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ああ……痴女と思われてしまっただろうか。
おかしな女だと思われてしまっただろうか。
ここか自分の部屋なら、恥ずかしさに耐え切れず、そのまま床をゴロゴロと転がり回りたい。
普段、少女はあまり感情を表に出すことはしない。
生まれ育った環境のせいか、感情自体も、あまり動くことはない。
だから自分が感情にまかせて、移し身の術を使ってしまったことも、痴女よろしく異性の服を剥いでしまったことも、自分がしでかしてしまったことなのに、未だに信じられない。
(で、でも……仕方なかったし!)
あんな大怪我を癒すのは初めてで、ちゃんと傷を移すことができたのか心配だったし、高級酒を騎士にぶちまけたのは、混乱しててしまっただけのことのだ。
よくよく考えたら、傷の消毒は癒す前にするべきこと。癒してからでは遅すぎる。
ああ……痴女と思われてしまっただろうか。
おかしな女だと思われてしまっただろうか。
そんな自分を思い出すのは、けっこう……いや、かなり辛い。
「はぁー……」
両手を広げて、ゆるゆると顔をあげる。
嬉しくなったり、ほっとしたり、恥ずかしくなったり、今日一日でどれだけ感情を動かしたのだろう。疲労感が半端ない。
気持ちは目に見えないけれど、とても重たいものだったのだ。
そして、この後に起こる自分の未来を想像したら、気持ちがずぶずぶと沈んでいく。
寄り道せずに帰ってくるという約束を、破ってしまったのだ。
しかも、お使いを頼まれた高級酒1本をなくしたので、こりゃ帰ったらお説教だなぁと少女はうんざりした表情を作る。
親代わりのマダムローズは、滅多なことではお説教をしないが、一度説教が始まると、途方もなく長くなる。
過去の経験からいって、今回は2時間コースは間違いない。いや、それ以上か。
少女は夕闇の空を見上げて溜息をついた。いっそ鳥になりたいとも呟いてみる。
(ま、いっか。今日の説教は甘んじて受けよう)
見知らぬ騎士達に声を掛けた瞬間から、ある程度は覚悟していた。
据えた路地裏の匂いの中に、生臭い血の匂いを感じ取ってしまったら、無視はできなかったし、あれ程のイケメンを見殺しにするなどあり得なかった。
夜の森のような艶のある深緑色の髪。意志の強そうな眉。完璧な角度の鼻梁と、長いまつげ。一瞬だけ固く閉じられた瞼から覗いた瞳は、潤んだブルーグレー。
生きた宝石とは、まさにこのこと。
何より苦悶の表情を浮かべるその顔は、ただ見ているだけで、ぞくぞくとした高揚感に襲われるものだった。
少女は日ごろ、綺麗な女性は目にしている。それはそれは嫌という程。
けれど、若い、しかもイケメンの青年を目にすることはめったになかったので、イチコロだった。あっという間に、その顔に魅了された。
何が何でも騎士を救いたかった。この世界からこんなイケメンが消えてしまうなんて、神様が許しても自分は絶対に許せないと思った。
(生きてくれてさえいれば、いいや)
この街のどこかに、あのイケメンがこれからも存在してくれることに、心臓がまた、ぎゅっと締め付けられた。眩暈がするほど嬉しすぎて。
でもきっと、もう会えないだろう。
そう思ったら、細い針で心臓をつつかれたような痛みが走ったけれど、無視することにした。
とにかく、自分のやったことは、間違いではない。
自分を勇気付けるために勢いよく立ち上がると、少女は両頬をぺちんと叩いた。
フードを深くかぶり直すと、少女の瞳は、金色から元の翡翠色に戻っていた。
はたから見たら、泥酔したように足元がふらふらとおぼつかないけれど、少女は必死に家路を急ぐ。
王都でも屈指の娼館、メゾン・プレザンへと。
この不思議な術を使った少女の名前は、ティア。
ティアに救われた騎士の名は、グレンシス・ロハン。
この二人が再会するのは、それから3年後の初夏。
18歳の娘盛りになったティアと、26歳の押しも押されぬエリート騎士となったグレンシスが恋に落ちるかどうかは──この先の展開次第となる。