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翌朝
瞼を押し上げる光の粒が、いつもよりずっと眩しく感じられた。
ゆっくりと意識が浮上したとき、私は自分がまだクラウド様の自室のベッドに横たわっていることに気が付いた。
視界に飛び込んできたのは、重厚な天蓋と、銀板写真が並ぶあの壁。
昨夜、この部屋で繰り広げられた激しい情事の記憶が、鮮明な色彩を伴って脳裏に蘇る。
熱い吐息、奪われるようなキス
肌を這う指先の感触……
そして、初めて味わった「イく」という感覚。
「……っ」
思い出しただけで、全身にじわじわと熱が広がり、頬が火を吹いたように火照る。
混乱と気恥ずかしさで、私は思わず枕に顔を埋めた。
けれど、隣を見渡してもクラウド様の姿はもうない。
シーツに残った微かな窪みが、彼が今朝までここにいたことを教えてくれていた。
きっと、既にお仕事に行かれたのだろう。
ふと自分の体に目を向けて、私は小さく息を呑んだ。
昨夜、あれほどまでに乱され、汚れを気にする余裕もなかったはずなのに
肌は驚くほど丁寧に拭き清められ、清潔な状態にされていた。
身に纏っているのは、見覚えのない上質なナイトガウン。
クラウド様が、眠っている私を抱き起こし、着替えさせてくださったのか。
「どこまでも…丁寧な方……」
彼の気遣いと深い献身が胸に染みる。
けれど、ふいに起き上がろうとして体を起こそうとした瞬間、腰にズンとした鈍い痛みが走った。
「……あうっ」
思わず小さな声が漏れる。
起き上がろうにも力が入らない。
昨夜の情熱の名残をこんな形で突きつけられるなんて。
私は羞恥心でいたたまれなくなり、再び毛布を頭から被って顔を隠した。
ふかふかの毛布に包まれると、そこからはクラウド様の特有の、落ち着いた香りがふわりと漂ってくる。
心地よい香りに包まれているうちに、緊張の糸が解けた。
(……少しだけ、仮眠を取ってから起きよう)
そう自分に言い聞かせ、微睡みの海へと沈み込んだ。
◆◇◆◇
しかし
次に目を開けたとき、私の予想は大きく外れていた。
窓の外はもう、世界を燃やすようなオレンジ色に染まっている。
「え……っ?! うそ……」
慌てて体を起こした。幸いなことに、昼間の休息のおかげで腰の痛みは引いている。
私は無理やりベッドから下りると、乱れた髪を指先で整えた。
とりあえず、この格好のままではいけない。
一刻も早く自分の部屋に戻って身支度を整えなければ。
(クラウド様が帰ってくる前に、自分の部屋に戻らなきゃ……!)
焦燥感に駆られながら扉へと駆け寄り、勢いよく開け放った。
瞬間、扉のすぐ先にいた「誰か」に、止まりきれず正面からぶつかってしまう。
「きゃ……! ごっ、ごめんなさい……!」
体勢を崩しそうになり、私は無意識に相手の胸元にしがみついた。
鼻をくすぐったのは、一日中、毛布の中で吸い続けていたあの香り。
慌てて顔を上げると、そこには端正な顔立ちを驚きに染めた男性が立っていた。
「へっ?! ク、クラウド様……?!」
驚きすぎて、喉の奥から上ずった声が出る。
しかし、クラウド様は慈しむような優しい笑みを浮かべ、私の体を腕の中に閉じ込めた。
「エリシア……そんな格好のまま無防備で──。もしかして、部屋で僕の帰りを待っていたのかい?」
「あっ、えっと……! ち、違います……! これは…っ」
頭に血が上り、顔は瞬く間に真っ赤になる。
私はアタフタと手を振りながら、支離滅裂な弁明を繰り返した。
「腰が痛くて……起き上がれなくて、でもクラウド様の匂いが心地よくて……少しだけ寝させてもらおうと思ったら、こんな時間まで眠ってしまって……っ。こ、こんな格好のまま、ごめんなさい……!」
必死に身振りを交えて説明する私を、クラウド様はじっと見つめていた。
やがて、彼は口元を隠すように片手を当てて、クスッと肩を揺らした。
「ふふっ……ごめんね。昨夜は無理をさせちゃったからね。今はもう大丈夫かい?」
そう言って、彼はそっと私の腰に手を回した。
薄いガウン越しに伝わる体温。
触れられただけで、昨夜のあの激しい感触が鮮明にフラッシュバックし、私の体はびくりと震えた。
「……だ、大丈夫ですけど……クラウド様……今、触れられると、思い出しちゃうので……っ。離して、くれませんか……っ?」
恥ずかしさに耐えきれず、私が視線を逸らして懇願すると、クラウド様は再び口元を覆い
苦しげな、けれどどこか歓喜に震えるような吐息を漏らした。
