コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
騎士たちが我に返った時には、少女は既に大通りに消えてしまっていた。
残された部下の騎士たちは茫然としながら、互いの顔を見合わせる。
まるで狐につままれたような一瞬の出来事を、どう口にしていいのかわからないのだ。
でもこれは、夢ではない。
なぜなら───左胸をはだけられたまま倒れている騎士のすぐ隣には、齧りかけのパンがあったから。
***
他人の傷を、自分の身体に移す術。
ここウィリスタリア国では、たった一人の少女しか使えない。
そして、この術は、一部の人間しか知らない秘術であり、その者の間では通称”移し身の術”と呼ばれている。
とはいえ、受けた傷をそのまま移動するわけではない。
少女の身体に移る際には、痛みも傷も大幅に減少され、擦り傷程度なら、何も感じないし傷跡も残らない。
しかし、致命傷になる程の傷を引き受けた場合は、そうもいかず身体が鉛のように重くなる。
まるで、よその身体を借りているような感覚に襲われ、騎士が傷を負った場所───左胸は出血こそしていないが、ズキズキと痛む。
「……あっ」
よったよったとなんとか足を動かしていた少女だったが、気を抜いた瞬間、派手に転んでしまった。
咄嗟に手を付いた拍子に、持っていた籠を落としてしまい、慌てて中を確認する。
「ああ、良かった。無事だった」
頼まれていた酒瓶が割れていなくて、ほっと肩をなでおろす。
頼まれていたうちの1本は、消毒の為に使ってしまったので、2本とも駄目にしてしまっては、お使いの意味がない。
そういえば、食べかけのパンも、いつの間にか籠の中から消えていた。
昼食をうっかり食べ忘れた少女を案じて、シェフがお遣いに行きながら食べろと手渡してくれたものだった。
(……ま、いっか)
パンに関しては、心遣いを無下にしたことは申し訳ないと思うけれど、別に惜しいとは思わない。
なにせハムもチーズも挟んでいないし、齧った途端、口の中の水分が一気に吸い込まれて、食べ歩きには不向きなものだった。
はっきり言ってしまうと、食べなくてすんで良かった。ラッキーとすら思っている。シェフ、ごめんなさい。
心の中でシェフに謝罪した少女は、全身びっしょりと汗をかいている。余程、身体が火照っていたらしい。
「うぅ……う……」
呻き声をあげながら、倒れ込んだ身体を上半身だけ起こして、左胸に手を当てる。
ズキズキと痛む箇所より、その少し横の鼓動の方が早すぎて、このまま止まってしまいそうで心配だ。
「……ヤバイ、私、死ぬかも」
さっきまで騒がしかった大通りは、とても静かだ。
道行く人もまばらになっているので、少女が道にへたり込んでいても、気にするものは誰もいない。
少女は、つい先ほどの出来事を思い出し、きゅっと目を閉じた。
嵐のようなひと時だった。いや、今でも心の中で何かが激しく暴れまわっている。
こんな胸の苦しさは初めてで、めちゃくちゃに、かきむしりたい。
少女はこの感情に名前を付けることができないでいるけれど、世間では、これを恋しいと呼ぶ。
「うっ、うぁわぁあああ……!!」
初めての感情に戸惑い、混乱しすぎて、少女は奇声を発しながら、両手で顔を覆ってしまった。