翌朝、佳ちゃんに甘えて颯ちゃんは、また10時出勤でいいと私と一緒に部屋を出る。
「また木曜日に来る」
「ありがとう」
そう言ってバイバイしたが、徒歩数分で事務所に着いた私は、1時間半の距離は颯ちゃんに負担をかけていると改めて思う。
でも帰る気にはならない。
颯ちゃんも帰って来いとは一言も言わない。
気持ちは落ち着いているし、恵麻ちゃんと会っても吐かなかった。
とはいえ、あの23年間馴染んだ風景の中に自分がいることや、恵麻ちゃんの家が目の前にあることを想像すると、とても緊張して唾を飲み込むのだ。
「北川先生、おはようございます。少しご相談があるのですが…お忙しいところすみません。5分だけ…」
「三岡でなく私に?5分と言わずに、どうぞゆっくりと聞かせてくれるかな?」
「ありがとうございます。今借りている部屋のことなんですが……」
「何か問題が起こった?」
「いえ、快適に過ごさせて頂いています。ただ…今の場所と地元の中間地点辺りに引っ越しが可能かなと思いまして。今の部屋のご紹介も北川先生でしたから…」
「なるほど…うんうん。可能だと思うよ。同じ不動産会社に聞いてあげるよ。間取りは単身者用のままでいいのかい?それとも…あの彼と一緒に暮らすならもう少し広く…」
「あっ…いや…あの…一緒に住むとはまだ全然話もしていません。でも通ってくれるのは負担だと思うんです。彼にも仕事がありますから」
「良子ちゃんはまだここで働いてくれるんだね?」
「はい。地元へ帰る気にはなれなくて…ここでお世話になりたいです」
「うちにとってはありがたいよ。部屋は彼とちゃんと相談してからの紹介にしよう。何度も通ってくれる彼が将来のことを考えていないとは思えないからね。もう4月に入ってるから物件も落ち着いているはずだ、急ぐ必要はないよ。せっかく良子ちゃん自身が今後を前向きに考えて動いているんだから最大限の協力はするよ。まずは、彼に良子ちゃんの気持ちと考えを伝えてみなさい」
何だかとても嬉しそうに言ってくれる先生に礼を言って先生のブースを出ると、もう皆さんが仕事に取りかかり始めたところだったので、私も急いで席に着いた。
ふーっ、今日も頑張ろう。
仕事帰りにスーパーに寄る。
昨日買い物を出来なかったので冷蔵庫の中が寂しい。
まず果物はバナナをかごに入れると、次に野菜売り場で、何を食べようかと立ち止まる。
通路の中央に出ている特売品はピーマン、レタス、ニラ…そしてニラの隣にチヂミ粉が並べられている。
家で焼くんだ…チヂミ粉を手に取り袋の後ろの作り方を見ると…簡単これだけ?
今日少し焼いてみて、うまく出来たら残りの粉は木曜日に颯ちゃんと一緒に作って食べよう。
結局チヂミ粉を初めて買ったけど、あとはいつもの簡単レシピの食材をいくつか買っただけだ。
まあ、慌てず新しい料理がひとつ出来ればいいか。
そして、その超簡単に作れるチヂミは、粉に美味しく味付けされており美味しい。
食べながら検索すると焼いてから冷凍保存出来るとわかった。
今度はそうしてみよう。
粉の力なのに新しい料理を作って美味しく食べた満足感に浸りながら皿洗いをする。
洗い終わった時に鳴った電話は、お母さんからだった。
‘もしもし、良子?’
「うん、お母さん」
‘もうご飯食べた?’
「ちょうど終わった」
‘元気そうね’
「うん、元気」
‘あのね良子…4月からお父さんも私もこっちに戻っているの’
「…そうなの……?」
‘引き継ぎの関係でお父さんはまだ少し行ったり来たりしてるけど、もう今週辺り落ち着くみたいよ’
「…そう」
‘一応伝えておこうと思って’
「うん…わかった」
私も帰ろうかな…と言い出すのを待っているような間合いに感じ、少し戸惑う。
お母さんたちが帰ったと聞いても全く帰りたくはないから…私は自分勝手な冷たい人間なのかもしれない。
コメント
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北川先生も温かいね〜☺️先生のおっしゃる通り颯ちゃんに聞いてからでも遅くないよ! お母さん…は、なぜリョウちゃんがこうのような状況になったのかをあまりご理解されてない?戻ってきてると伝えるのがよくないとかじゃなくて… リョウちゃん全く冷たい人間じゃない。帰りたくない。それでいいしむしろ帰らなくていいと思うよ!颯ちゃんも帰らなくていいと言うに決まってる。 もう電話終わらせて木曜のチヂミのこととかお部屋のこと考えながら颯ちゃんに電話しよ〜💕 チヂミ粉買ってみようかな🤭