「……君はどこまでも僕を煽る天才だね。今すぐここで、抱き潰したいところだけど──。今日は我慢するよ」
その低く掠れた声に心臓が跳ねる。
直後、私の唇に羽毛のような優しいキスが落ちた。
そして、彼は当然のように私を軽々とお姫様抱っこで抱え上げた。
「……!」
反射的に、私は彼の首元に手を回してしがみつく。
クラウド様は私の耳元で甘く囁いた。
「ゆっくり休んで。夜ご飯のときに、また起こしに行くからね」
そうして、私は再び彼の腕に運ばれて自室へと戻された。
昨日、あれほど「逃げたい」と怯えていたはずなのに。
今の私はただ、彼の胸の音を聴きながら、その温もりに顔を埋めることしかできなかった。
◆◇◆◇
自室に戻されてからも、私の胸の鼓動は一向に収まる気配を見せなかった。
クラウド様の腕の温もり、唇に残る微かな痺れ…
ベッドに横になると、安堵感からか、またしても深い眠りに落ちてしまった。
それからどれくらい時間が経っただろうか。
夜の静寂が屋敷を包む頃、扉を軽くノックする音が響き、私はハッと目を覚ました。
「エリシア、起きてるかい? 入るよ」
「は、はい……! どうぞ」
起き上がり、乱れた髪を整える間もなく扉が開く。
入ってきたクラウド様の手には、大きなお盆が乗っていた。
そこから立ち上る湯気が、食欲をそそる香りを運んでくる。
「作ったばかりだから、一緒に食べようと思って持ってきたんだ。具だくさんのクリームシチューだよ」
「わっ、ありがとうございます……! すごく美味しそうな匂い……っ」
テーブルに並べられた温かな料理。
向かい合って座り、一口、また一口とシチューを運ぶ。
クラウド様の作る料理は、いつだって驚くほど優しくて、私の好みを完璧に捉えている。
けれど、食事が進むにつれて、部屋には独特の沈黙が降りていった。
スプーンを置いたその瞬間、クラウド様が静かに、真剣な眼差しで口を開いた。
「……エリシア。僕のこと、まだ怖いかい?」
「えっ」
予想外の問いかけに、私は拍子抜けして声を漏らした。
クラウド様は少し目を伏せ、長い睫毛の影を落としながら、上目遣いで言葉を続けた。
「……昨日、僕のことが怖くなったと言ったろう? だから……君が僕の元からいなくなるのが怖くて、君に欲望をぶつけてしまった。本当に、ごめん」
その瞳には、隠しきれないほどの罪悪感と、捨てられるのを恐れる子供のような不安が滲んでいた。
氷の公爵と呼ばれ、完璧を体現する彼が、こんなにも脆い表情を見せるなんて。
私の胸は、締め付けられるように痛んだ。
「えっと……そのことですけど……。もう、クラウド様が私のことを大切に思ってくださっていたことは、十分に伝わりました。わ、私の方こそ……パニックになって、勝手に決めつけて、屋敷を飛び出そうとしてしまって。ごめんなさい」
慌てて謝罪を口にすると、クラウド様はゆっくりと横に首を振った。
「謝らないでくれ、エリシア。…僕の愛が伝わったなら嬉しいよ……僕がエリシアを好きすぎるから、あんな部屋を見せたら引かれると思って怖かったんだ。でもそれがかえって、君を不安にさせていたみたいだ。こんなことなら、最初から何も隠すべきではなかったと反省しているよ」
そんな風に、汐らしく、けれど穏やかに微笑む彼の顔を見ていたら
私の中にあったわだかまりが、するすると溶けていくのを感じた。
それと同時に、自分でも驚くほどの勇気が湧いてくる。
「…その、私もクラウド様のことは大好きなので…っ、もっと…求めて欲しいんです。つ、妻として……ありのままのクラウド様を、知りたいですから…」
真っ赤になりながら、絞り出すように本音をこぼした。
クラウド様の目が、一瞬だけ驚愕に大きく見開かれた。
「……そんなことを言われると、本当に歯止めが効かなくなってしまうよ」
低く、獣が唸るような掠れた声。
その響きにゾクッとしたけれど、彼にはすぐにいつもの優しい笑みが戻った。
「でも、ありがとう。君の気持ちが聞けてよかった。……喧嘩、というわけではないけれど。仲直りに──明日はデートに行かないかい?」
「えっ、デートですか?」
「ああ。エリシアさえよければ、朝から出かけよう。二人きりでね」
クラウド様は私の手をそっと握りしめた。
私は嬉しさのあまり、彼の大きな手を力いっぱい握り返す。
「本当ですか……! ぜひ、行きたいです……!」
私の明るい返事に、クラウド様の表情がパッと華やぐ。
胸の奥が、陽だまりのように暖かかった。
昨夜の混乱も、心を引き裂くような不安も。
今はすべてが、二人を繋ぐための優しい光に包まれているような気がした。