朝から家の中は、いつもと違う静けさに包まれていた。父親はリビングのソファに座ったまま、新聞もテレビも見ず、ただじっと何かを考えている。
その背中が、僕たち三人を押しつぶすように重かった。
食卓にはパンと冷めたスープ。
元貴は「いただきます」と小さくつぶやき、
滉斗は黙ってパンをちぎる。
僕も何も言えず、ただ黙々と食べた。
父親が突然、低い声で言った。
「お前ら、何か隠してるだろ」
誰も答えられなかった。
返事をすれば怒鳴られる。
黙っていれば、もっと怒鳴られる。
そんな空気が、家中に張り詰めていた。
食事が終わると、父親は何も言わずに自室へ引きこもった。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。
僕は小さな声で滉斗に聞いた。
「大丈夫?」
滉斗はうなずいたけど、目はどこか遠くを見ていた。
午後、父親がいない隙を見て、三人で外に出た。
公園のベンチに座り、元貴がランドセルから折り紙を取り出す。
「見て、お兄ちゃんたち! カエル折ったんだ!」
元貴の笑顔は、家の中では見られないくらい無邪気だった。
滉斗も、久しぶりに少しだけ笑った。
「上手だな、元貴」
僕も、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
でも、時間が経つにつれて、
「早く帰らなきゃ」「父さんが気づいたら」
そんな不安がどんどん膨らんでいく。
家に戻ると、父親が玄関で待っていた。
無言のまま、僕たちを睨みつける。
その視線だけで、心臓が締め付けられる。
リビングに集められ、父親は低い声で言った。
「お前ら、俺を馬鹿にしてるのか」
誰も何も言えない。
父親はしばらく睨み続け、やがて舌打ちして部屋を出ていった。
その後の家の中は、
「何か言ったら怒られる」
「気配を消して過ごさなきゃ」
そんな緊張で息苦しかった。
夜、滉斗がぽつりとつぶやいた。
「兄ちゃん、もしこのまま何も変わらなかったら……僕たち、どうなるのかな」
僕は答えられなかった。
本当は、僕も毎日考えている。
「この家から逃げたい」
「でも、元貴を守りたい」
「どうしたらいいかわからない」
そんな気持ちが、ぐるぐる回っている。
滉斗が机に向かい、法律の本を開く。
ページをめくる指が、少し震えている。
僕はそっと滉斗の肩に手を置いた。
「大丈夫。一緒に考えよう」
滉斗は小さくうなずいた。
その夜、元貴が布団の中でぽつりと言った。
「お兄ちゃんたち、ずっと一緒にいてくれる?」
僕は、滉斗と顔を見合わせて、静かに答えた。
「もちろんだよ」
「絶対に、守るから」
元貴は安心したように目を閉じた。
家の中に“暴力”がなくても、
言葉や沈黙や視線だけで、
僕たちは毎日、壊れそうな心を抱えていた。
(このままじゃ、だめだ――)
そう思いながら、眠れぬ夜を過ごした。
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