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深い闇の底で見たそれは夢でも幻想でもない。ユカリにはそれが分かった。

「私たちはよく似ていると、そう思わない?」

心の中の親友がそう言って、少女は微笑み返す。

「ううん。似ているのは名前だけ。君は私の憧れで、だから似ても似つかない」




夏の朝の湖に棚引く霧が日の光を受けて溶けていくように霞む意識が少しずつはっきりとしていく。古色蒼然とした天井を行き交う太い梁を細めた瞼の間からしばらく見つめている内に、徐々にユカリは覚醒する。


綿でも詰まっているのか、柔らかな寝台の上でユカリは寝返りを打つ。まだ不幸の数少ない時代の王女のように晴れやかな気分でありながら、気怠い体の訴えから意識をそらす。どこかの宿だろうか。開いた窓から熱い日差しと涼しい風が同時に部屋に入っている。古びた椅子に机。留め具の錆びた櫃。日の光の中に埃がゆらゆらと舞う。


その時、ちょうど外から扉を開けたパディアとユカリは目が合った。パディアは大きく瞳を開きながらも静かに微笑み、小さな椅子を寝台の隣に置いて腰掛ける。


「おはよう。ユカリ。気分はどう? 良さそうね」

ユカリは微かに頭を振って答える。「気分は良いです。でも何だか頭が痛い」

「そう。大きな怪我はなかったけれど」パディアはユカリを不安にさせまいとしてか、明るい声色で答える。「まだ疲れが残っているのかもしれないわね」

「パディアさんの方こそ怪我は大丈夫ですか?」


パディアは自信に満ちた笑顔を見せてくれる。


「大丈夫よ。とても痛かったけれど、痛がるほどではなかったわ」


ユカリにはよく分からない説明だったが分からないままにした。


「あれから、どれくらい寝ていたんでしょうか? ずいぶん長く寝ていたような気がします」

「丸三日ね。お腹が空いたんじゃない?」


三日間も寝続けるなどということは、ユカリにはあまりにも現実味のない出来事に思えた。


「はい。空きました。あの、ユーアは今どこに?」


パディアは窓の外に目を向ける。


「何度も止めるんだけどね。目を離した隙に出て行っちゃうのよ。昨日は祈りの乙女と呪いの乙女の残骸の辺りにいたわ。いつも食事の時間には必ず帰ってくるんだけど」

ユカリの声が跳ねる。「外に出ているんですか? この街の人からすれば……」

「そこは安心して。そもそも預言者を見た人は一人もいないから」

「そうですか。それなら……」


曇るユカリの表情を見て、パディアは話を変える。


「そうそう。魔導書は一つを除いて枕の下に置いてあるわ」

「一つを除いて?」ユカリは体を起こし、枕の下に手を入れる。魔法少女の魔導書『わたしのまほうのほん』と十枚の羊皮紙を取り出し、寝台の上に並べて一つ一つ眺める。「えーっと、ここに無いのは勇気を与奪する魔法の魔導書ですね」

「ビゼ様が持っているわ。直接ユカリに返したいと」そう言ってパディアは真面目な顔になる。「それとユカリ。ビゼ様にがつんと言ってくれてありがとうね」


魔導書を優先して無茶をし、結果的にパディアを巻き込んだことだ。状況が状況だけに言いたいことの十分の一も言えなかった、とユカリは思い返す。


「そこまで強くは、言っていないと思いますけど」

「十分効いているみたいだから安心して。反省しているわ。許してあげて欲しい。魔導書探求の旅で仲間に多くの犠牲を出して、責任を感じていたんだと思うの」


そのことには思い当たっていないことにユカリは気づいた。


「そう、ですよね。私も無神経だったかもしれません」

「もう! 良いって言ってるのに」そう言ってパディアはその大きな両の掌でユカリの頬を覆う。「私もビゼ様もとても感謝しているし、貴女の力になれたのならとても嬉しいわ」

「それはもう! とても頼もしかったです!」ユカリもパディアの大きくて温かな手に手を重ねる。「ところで子供たちや街の様子はどうですか?」


パディアは手を離して腕を組む。


「子供たちは順に親元に返されているわ。ちょっと人数が多すぎて手間取っているけれど。どさくさに紛れて攫われたら困るし。それに、どうやら一部の子供はヘイヴィル以外の街からも連れてこられていたみたい。街の方は聖市街が悲惨だわね。あの美しい白大理石の街が、今は燃えて溶けて、炭と灰に覆われてる。あれはしばらくどうにもならないわね。それに比べれば旧市街はかなりまし。新市街は問題なし。ほぼ全ての偶像が壊れてしまっているから、神官様方の嘆きは嵐のよう。だけど復興作業はもう始まっている。そうそう復興作業といえば、あの忌々しい救済機構の坊主ども」


