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沼津市から東へ道なりに進むことで熱海市へと辿り着く。それは道路標識を見ても分かることだ。距離にしておよそ二十五キロであり、朝から出発すれば昼前には到着する。
かつての観光地だけあって、熱海にはまだ物資が多く残っている。缶詰やインスタント食品のような食材は残っていないが、干し魚がそれぞれの家に吊るされていた。
「噂には聞いていたが、この辺りは人が住んでいるのか」
ドラゴンを恐れて、必要がなければ外に出ることはない。しかし熱海には僅かながら人が住んでいる。ドラゴンから隠れて生活をしている人々の集まりが熱海にあるのだ。
そして干し魚はシオンやアーシャにとって珍しいものである。
化学合成された食品に慣れているからだ。現代において食料は自然から採取するものではなく、化学的に調合するものだ。二人とも道を歩きつつ、干し魚に注目していた。
(交渉して食料を分けて貰うか……)
昨晩はキノコだけで、今朝は何も食べていない。流石に空腹だった。いざとなれば携帯食料もあるが、それはギリギリまで取っておきたい。
それにシオンは負傷から回復したことで体が栄養を欲している。食料を補給できるチャンスを逃すわけにはいかない。
「アーシャ、俺はあの民家に行って食料を分けて貰う。ここで待っていてくれ」
「……まぁいいわ。早く行ってきて」
空腹には勝てないらしく、アーシャも素直に従った。
日本語を話せない彼女を連れて行っても不審者扱いされるだけだろう。こんな世の中なので、人々は排他的になっている。明らかに外国人と分かるアーシャを連れていくのは下策である。話も聞いてもらえないかもしれないからだ。
シオンは一人で戸口に向かい、強めに叩く。
しばらく待っていると、チェーンロックをかけたまま少しだけ戸が開かれた。
「誰だね」
隙間から顔を見せたのは白髪の男だった。しかし日焼けした肌と鍛えられたと分かる肩から見て、貧弱な老人というわけではないだろう。
「失礼。俺はキサラギのドラゴンスレイヤーです。任務中に遭難してしまって、食料を探しています。あなた方のものを分けてもらえませんか? 勿論、対価は支払います」
「竜狩りか。どれほど欲しい?」
「できることなら干し魚を六つ」
「欲張りだな」
「無理を言っているのは分かっています。こちらの払えるものを払うつもりです」
「払うというが、何を差し出せるかね?」
「小型竜、あるいは竜人ならば狩ります」
「……少し待っていろ」
老人は扉を閉じる。
しばらく待っているとチェーンロックが外され、壮年の男が現れた。老人と同じく日に焼けており、髪はかなり雑に切ったのか違和感がある。ただ、何となく顔つきは老人と似ていた。
「あんたが親父の言った竜狩りか。干し魚が欲しいらしいな」
「はい」
「残念ながら、俺たちも厳しい状況にある。思うように魚が手に入らなくてな」
「……無理ですか?」
「そう結論を急ぐな。俺たちが魚を獲れないのは、海岸や船着き場に竜人がいるからだ。それを討伐してくれたなら、魚をやろう」
シオンからすれば好条件だ。
竜人は接触禁忌種のため、ドラゴンスレイヤーですらなかなか討伐できない。まさかそれが彼らの生命線である海岸に出没するというのは意外だったが、シオンにとっては好都合である。
「竜人の数は?」
「四体だ」
「多いですね」
「俺たちは竜人の目を盗んで海に出かけているが……犠牲者も出ている。だがそれも限界だ。だから竜人一体で干し魚を一つやる。全部討伐すれば望み通り六匹分をやろう。それでどうだ?」
竜人四体の討伐で魚六匹とは割に合わないが、この世において食料は金すら上回る。海に出て魚を獲る者たちにとって、これは妥当な交渉だ。
問題はシオンが竜人を四体も狩れるかどうかである。
