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りょさん視点。
僕は片付けが苦手だ。
脱いだ服を出しっぱなしにしてしまうし、使ったコップもそのままにしてしまうし、あとで片付ければいっか、が積もり積もっていつのまにかゴチャっとした部屋になってしまう。
きっちりと整えないと、とか、綺麗にしないと、とは思うものの、それがなかなかハードルが高い。だって別に困らないんだもん。
恋人である元貴も最初のうちは怒っていたけれど、いつの間にか何も言わなくなって、呆れられちゃったかなと思いきや、「いつかくる介護の予行練習だと思ってる」と真剣な表情で言われてしまった。
それってどうなの、と思っていた僕に、若井が「めっちゃ未来の約束じゃん」と前向きな言葉を言わなかったら、ただおじいちゃん扱いされてるだけなんだって勘違いするところだった。
勘違いじゃないかもだし喜ぶべきかは分からないけど、ずっと先まで一緒に居てくれるつもりなんだっていうのは嬉しいよね。
とはいえ、僕1人で過ごす部屋ならまだしもみんなで使う楽屋や控え室でそれはよくないからと、最近は気をつけているつもりだった。まだまだマネージャーにも指摘されることの方が多いけれど、昔よりは減ったと思う……んだけど、おかしいな。
「ねぇ、僕のリップ知らない?」
鞄の中に直接入れるから失くすんだよと言われてから、小物類はポーチにまとめるようにしていた。
なのに、若井にもらったポーチに入れておいたはずのリップが見当たらなくて、僕の太腿に頭を置いてスマホをいじっている元貴に訊く。
スマホから目を離して顔を上げた元貴は首を横に振る。僕に寄りかかりながら雑誌を読んでいた若井も、知らない、ないの? と僕の手元を覗き込んだ。
「ここに入れてあったはずなんだけど、ないんだよね」
あ、俺があげたやつ、と嬉しそうに笑った若井と中身をひとつずつ出して確認するが、やはりリップはなかった。ゴミ入ってんじゃん、と、ポーチから出てきたのど飴の空袋をゴミ箱に捨てた若井も、不思議そうに首を捻る。
「出しっぱなしにしてメイクさんが間違えて持っていったとか?」
「いや、今日は使ってない……よ? 出してないと思うんだけど」
「自信ないのかよ」
ふはっと笑った元貴に言われ、むむ、と眉を寄せて思い出すが、やはりポーチから取り出した記憶はない。
若井と2人で首を傾げていると、元貴が楽屋にいるマネージャーの1人に、ここに誰か入った? と訊いた。マネージャーは同じように首を傾げ、スタッフの出入りはあったと思いますがみなさんの私物には触れていないはずです、と答えた。
そりゃそうだよね、と3人で頷く。一応メイクさんに間違えてしまってないか確認を取ってもらったけれどやっぱりなかった。僕がものをなくすことは恥ずかしながらよくあることだし、もしかしたらお家にあるのかもしれない。
「じゃぁ明日、俺のコレクションから似合うやつ譲ってあげる」
するっと伸びてきた元貴の手が僕の唇に触れた。やさしくなぞられてくすぐったさに小さく笑う。
「使いかけじゃんそれ」
元貴の提案にどうせなら新品ちょうだいよ、と言うと、贅沢だなと元貴が僕の唇をつまんだ。びっくりして、んぷ、って変な声が出ちゃった。
力を抜いてすり、と僕の唇に触れながら何色がいいかなぁと考え始める元貴の手に僕も手を重ねて、元貴が選んでくれた色ならなんでも嬉しい、と返す。やさしく細められた元貴の目は甘くて、僕のことが愛おしいって思ってくれていることが伝わってくる。僕もおんなじような目をしているのだろう、
「ほんとナチュラルにいちゃつくよね」
と、揶揄うように若井が言った。
僕と元貴の関係はメンバーである若井はもちろん、事務所公認だから誰も突っ込まないが、誰かが挨拶に来てくれたら確実に驚かれる距離の近さだ。
