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教室を出た遥の背を──日下部は、ほんの一瞬の逡巡のあとで追いかけた。
階段を一段飛ばしに駆け下りる。
湿った靴音が、冬の校舎に跳ね返る。
「──待てよ!」
昇降口。遥の手が下駄箱の扉にかかったところで、日下部が追いついた。
「……しつけぇな、おまえ」
遥は振り返りもせずに言った。
声は低く、かすれ気味だが、どこかで笑っていた。
「なに、ストーカー?」
「……そう見えるなら、そうでいいよ」
「……ああ、そう」
無関心のように返して、上履きを脱ぐ。
けれどその背中に、どこか警戒が混じっていた。
「──話、終わってないだろ」
「もう終わっただろ」
「終わってねぇよ!」
その声に、遥の手が止まる。
ゆっくりと振り返る。
「なに? また“壊れるな”って説教?」
「ちげぇよ」
「“ほんとは助けてほしいんだろ”ってやつ? 感動するからもう一回言ってみ?」
日下部はその煽りを、正面から受け止めた。
だが殴りもせず、顔も歪めずに──ただ視線だけで返した。
「おまえ、ほんとそういうの得意だよな。
……人を逆撫でする言い方」
「おまえが勝手に逆撫れしてるだけ」
遥は笑っていた。
その笑いは、乾いて、強がって、でもどこかで“わざと傷つきたい”ような薄さがあった。
「てか、さ──」
少し近づいて、遥は日下部を見上げた。
その目は、あの教室での“空っぽの嘲笑”を思わせる色をしていた。
「おまえさ……今、俺のこと、
“そういう目”で見てんの?」
「は?」
「いや、いいよ別に。見たきゃ見て。
……触りたきゃ、触ってもいーけど?」
その言葉に、日下部の顔色が変わる。
「“助けてやりたい”とか言って、
本当は、“汚れてる俺”見て興奮してんだろ?」
「──ふざけんなよ」
「ふざけてねぇよ? だって──そう見てたじゃん、昔から」
遥の声が、低く、じわりと攻め込む。
「おまえ、いつも他人を壊したがってた。
……玲央菜の時も。
あいつ、泣いてたのに、おまえ、笑ってたじゃん」
「──……っ」
「俺のことも、壊れてく過程が面白いんだろ?
“自分は手ぇ出してないから”って顔して、
横でじっと見てんの。ほんとは好きなんだろ? そういうの」
日下部は、睨んだまま言葉を出せない。
遥は、追い打ちをかけるように、囁いた。
「“加害者面”した方が楽なんだろ、おまえは。
“正しいこと言ってる”って思えるからさ」
「──ちがう」
「でもさ、“正しさ”で他人踏みつけるのって、
暴力と何が違うの?」
その一言に、日下部の目が揺れた。
遥は、続ける。
「おまえに“助けられる俺”とか──
……もう、まっぴらなんだよ」
言い切る遥の目の奥に、一瞬、震えが走った。
たぶん、ほんの少しだけ、
“誰かに助けられる可能性”を信じた自分が、
いちばん許せなかった。
「だから、嫌ってくれていいよ。
そっちの方が、気楽だから」
その言葉には、諦めと憎悪と──
何より自己への破壊衝動が滲んでいた。
だが、日下部は言った。
「……じゃあ、おまえはずっとそのままでいいのかよ」
遥は、肩をすくめた。
「“そのまま”って何? わかんねぇし」
「……おまえ、
ほんとは、まだ人に期待してるくせに。
なのに、そういう自分が、いちばん嫌いなんだろ」
遥は、瞬きもせずに立ち尽くしていた。
その視線の奥に、何かがひび割れる音がした。
「──……うるせぇよ」
遥がぽつりと落とした言葉は、小さかった。
だがその一言には、あらゆる怒りと哀しみが詰まっていた。
「おまえなんかに……わかってたまるか」
そのまま遥は、踵を返し、校門の外へと歩き去った。
日下部は、その背中に手を伸ばすこともせず、
ただ、その場に残されたまま──
なにかを言いかけて、結局、口を閉じた。
夜の冷たい風が、二人の距離を裂いていくようだった。