(一体ずつなら、何とかなるか)
Dアンプルのストックは二本だけである。つまりデミオン活性による強化は二回が限度だ。理想は一体ずつ暗殺することだが、二体以上で固まっていた場合は厄介である。
何より、シオンの対竜武装は折れている。
竜人の心臓を貫くには充分だとしても、普段より深く踏み込まなければならない時点でリスクを抱えている。それでも食料を手に入れるためには危険を冒さなければならない。
「分かりました。交渉成立ですね」
「ここから海に向かうと砂浜がある。俺たちの船はもう少し南の熱海港だが、その辺りで竜人は出没するらしい」
「街には来ないんですか?」
「今までこっちまで来たことはない」
「なるほど」
竜人の徘徊ルートについては納得できなくもない。竜人とは赫竜病の進行してしまった元人間であり、その記憶は僅かに残っている。元になった人物にとって印象深い場所を本能で徘徊すると言われている。
元ドラゴンスレイヤーならば自分が死んだ任務地、そして元漁師なら海の近く、といったように。
(俺が討伐する竜人も、もしかしたらこの人の知り合いかもしれないな)
赫竜病は誰もが罹る病だ。
特に設備の整っていない集落ではまともな医療行為すら施せず、赫竜病は進行して死ぬか竜人化するかになってしまう。男の口調では、竜人が最近になって現れたような風だった。
知り合いという線は濃厚である。
実力は勿論だが、知り合いが元になっている竜人を殺すことは心理的にできないだろう。
「俺は田村義嗣だ。頼む。あいつらを止めてくれ」
「約束は守ってもらいます。俺は如月シオンです」
◆◆◆
シオンは事情を話すためにアーシャの元へと戻ったが、そこに彼女はいなかった。ドラゴンのように赤い髪色のアーシャは目立つため、彼女が少しくらい待ち合わせ場所を離れたところで見つけるのは簡単だ、
「……いない? アーシャ!」
嫌われていることは分かっているので返事は期待していない。しかし呼ばれたら顔くらいは見せてくれても良いはずだ。
しかしシオンの呼び声は住宅街で虚しく響いただけだった。
「まさか勝手に行ったのか? どこに?」
熱海はシオンもアーシャも良く知らない土地だ。仮に迷子になったとすれば、再び会うことは不可能かもしれない。
(くそ、なんでこんな振り回されているんだ)
上手くいかない苛立ちからか、頭の中が茹っていく。
(ああ、そうだよ。アーシャを連れ帰れなかったキサラギは苦しい状況だろうさ。ウチは新ロシアや合衆国、中国天道院、アラビア連合みたいに大きな力がない。RDOからすればいつでも捨てれる極東の小拠点だ)
それでも潰されないのは、如月水鈴がいるからだ。ランク七という最高峰を示すドラゴンスレイヤーを保有しているお蔭で、キサラギはRDOからも支援してもらえている。その実情もあって何かの事故で水鈴が失われないように、彼女は外に出ることはない。
ついでに言うなら”竜の巣”富士樹海の監視役としての意味もあるかもしれないが、それはキサラギにこだわる必要もない要素だ。旧日本領土には他にも自治組織があるのだから。
「どこだ。どこいった……」
慌てて近くのブロック塀に跳び乗り、そのまま軽やかに跳んで廃屋の屋根に立つ。高い位置から探索すれば、目立つアーシャはすぐに見つかると考えたのだ。
「赤い髪、赤い髪……この位置から見える範囲にはいないか」
踏み込みすぎで屋根を崩さないように気を付けつつ、シオンは隣接する家へと飛び移る。これでもシオンは調査の任務に就くことが多く、視覚的探索能力には自信がある方だ。いくら空腹であったとしても、見逃すほど鈍ってはいない。
「ったく。俺も自己中野郎だな。自己保身だらけのゴミみてぇな性格だ。終わってるな本当に」
だがふと冷静になり、己の行動原理に嫌悪感を抱く。
何と勝手で、彼女を思いやっていない言動だろうか。だから昨日のことがあったというのに、まるで学習していない。