かく言う若井も他に椅子があるにも関わらず同じソファに座っている。近くにいてくれる分には嬉しいから言葉にしないが、3人でいちゃついてるように見えちゃうんじゃないかな。
割と広い楽屋を割り当ててもらっている意味は今のところまったくないけど、これが僕たちの通常だから、誰に何と言われようと僕らのスタイルを変えるつもりはないんだけどさ。
「てかさ、涼ちゃん、この前もなんか失くしてなかった?」
元貴に言われて思い出す。3日くらい前にいつも使っていたペンがどこかにいってしまって、それも結局見つからないままだ。
そんなこともあったねと僕がのほほんと言うと、呆れたように元貴が溜息を吐く。若井もしかめっつらをして、お気楽すぎでしょ、と苦言を吐いた。
「気をつけなよ? フリマサイトとかで売られてたらどうすんの」
「こ、こわいこと言わないでよ……」
元貴の言葉に不安を覚えて、若井とフリマサイトで検索をかけてみたが、取り敢えず売られてなかった。
それにしても僕らのグッズとかめちゃくちゃ売られてんじゃん。転売とまではいかないものもあるけど、なんかなぁ、とちょっと微妙な気持ちになる。売る方も売る方だし、買う方も買う方だし、こういうのってままならないよね。
なんにせよ、僕の私物が売られていないようで安心した。
――――そもそも僕が使用したものって証明できないんだから無理じゃない? と気づいたのは家に帰ってからだった。元貴なりのお叱りだったんだろうけど、無駄に焦っちゃった。
翌日、宣言通り元貴は自宅からリップコレクションを持ってきてくれて、全色僕の唇に乗せて吟味したあと、今の僕に1番似合うものをくれた。使いかけといっても新品同様のものばかりで、僕はありがたく頂戴して大切にポーチにしまった。
「……なに、これ」
そんなやりとりから数日後、自宅マンションのポストに入っていた郵便物を部屋で確認した僕は、1通の封筒を開いて固まった。
どこにでもあるような白い無地の封筒にはなにも書いておらず、不思議に思いながら中身を取り出すと一枚の写真が入っていた。数日前に楽屋で元貴にリップを塗ってもらっている様子を写したそれは、明らかに盗撮だとわかる画角だった。
宛名も差出人もなにも書いていない封筒の時点で違和感を覚えるべきだったのに、マンションの管理人さんからの通達か何かかなと、普通に中身を見てしまったことを後悔する。だけど、見てしまった以上無視もできない。
気持ち悪いなと思いながら写真を裏返すと、印刷されたように特徴のない書体で“僕の女神様、あの色もその色もあなたを穢している”と記されていた。
「……え、どういうこと?」
意味が分からないうえに気味が悪い。あの色ってなに? リップの話? あとこれなんて読むの? “けがす”? ますます意味が分からない。
熱狂的なファンに自宅が特定されるってことは稀にあるようだけど、今までそんなことは一度もなかった。事務所が斡旋してくれたこのマンションのセキュリティはしっかりとしているはずで、だからこそ余計に不気味だった。
警察に言うべきか、せめて事務所に相談するべきかという考えがよぎるが、なんの実害もない現状では、自分の立場を考えれば“よくあること”で済まされてしまうかもしれない。事務所にも無駄に心配をかけるべきじゃないだろう。
「い……いたずら、だよね」
自分自身に言い聞かせるようにつぶやき、写真と封筒をゴミ箱に捨てた。
なんだか落ち着かなくて、気分を切り替えるためにお風呂に入って、念の為に戸締まりを確認して眠りについた。
僕の不安をよそに、翌日以降はそんな封筒が入ることはなく、忙しいけど充実した日々を送っていくうちに、僕の記憶からはすっかり抜け落ちていった。
「今日涼ちゃんの家行っていい?」
ツアーの打ち合わせを終えて帰り支度をしていると、元貴が僕に抱きつきながら言った。頭を撫でて、もちろん、と返すと、嬉しそうに口角を上げる。10周年の記念日を終え、ライブもひとつ終了したことで目が回るような忙しさではなくなったにせよ、ゆっくりと時間を取ることが最近できていなかったから僕としても嬉しい限りだ。
