その近くとなると高層マンションがほとんどだ。いったいどれだけ稼いでるんだろう。
「別に、大したことないです」
「いや、す、すごいよ」
永井くんは入社5年目で、私のひとつ後輩。 入社後すぐ、めきめきと実力をつけた有望株。海外案件もよく担当している。
来年には、アメリカ転勤も取り沙汰されている。
帰国すれば昇進コースまっしぐら。会社になくてはならない人。
ビルの外に出ると、木枯らしが吹いて思わず「さっぶ!!」と2人の声が重なる。
「ほら」
永井くんが、さも当たり前のように私の右手を取って、彼のコートのポケットにすぽんと収めた。
あまりのスマートさに驚いていると、そのままマンションが立ち並ぶ方へと歩いていく。
「待って、誰かに見られたら……」
「見られて、困ることあります?」
「え、あ、いや……」
美しい横顔を見ていたら、何も言えなくなった。
冷たかった手が、永井くんのポケットのなかで少しずつ温まっていく。
「ほら、すぐそこです」
永井くんの指差す方には、いくつか高層マンションが立ち並ぶ。
「す、すごっ……」
「今の自分より、ちょっと背伸びするのがステップアップの肝らしいですよ」
「はぁ……」
だとしてもすごい。
一番手前のタワーマンションに彼は向かった。
煌びやかなエントランス、開放的なロビー。
24時間常駐であろうコンシェルジュの横を通り過ぎる。
重厚な色のエレベーターにルームキーをかざした永井くんに連れられて乗り込む。
永井くんは無言だった。
私が顔を覗きこんでも、チラッと目を合わせるとすぐ前を向く。
勢いでここまできてしまったけれど、本当にいいのだろうか。
繋いだままの手を、永井くんが握り直してくる。ポケットの中で恋人繋ぎになった手が、焼けるように熱い。
そっと顔を上げても、彼は前を向いたまま。
エレベーターは11階で止まった。静かな内廊下に、ふたりの足音だけが響く。
永井くんは部屋の前まで来て足を止めた。
ルームキーをセンサーにかざそうとして、すっとその手を下ろす。
どうしたんだろう。
彼を見上げると、なんだか苦しそうな顔。
「どうしたの?」
「……本当にいいんですか?」
ここまできて、帰るなんて選択肢はない。腹はとっくにくくってきた。
覚悟はもうできている。
彼の困ったような濡羽色の瞳を見つめて、小さく頷く。永井くんはすっと解錠するとドアを開けた。
それと同時にいきなり室内に引っ張られて、玄関横の壁に縫い付けられる。
ぐっと唇が重なって、目の前に美しい彼の顔が見えた。
ちゅっとわざとらしいリップ音を残して永井くんが離れる。角度を変えて、もう一度。
いやらしく舌を絡めとられて、脳がとろけてくる。
「んんっ!!! ま、待って」
「逃げないで」
顎をぐいっとつかまれて、半ば強制的に唇を奪われる。苦しいくらいのキスなのに、ちっとも嫌じゃない。
むしろもっとしてほしくて、舌が貪欲になっていく。
「はぁはぁ……な、永井くん……」
薄目を開けると、暗闇の中に彼の顔が見える。
ほんの少し上気したように見えるその顔は至極妖艶だ。
「あ、あの……」
そうつぶやくと、手を掴まれて部屋の奥へと連れこまれる。
リビングを通りすぎ、その向こうにある部屋のドアを彼は勢いよく開けた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!