「富士樹海で誓ったはずだろ。最期にあの子だけでも守ってみせるって。だったらやり通せよ、俺」
悔い改めた。
ならば彼女を探さなければならない。そして必要な言葉を伝えなければならない。手遅れになる前に、必ず。だからシオンは走り出した。
◆◆◆
アーシャにとってその名前は特別なものである。
正式名称、アーシャ・キャトル・クロムウェル。しかし科学者たちは全員が彼女をキャトルと呼ぶ。
(ふん、バッカみたい)
赤い髪を揺らして走るアーシャは、ひたすら海に向かっていた。
彼女は実験体であり、そのための管理をされてきた。しかしただ一人、アーシャを実験機ではなく人間として接してきた者もいる。
(メアリみたいだって思ったのは間違いだったわ)
シオンにファーストネームで呼ばせたのは、心の内でメアリを重ねたからだった。もしかしたら、また人の温かみに触れることができるかもしれないと考えたからだ。
アーシャは想われることに飢えている。
実験機として育てられただけなら、人の心の温かみを知らないままならば機械のように育ったことだろう。しかし彼女の育て役であったメアリを通してそれを知ってしまった。知ってしまったならば、求めてしまう。アーシャを想い、アーシャのために尽くしてくれることを期待してしまう。
彼女はシオンにそれを期待した。
(あいつについて行ったら、また戻される!)
元の鞘に収まるつもりもない。アーシャはこれが実験でないことを理解した。だからこれは逃亡するチャンスなのだ。
それに海を見てみたいという願いもある。
昨晩は結局、アーシャは海まで行けなかった。
「あれが海! 海なのね!」
彼女の身体能力はなかなかのものである。ドラゴンスレイヤー程とまではいかないが、一般人の枠からは外れている。彼女の視界にぐんぐん海が広がった。
一面の青い景色は、地下研究室で育った彼女にとって感動に値する。
海の青、空の青の境目まではっきりと見えた。
独特の香りが風に乗ってくる。初めアーシャは嫌な顔をしたが、それでも速度を上げた。そしてついに住宅街を抜け、砂浜に出る。
強い海風が彼女の髪を巻き上げた。
「わぁ……」
心の歓声が口から漏れ出た。
陳腐な言葉では言い表せない自然の雄大さを前に、不機嫌さなど消えてしまった。波の音が嫌なことをすべて洗い流し、安らぎを与えてくれる。
アーシャは波打ち際まで走り寄り、海へと足を踏み入れる。
そして水の冷たさに驚き、飛びのいた。
「ふふ」
しかしそれすら嬉しいと言いたげである。
シオンと一緒にいた時とは打って変わり、無邪気な笑顔を浮かべていた。
「冷たい。あ、また来た!」
波が引けば進み、波が迫れば飛びのく。
そんな遊びを続ける。
ただそれだけだが、アーシャは熱中していた。そのせいで、背後から迫る竜人に気づけなかった。
◆◆◆
リシャールは実験体キャトルの捜索をキサラギに依頼する一方、ゲオルギウス機関の知人と連絡を取っていた。彼はキサラギの管理するネットワークを介さず、衛星通信を利用している。それはこの通信がキサラギ側に知られることを避けるためである。
「そうか、やはり」
「主任。もしやそれがデュランテ博士からの返信ですか?」
「ああ、そうだよ。私の胸倉を掴んだ無礼者の情報だ。まさかあれが噂の”竜人殺し”だとは思わなかったがね。それに思った通りだった」
「”竜人殺し”……赫竜病を退ける特異体質。まさか現実に存在していたなんて。都市伝説だと思っていましたよ」
助手のシモンがリシャールの前にお茶を置き、ついでに自分の分もカップに注ぐ。この部屋はキサラギから用意されたものだが、盗聴対策は敷いてある。機密事項に触れる話をしても問題ない。
勿論、キサラギに不穏を感じさせる発言をしても問題にならないということだ。
