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眩い朝の光に揺り起こされ、私が最初に目にしたのは、枕元に恭しく置かれた一着のドレスだった。
それは、以前何気ない会話の中で
私が「こういうデザイン、お伽話の主役みたいで憧れます」と話していた、まさに理想そのものの新品だった。
淡い空色のシルクが、首元から裾へとしなやかに流れ
繊細な透け感のある袖と幾重にも重なったフリルのスカートが、可憐さと気品を同時に引き立てている。
触れるのを躊躇うほどの一級品だが、よく見ると肌の露出は極限まで抑えられていた。
私は期待に胸を膨らませ、その贈り物を身に纏って身支度を整えた。
鏡に映る自分は、まるで朝露を纏った花のようで、少しだけ背筋が伸びる心地がした。
少しして
迎えに来たメイドさんに連れられ
屋敷の前に待機していた馬車に乗り込むと、向かいの席には既にクラウド様が座っていらした。
彼は膝の上に書類を広げていたが、私の姿を認めると、その端正な顔を綻ばせて私を待っていてくれた。
「おはよう、エリシア。……お、その服を着てくれたんだね」
「おはようございます、クラウド様。はい、これ……私が前々から着てみたいと思っていたもので、朝起きてびっくりして……!」
「……君のためなら、これくらいはね。案の定、僕の見立て通りによく似合っているし、何より君が喜んでくれたみたいで嬉しいよ」
「えへへ…ありがとうございます。本当に素敵です、大切に着ますね……!」
心からの喜びを込めてお礼を言うと、クラウド様は私の瞳をじっと見つめ、熱を帯びた声で返してきた。
「……朝から可愛いね、エリシアは」
「そ、そんなこと……っ!…」
不意打ちの称賛に鼓動が跳ねる。私は真っ赤になった顔を隠すように、話題を切り替えた。
「それより……クラウド様、デートといっても、こんな朝早くからどちらへ……?」
「僕の領地の奥にある、我が家が代々守ってきた秘密の湖があるんだ。今日はそこでピクニックでもどうかと思ってね。その後に、君を連れていきたい特別な場所もあるから、楽しみにしていてくれ」
クラウド様の言葉に、私の胸は期待でさらに踊った。
────そうして、馬車がガタゴトと音を立てて走り出した。
流れる景色を眺めながら、ふと車内に目を向けると
クラウド様はいつも通り、私に触れない程度の絶妙な距離を保って座っていた。
一昨夜、あんなに激しく求め合ったというのに、今の彼はまるで高潔な騎士のように理性的で
その距離が今の私には少しだけ寂しく感じられた。
(せっかくのデートなのに……もっと、近くにいたい)
私は少しだけムスッとした表情を作ると、向かいの席から立ち上がり
迷わずクラウド様の隣へと移動した。
そして、彼の太い腕に自身の腕を絡めて、ぎゅっと寄り添い、体を密着させる。
「エリシア……近くないかい?」
クラウド様は、予期せぬ私の行動に驚いたように目を丸くし、少し照れた様子で私を見下ろした。
「……仲直りのデートなのでしょう? なら、もっとクラウド様の近くにいたいのです。これくらいも、ダメなのですか……?」
見上げてそう訴えると、クラウド様はハッとしたように息を呑んだ。
そして、困ったように、けれど心底愛おしそうに眉を下げて笑った。
「…ごめんごめん。そうだね」
そう言って、空いた方の手で私の頭を優しく撫でてくれる。
その大きな手のひらの温もりに、私の心はたちまち満たされた。
私は嬉しくて、けれどやはり見つめられると恥ずかしくて、照れ隠しのように彼の広い肩に頭を預けた。
◆◇◆◇
数時間の道中の後、馬車の揺れが止まった。
御者が扉を開けると、そこには乳白色の濃い霧がどこまでも立ち込めていた。
一歩先も見えないほどの白濁した世界。
周囲は鳥の声さえ届かないほどの、深い静寂に包まれている。
「お前たちはここで待機していろ」
クラウド様の声は低く、車内で私に見せていた柔和なものとは対照的な凍てつくような威厳に満ちていた。
彼は馬車を下りると、私に手を差し伸べてくれた。
「……っ」
手袋越しであっても、彼の手のひらが驚くほど熱いことが伝わってくる。
「さあ、行こう。ここから先は、君と僕だけの世界だ」
クラウド様に導かれるまま、深い霧の中を数分歩いた。