マネージャーが運転してくれた車から元貴と一緒に僕のマンションで降りて、郵便物を確認してから行くから先行っててと元貴に伝える。頷いた元貴はエレベーター呼んどくね、と先に歩いていった。
「え……」
ダイヤルロック式のポストを開けて固まる。あの日の記憶が一気に蘇って、寒くもないのに身体が震えた。
――――あの日と同じ、なんの特徴もない白い封筒だ。
ポストの中央部に少しのズレもなく、ダイヤルロックを解除しないと入れようがないほど整然と、他の郵便物の上に、まるで“置かれた”ように。
思わず背後を振り返る。誰もいない。周囲を見回すが、やっぱり誰もいなかった。
「涼ちゃん? エレベーターきたよ」
エントランスに響く元貴の声にハッとなって、ポストの中身を全部掴んで鞄に突っ込む。
ドクドクと心臓は激しく脈打ち、嫌な汗がじわっと滲み出る。首を振って気分を切り替えて、エレベーターまで小走りで駆け寄った。
「……? どした?」
「え?」
「なんか顔色悪いよ。疲れた?」
元貴が不安そうに眉毛をハの字にして、僕の頬に触れた。元貴の手のあたたかさに安心感が募る。
自分だって疲れているだろうに、僕を気遣ってくれる元貴のやさしさが嬉しくて、だけど同時に余計な心配をかけさせてはいけないと、なんでもないよと首を横に振る。
「昨日パン屋さんでちょっとお高めの食パン買ったから、明日の朝食べようね」
少し下の位置にある元貴の頭に寄りかかりながら伝えると、あからさまに話題を変えた僕を腑に落ちない顔で見つめながらも元貴は頷いた。
部屋に戻って手洗いとうがいをして、買い置きしておいた冷凍パスタをあたためて食べた。最近の冷凍食品ってすごいよね、めちゃくちゃ便利だし、味もすごく美味しい。
空腹を満たすと眠気がやってきたらしく、元貴がソファで寝てしまう前にお風呂に入るよう声をかける。一緒に入ると駄々をこねたけれど、ゆっくり入ってきなよとおでこにキスをすると、涼ちゃんのくせに生意気、と言って口にキスをされた。
触れるだけのキスが少しずつ深くなって、口を離す頃にはお互いに熱っぽい呼吸を繰り返していた。じっと見つめ合うと我慢できなくなりそうだったのか、入ってくる、と元貴が逃げるようにバスルームに向かった。
明日の朝が早くなければ……いや、さっきの封筒のことがなければ、僕だって元貴とお風呂に入りたかった。
「……よし」
深呼吸をひとつして、鞄の中にねじ込んだ白い封筒を取り出す。相変わらずどこにでも売っていそうなその封筒から、震える指で中身を取り出した。
今度は、写真ではなく半分に折られた便箋だった。恐る恐る開いて、目に飛び込んできた文字に瞠目する。
“小指の爪、大丈夫?”
たった1行の印刷されたような文字の持つ気持ち悪さに、便箋を放り投げた。
「なん、ッ、え?」
なんのことを言っているのか分かってしまった。
だって、今日の朝、僕がメイクさんと話をした内容そのものなんだから。
あのとき部屋には僕とメイクさんしかいなくて、小指だけ切りすぎちゃって〜と一瞬話題になっただけだし、メイクさん以外、他には誰も聞いていないはずだ。
じゃぁこの手紙を入れたのはメイクさんってこと? ……いや、それはない。こんなことをする理由がないし、その場で大丈夫ですか? と訊かれている。
だとしたら、なんで知ってるの?
この前の写真も明らかに盗撮だったし、もしかして盗聴でもされているのだろうか。楽屋の中に盗聴器が仕掛けられてるってこと? でもそんなの、僕らがどの楽屋を使うかなんて分からないんだから、現実的じゃない。
誰かが、見てる? 誰かが、聞いている?
誰……?
僕に触れたのは元貴と若井くらいなもので、他の人は目があったくらいなもので深爪なんて、それも小指の爪の長さに気付くほど長時間一緒に居た人なんて1人もいない。
元貴も若井も気づかなかったことを、なんでこの人は知っているの?