パディアの怒りの表情にユカリは少し震える。「どうしたんですか? あの後また何か酷いことを?」

「いいえ、しれっと復興作業を手伝ってるのよ。自分たちが燃やした街のね。私たちが目撃したことを皆に伝えたけれど、街を不当に占拠していた預言者から魔導書を奪還するためというお題目を覆らせるのは難しそうだわ。むしろ近年増えてる救済機構の信徒からは評価されているらしいのよ。本当に忌々しいこと」


ユカリは寝台に腰かけ、床に足を下ろし、まとめた羊皮紙を膝の上に置く。その時、ビゼも部屋に入ってきた。ビゼもまた満面の笑みで喜ぶ。


「ああ、目覚めていたんだ。パディアの声しか聞こえないから何事かと思ったよ。おはよう。ユカリさん。どこか痛むところはあるかい?」

いつの間にか頭痛は消えていた。「いいえ、大丈夫です。ビゼさんは大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。怪我に関してはね。ちょうど試してみたい呪文があったんだ。ほぼほぼ完治したよ」

ユカリはパディアの方を見る。「本当に反省しているんでしょうか?」

パディアが冷たい微笑みを浮かべる。「私が責任をもって反省させるわ」


ユカリはくすくすと笑い、そして大真面目な顔を作る。


「ところで、ビゼさん。とうとう完成ですね」


ユカリは膝の上の羊皮紙の魔導書をぽんと叩く。

一瞬、ビゼは言葉の意味を飲み込めなかったようだが、すぐにまるで子供のような無邪気な笑顔を浮かべる。


「完成だって? ユカリ。なぜ? なぜ分かるんだい?」

「この魔導書です」と言って他と違う色のインクで書かれた魔導書を指し示す。「これは、あの白紙だった魔導書です。炙り出しで書いてあったんですよ。そしてここに十一番目の最後の魔法と書いてあります」


ユカリは十枚の羊皮紙の魔導書を手に持って広げる。


ビゼはやおら懐から羊皮紙を取り出して、粛として言う。「つまり、これで十一枚の魔導書が揃ったんだね。でも、どうなるんだろう? 何がどうなって、君の、その魔法少女の魔導書のようになるんだろう?」

「私にも分かりません」ユカリは羊皮紙の魔導書を整えて束にする。「でも全てが揃ったなら何かが起こるかも」


ビゼはまるでとても神聖な宝でも捧げ持つように恭しく、ユカリの持つ羊皮紙に羊皮紙を重ねる。


『動物の王に変身する魔法』

『守護者を召喚する魔法』

『人形を操る魔法』

『迷わない魔法』

『勇気を与え、奪う魔法』

『秘密を暴く魔法』

『大きく、小さくする魔法』

『歌をうたう魔法』

『光差す魔法』

『闇覆う魔法』

『沈黙の魔法』


十一の魔導書を重ねる。


突如、辺りが無限の闇に包まれ、ユカリは立ち上がろうとするが自分の足がないことに気づく。この闇はどこまで続くのか、と探るための手もない。慌てる意思を表現するための何もない。手も足も胴体も頭も何もない。人形遣いの魔法を使った時のように意識だけが暗闇の中に浮かんでいる。そして目の前に、とはいえ恐らく目もないから、頭の中にと言った方が正確かもしれない、足の長い兎のような、耳の長い猫のような、尻尾の長い熊のような白い獣が寝転がっていることに気づく。


「やあ、これで一冊ププ。何者かになった君に会うのは初めてププ」


何者なのかとユカリは問う。


「ププのこともう忘れたのププ?」


あなたのことなんて知らない。


「何でププ? 前世のことも、ププのことも記憶に残るようにしたはずププ」


異世界への転生と魔導書収集の使命は旅の始まりに思い出した。あるいは思い出したからこそ旅を始めた。でも前世のことは少ししか知らない。


「うむむププ。何か予期していなかったことが起きたということププ。でも、じゃあ、何で魔導書ノートを集めてくれたププ? 新しい君には新しい人生があっただろうにププ」


半分は成り行き。


「半分の使命感でよくやってくれたププ」


残り半分は好奇心。


「首の皮一枚だったププ。今度こそ忘れないで欲しいのププ。魔導書はその世界を破滅させかねない力なのププ。君はその力を封印するために集めなければいけないププ」


封印?