視界が効かない不安を、彼の手の熱だけが繋ぎ止めてくれる。
やがて霧のカーテンが揺らぎ
鏡のように静止した滑らかな湖面と、一艘の小さな木造ボートが姿を現した。
クラウド様の差し出した強い手を借り、私は揺れるボートに乗り込んだ。
彼がゆっくりと、規則正しい音を立ててオールを漕ぎ出す。
岸辺はあっという間に霧に飲み込まれ
自分たちが世界のどこにいるのか、現実の境界さえ分からなくなりそうだった。
少しの間、私たちは言葉を交わすこともなく、霧に包まれた湖上を静かに漂った。
規則的な水の音だけが、世界のすべてを覆い尽くしている。
◆◇◆◇
やがて、停滞していた霧が太陽の光に溶かされるように少しずつ晴れ始めた。
湖畔の一角に、眩い陽光が差し込む美しい砂浜が見えてくる。
そこには既に、公爵家の紋章が入った豪華なピクニックバスケットと
上質な白いリネンが敷かれたシートが、完璧な配置で用意されていた。
それは、クラウド様が私を湖上から驚かせ、喜ばせるためには完璧な舞台だった。
「エリシア、着いたよ。時間もちょうどいいし、お昼にしようか」
クラウド様は器用にボートを岸に寄せると、再び私の手を取り、シートへと優雅にエスコートしてくれた。
霧が完全に払われた湖面は、ダイヤモンドを散りばめたように穏やかに煌めいている。
遠くからは小鳥のさえずりが歌のように聞こえ、まさに楽園のような静けさと美しさがそこにはあった。
シートに二人並んで腰を下ろすと
クラウド様は用意されていた銀の保温瓶を取り出し、丁寧に暖かな紅茶を注ぎ出した。
立ち上る白い湯気と共に、私の大好きなアールグレイの華やかな香りがふわりと広がる。
「少し冷えただろう。君の好きな茶葉を、公爵邸の庭で採れた特別な蜂蜜で、君好みに甘くしておいたんだ」
クラウド様はそう言って、美しい絵付けが施された白磁のカップを私に手渡してくれた。
その際も、彼は私がカップを受け取るその指先、その動作のすべてを、愛おしくて堪らないといった様子で見つめていた。
私が一口含み、「んん……! とっても美味しいです……!」と本音を零せば
クラウド様の強張っていた表情もふっと和らいだ。
「……良かった。君が温まる姿を見ているだけで、僕の心も満たされるよ」
「もう、クラウド様は大袈裟ですよ……。ほら、クラウド様も一緒に温まりましょう?」
言いながら、私は予備の空のカップを彼に手渡し、今度は私が紅茶を注いであげる。
「ふふ、ありがとう。そうだ…エリシア、こっちもあるから、たくさん食べてくれると嬉しいな」
クラウド様が蓋を開いたバスケットの中には
食べるのが惜しいほど華やかなオードブルが並んでいた。
香ばしいハーブが香るチキンロール、彩り豊かな野菜のマリネ。
そして、私が特に好きな、宝石のようなベリーとクリームがたっぷりと乗ったタルト。
クラウド様は自らタルトの一切れを丁寧に切り分けると、フォークで掬い上げ、私の口元へとゆっくりと運んできた。
「ほら、エリシア。召し上がれ」
クラウド様に「あーん」をされて、私は少し照れながらもそのタルトを口に含んだ。
果実の酸味とカスタードの甘みが口いっぱいに広がり、幸せな気持ちで笑顔になる。
その様子を見て満足げに微笑むクラウド様に、今度は私がタルトを掬って「あーん」とお返しをしてあげる。
彼は以外にも嬉しそうにそれを受け入れた。
しかしその直後、クラウド様は一旦フォークを置くと、私の口元に付いていた微かなクリームを
あろうことか自身の舌でゆっくりと舐めとったのだ。
「っ……!」
そのあまりにも挑発的で情熱的な仕草に、私の頬は一瞬で真っ赤に染まる。
「ク、クラウド様……っ! もう……急にするのはズルいです…っ」
「ふっ……可愛いエリシアが悪いんだよ。無防備すぎる」
クラウド様は私の手を取り、その甲に深く、熱い口付けを落とした。
そのまま、彼は抗う隙も与えない強引さで
私を自分の膝の上へと抱き寄せ、その太い腕で私を拘束した。
「君をこうして抱きしめられるのは、僕だけの特権だからね」
クラウド様は私の耳元で、蕩けるような甘い声で囁いた。
そして、逃げ場を塞ぐようにして、私の白い首筋に愛おしげに顔を埋めてくる。
彼の熱い吐息が肌に触れ、私は彼の中に宿る、深く、静かな独占欲の渦に呑み込まれていくのを感じていた。