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この世界に召喚され、約一週間が経った。
(本当なら、あったの世界では今頃……)
今日は高校の文化祭だった。沙織自身、そんなに早く戻れるとは考えていなかったので、然程落ち込んではいない。
むしろ元の世界に戻る事が出来るのか、そちらの方が重要だ。
ただ、頑張って体型を絞ったのと、特技披露のピアノ演奏の練習が無駄になったのが残念で仕方ない。
あの変な台詞披露が無くなったのは、正直良かったとは思う。実際には、もっと大勢の前でやってしまったのだが。
(あれを考えたのって……ああ、実行委員にあの子もいたっけ)
友人Cが好きな、何かの再現シーンだったのかもしれない。このゲームには関係ないだろうが、名前を入れ替えただけで、あまりにもピッタリの場面だった。
ポロロン――……
(……おや? 今のって)
一瞬だが、開けている窓からピアノの音がしたような気がした。
専属侍女になってくれたステラに尋ねてみる。ステラは、この公爵家にずっと仕えるベテラン侍女だ。
この世界について知らない沙織のために、知識のある彼女をガブリエルが選んでくれたのだ。おかげで、普段の言葉遣いもだいぶ令嬢らしくなってきた。
「今、ピアノの音が聞こえた気がするのだけど? ……ここには、ピアノがあるのかしら?」
「はい、ピアノは御座います。クレール様がよくお弾きになってらっしゃいました。今は、どなたも弾かれません。ですが、時々……ガブリエル様が、そのお部屋に行かれているのです」
(ピアノがある!!)
弾きたくてウズウズするが、奥様の形見のピアノだと、触る事は難しいかもしれない。
「私が、ピアノを弾かせてもらうことって……出来ますか?」
ステラは、驚いたように沙織を見た。
「サオリ様は、ピアノが……? いえ、失礼いたしました。ガブリエル様にお聞きして参ります」
後で知ったことだが、この世界では普通ピアノは習わないそうだ。楽団や、芸術の専門職として弾く者はいるらしいが。
もしかしたら、クレールの実家はそっちの家系なのかもしれない。
戻って来たステラは、ガブリエルから許可を得たと言った。
早速、その部屋へと案内してもらうと――。広い部屋の中心には、立派なグランドピアノが置いてあった。
嬉しくなって近寄って行くと、ピアノの向こうにはガブリエルが座っていた。
(……え!? まさか……私が弾くのを聴くつもり?)
「やあ、サオリ。君がピアノを弾けるとは思わなかったよ。折角だから、聴かせてもらおう」
ガブリエルは、ニッコリ微笑んだ。
「あ、あのっ。本当に少しだけ……趣味というか、嗜む程度なんです! お耳汚しかもしれないのですが……」
慌てて期待しないように頼む。
ピアノは好きだが、音楽学校に行くほどでもない。習い事=ピアノと習字とスイミング。親の勝手な思い込みでやらされた程度だ。
せいぜい、披露の場は発表会や入卒式の伴奏くらいだった。
椅子に座り緊張を解すように、すうぅ……と息を吸って弾き始める。
一曲目は、大好きなクラシック。何度も弾いた曲なので楽譜は必要ない。
二曲目は、父親の誕生日にサプライズで弾くつもりだった、ロックシンガーのバラードだ。
(……楽しいっ……!)
間違えることもなく、二曲を弾き終えて指を鍵盤から離した。
――静寂が広がる。
(……あれ? 無反応……? 何かダメだったかしら?)
少し焦って、ガブリエルに視線を移した。
「……素晴らしい」
ガブリエルは、目を閉じて演奏に聴き入り、感動してくれたみたいだった。ホッと胸を撫で下ろす。
「サオリ、今の曲は?」
「私の世界の歴史ある曲と、最近の新しい曲になります」
「そうか……」
ガブリエルは、何か思うところがあったのかジッとピアノを見つめた。
「クレールも……亡くなった妻も、よく楽しそうにピアノを弾いていた」
そして、立ち上がり近くのチェストから楽譜を取り出した。
「サオリは……この曲は弾けるかい?」
楽譜を見ると、そこまで難しい曲ではない。
「上手く弾けるかは分かりませんが。やってみます」
そして、クレールが好きだったという曲を弾いた。ガブリエルは、また目を閉じて静かに聴く。
初めて知る曲で、とても優しいメロディーだった。
弾き終えると……ガブリエルは涙を流していた。きっと、愛しい妻との思い出が蘇っているのかもしれない。扉の側に立つ、ステラも目頭を押さえていた。
暫くして「……ありがとう」と、美しい義理の父は言った。
それから、他愛もない話をしたり、他の曲も色々弾いた。
ふと、ガブリエルが自身の髭を触っている仕草が目に入る。
「お義父様は、ずっとお髭を生やしているのですか?」
思わず尋ねてしまった。スチルでは髭は無かったから、ずっと気になっていた。
「……変か?」と目を見開き、逆に訊かれた。
「いえ、お似合いですよ。私の世界でも、結構流行ってますし……。でも、無いのも素敵そうだと思っただけです」
素直に思った通りを伝えた。実際、ガブリエルはどちらでも似合う。
「……クレールもよく、剃った方が良いと言っていたな……」
ポソっと、ガブリエルは聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
――翌朝。
朝食の時に会ったガブリエルには、髭が無かった。
「……どうだろうか?」
少し照れなら、ガブリエルが尋ねてきた。
「とっても、素敵です!」
(……お義父様、イケメン過ぎて直視できません!)
やはり、髭を剃ったガブリエルは、年齢よりも随分と若く見え、眉目秀麗という言葉がピッタリだった。