「封印自体はププがするププ」その時、暗闇に白い星が一つ灯った。「まず一冊ププ」


星が灯った途端に暗い世界が遠退いていく。

あなたの名前は?


「ププはププマルププ」


ププマル?


「わあ、何だか少し察しが良くなったのププ」


気づけば再びベッドに腰かけていた。周囲を見回すが無限の闇も一番星も無い。

ユカリの手には一冊のノートがある。魔法少女の魔導書『わたしのまほうのほん』と同様に美しい紙を束ねた薄い魔導書ノートだ。


今の出来事に対する疑問は「おおお」と言うビゼの低い声に掻き消される。どうやら感動しているらしいことはユカリにも分かった。


「今、何が起こりました?」とユカリはビゼとパディアに尋ねる。

「何って」とパディアは不思議そうに答える。「魔導書が光って、気が付けばその一冊の魔導書になったのよ。どうしたの? ユカリ。まだ体調が優れないの?」

「いえ、いえ、大丈夫です」今の闇の中の出来事は心の中にしまい、新たな魔導書を眺める。「見た目には『わた』……。魔法少女の魔導書とほとんど同じですね」


表紙に書いてある文字は違う。中身も違うだろう。


ビゼは興奮冷めやらぬ様子で話す。「これにも表題のようなものがあるね。何て書いてあるんだい?」


『プリンセスのおまじないポエム』と書いてある。


ユカリは何故だか顔が赤くなって俯いてしまう。「何て言ったら良いんでしょう。上手く翻訳できないですね」

「そこを何とか頼むよ。ユカリさん」とビゼは懇願する。

「えっと、まじない……。『咒詩編まじないしへん』、とか?」

パディアとビゼが顔を見合わせる。「何だか普通だね」とビゼは言った。

「普通なら良いんですよ!」

パディアも魔導書を覗き込みながら言う。「でも『わたしのまほうのほん』とは何だか趣が違うわ」


表題について話したことがあっただろうか、と思い返すが思い出せない。

ユカリは何とか嘘にならない程度にいかにも格式の高そうな言葉を探す。


「それは翻訳の問題ですよ。例えば、そうですね。『我が奥義書』みたいな、そんな感じです」

「ふうむ。なるほど。そっか」と言うビゼはどうにも腑に落ちない様子だった。

「ところで、ネドマリアさんのことは知りませんか?」とユカリは話を変える。

ビゼは首を横に振る。「行方不明だよ。僕の拘束を解いてどこかに行ってしまった。そして、ショーダリーは亡くなっていた」


俯くビゼの額を見て、ユカリは尋ねる。


「祈りの乙女の下敷きになっていたんですね?」

ビゼは顔を上げて頷く。「知っていたんだね」

「はい。最期に私たちを助けてくれました」


しかしあの時には既にショーダリーは死んでいたはずだ。ネドマリアによって殺されていたはずだ。だとすれば自ずと答えは限られてくる。


「彼はワーズメーズの元運営委員長だからね。これからミーチオン都市群は荒れそうだ」とビゼがすでに懐かしむような声色で言う。「それにミーチオンで確認されている魔導書の全てが行方不明になったことになる。ミーチオン全体の力関係だけじゃない。近隣の同盟との均衡も大きく変化することになるだろう」

「ビゼ様」ユカリの不安そうな面持ちを受けてパディアがビゼを窘めた。


しかしビゼは厳しい表情で首を横に振る。


「ユカリ、言われるまでもないことかもしれないが、君は今この大陸で最も力ある存在だと言っても過言ではないだろう。そのことを公言して生まれる影響力を利用するか、隠して静かに魔導書を集めるか、それは君が決めるべきことだ。どちらを選んでも反対はしないし、できうる限り協力するからね」


ユカリはゆっくりと頷き、しかしその大きな難題は一旦脇に置いておくことにした。ふらつく体に言うことを聞かせて立ち上がる。


「少し体を動かしたいので散歩がてら、ユーアのところに行ってきますね」

魔法少女って聞いてたけれど、ちょっと想像と違う世界観だよ。

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