「攫いますか? 例の竜人殺しはキャトルと共に行方不明です。RDOなら先に見つけられると思いますし、秘密裏に回収すればキサラギにも誤魔化しは効きますが」
「悩ましい限りだね。しかしあれは欲しい」
「研究してみたいですねぇ」
「私は”竜人殺し”がそれほど素晴らしいものには思えませんね。我々はキャトルを持っています」
「ふむ。ヴァンサン君はそう思うかね。では講義といこう」
そう言ったリシャールは立ち上がり、部屋に設置されているホワイトボードに近寄る。そして黒ペンのキャップを取り、ある数式を記した。
背筋を正したシモンはその数式が何であるか気付く。
「デュランテの第一方程式ですか?」
「その通りだね。デミオンが物質と結びつき、竜結晶となる仕組みを数学的に示したものだ。対竜武装にもこの仕組みは使われているし、竜人は皮膚が竜結晶化することでドラゴンの鱗にも似た組織を形成する。そして竜結晶は不可逆だ。竜結晶が元の物質に戻ることはないとされている」
「しかし方程式の上では可逆反応です」
「その通り。しかし熱しても、加圧しても、電気を与えても、化学反応させようと試みても、デミオンを追加で与えてみても竜結晶からデミオンが抜けることはなかった。これほど安定した物質は珍しい。見かけ上の安定である平衡状態すらないのだから」
近代のデミオン研究においては常識だ。
竜結晶は黄金すらも超える安定物質。全く化学変化しない上に、硬さも備えた究極の素材だ。
「デュランテ博士は――ああ、私たちの知るデュランテ博士の父君だね――その故デュランテ博士は、デミオンはバリオンというより電子に近い性質であると突き止めた。そして竜結晶は電子の代わりにデミオンによって結合したバリオンである。それがデュランテの第一方程式だ。これは知っているね?」
「勿論です。基本方程式ですから」
「よろしい。ではWAO理論は?」
対抗するように今度はヴァンサンが答える。
「ウィリアム・アンダーソン・オーエンス理論ですね。竜結晶に過剰なデミオンを注いだ場合、一時的に竜結晶の強度が向上するが時間と共に効果が薄れてしまう。しかし注入したはずのデミオンはどこかに消えてしまう。それを説明する理論がWAO理論です。保存の法則が破れたのではなく、デミオンそのものが別次元に流出していると言われています」
「素晴らしい。その通りだ。つまりこの理論が正しければ、デミオンが放出されるとき、私たちのいる三次元世界ではない別の世界に流れ出てしまうのだ。しかし竜人殺しは違う」
力強く、そして笑みを浮かべながらリシャールは続きを述べた。
「シオン・キサラギは過剰供給されたデミオンを三次元空間に放出することができる貴重な検体なのだよ。これはキャトルが赫竜病に罹らない理由とは異なる理論だ。あれはただ、デミオンを自己生成する体質だからね。元から免疫があるというだけの話だよ」
デミオンが流れつくとされる先はまだ分かっていない。
WAO理論ではそれが異次元だと言われているが、その異次元を実際に観測できたわけではないので完全な証拠もない。ただ、様々な実験が示す状況証拠から正しいであろうと言われているだけだ。
しかし、シオンを調べれば話は変わるかもしれない。
「デミオンを取り込んでも排出できるなら、赫竜病の心配もなくなりますね」
「そうだね。我々にとってデミオンは取り込んで吐き出すだけの害のないものになるかもしれない。酸素のようにね。赫竜病はペストより、天然痘より、スペイン風邪より、コロナウイルスより遥かに人類に影響を与えた。しかし我々は必ず克服できるとも」
「ではやはり”竜人殺し”を確保しましょう」
「まずは我々の実験体だよ。シモン君は気が早いね」
リシャールはペンにキャップをつけて置き、お茶を一口含む。
「最悪は首輪を作動させるよ。あれが他の手に渡るくらいならね」
彼の笑みが気持ち悪いほどに歪んだ。