「……ッ」
唐突に気持ち悪さが込み上げてきて、シンクに走って胃の中身を吐き出した。水を流して嘔吐する音をかき消しながら、滲んできた涙を指で拭う。
「……捨て、なきゃ」
元貴に見つかったら余計な心配をかけてしまう。
いろんなイベントを控えている今、こんなことで歩みを止めるわけにはいかない。
悪戯と呼ぶには度が過ぎているような気がするが、たった2通、手紙が届いただけだ。気味の悪さから過剰になっているだけで、こんなの偶然だよ、そう、たまたまだ。もしかしたらメイクさんが他の人に話したのかもしれない……し、ね。
ぐしゃぐしゃに丸めた便箋と封筒と、それから排水溝のゴミ受けに溜まった吐瀉物をまとめて袋に入れて、キツく縛って可燃ごみ用のゴミ箱に捨てる。ゴミ箱の蓋を開けたら見えてしまうかもしれないから、要らない郵便物をその上から捨てて、ぱっと見では分からないように隠しておいた。
水を飲んで喉の不快感を緩和させ、自分を落ち着かせるために深い息を吐いた。
「……うん、気のせいだよ。大丈夫」
「なにが?」
「ひぎゃっ」
「なんて声出すのよ、なに、また独り言?」
いつの間にかお風呂から出てきた元貴が、僕を怪訝そうに見つめるが、内心僕は安堵していた。あとちょっと元貴が戻ってくるのが早かったら、吐いているところを見られてしまっていただろうから。
悪いことをしているわけじゃないのになんだか居た堪れなくて、元貴の視線から逃げるように目を逸らすが、むっと眉を寄せた元貴が僕の頬を掴んで目を合わせる。
「ねぇ、やっぱり顔色悪いよ? 体調悪い?」
さっきまでそんなことなかったのに、と不安に揺れる声で言われて、どうしようと焦る。相談するのが1番かもしれないが、なんだそんなこと? とか、気にしすぎでしょ、と言われたら立ち直れる気がしない。
そんな風に無碍にされることはないと分かっているのに、思考が沈んでしまった僕は悪い方向にしか物が考えられなくなっていた。
「だ、大丈夫。お風呂入ってくるから先寝てて」
「ちょ、涼ちゃん!」
心配してくれる元貴の手を振り払って、バスルームに逃げ込んだ。脱衣所に満ちる元貴のシャンプーとヘアオイルの香りに、ささくれだっていた気持ちが少しだけ落ち着く。
心配してくれた元貴に酷い態度をとっちゃったな……、あとで謝らないと。
服を脱いでバスルームに入ろうとした瞬間、ぞわっと背中に視線を感じて振り返る。
「……元貴、なにしてんの」
「や、涼ちゃんが心配で」
「だからって覗くな!」
ケラケラ笑った元貴が扉を閉める。もう、なんなの、変に反応しちゃったじゃない。
写真も今日のできごとも、全部楽屋でのものだった。家が知られているとはいえ、流石に家の中でまで怯える必要はないだろう。
元貴の悪戯に気持ちが楽になり、さっぱりとした気分でお風呂から上がった。
先にベッドで横になっていた元貴の横に入り込むと、すぐに元貴が抱きついてきた。歯を磨いたばかりで爽やかなミントの香りを漂わせながら、軽く唇を触れ合わせる。
暗い部屋でも至近距離であればお互いの表情くらいはよく見えた。やさしい眼差しの元貴が、宥めるようにおでこにキスを落として、囁くように言った。
「……何かあるなら相談してよ?」
「え?」
「涼ちゃん、意外と溜め込むでしょ」
言い聞かせるようなやさしい声。僕の背中をさするあたたかい手。
涙腺がゆるみ、涙がこぼれそうになって元貴の胸元に擦り寄った。ぎゅっと一層強く僕を抱き込んだ元貴のとくとくと響く心音が耳に心地よい。
この腕のぬくもりがあれば、なんだって耐えられる気がした。元貴が一緒にいてくれるなら、なにが起きても平気だと思えた。
「……なんもないよ、ありがとね」
僕も元貴の身体を強く抱き締める。元貴の腕の中にいる瞬間は、いつだってたまらなくしあわせだ。あったかくて心地よくて、愛おしくてたまらない。
疲れていたのか、すぐに睡魔がやってきて、安心させるように僕の背中を撫でる元貴の手が刻むリズムに誘われるように、ゆるゆると眠りの淵に落ちていく。
「愛してるよ、涼ちゃん」
元貴の甘い声に、俺も、とどうにか応じ、僕は意識を手放した。
続。
新作です。頭爆発しそうになりながら書いてます。
少しでもお楽しみいただけましたら嬉しいです。
コメント
12件
じ、事件?!とドキドキしながら読んでます🫣♥️💙💛 新作に再放送に、お盆休み最高🌻とルンルンです🫶 いつも更新、ありがとうございます✨
うふふふ…🤭 リクエスト答えてくれてありがとう!今日更新してくれてありがとう✨ とっても嬉しいです!この初回のゾクゾクを味わいたかったの🫣見事な表現力✨ リップはなんか怖いよね… 魔王に言うかなー?やっぱり言わないかなー?は読む前のワクワク😍 実はこのリクエスト、私の内緒の希望があってそれが遂行されるとよいなぁと思ってる次第です😙