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その日の仕事は、予定より少し早く終わった。
帰宅した勇斗は、着替えを済ませるとソファへ深く腰を下ろした。
朝から続いていた撮影の疲れは残っていたが、この先もしばらく忙しい日が続く。少しだけならと、テーブルの上にスマートフォンを立て、インスタライブを始めた。
「こんばんは」
配信が始まると、待っていたようにコメントが流れ込んでくる。
勇斗は画面に向かって手を振り、仕事を終えて帰ってきたばかりだと話した。
今日の撮影のこと。
最近食べたもの。
ライブや、メンバーと過ごした時間。
答えられる質問を拾いながら、いつものように気負うことなく話していく。
三十分ほど経った頃、勇斗は時計を見た。
「そろそろ終わるわ」
名残を惜しむコメントに笑い、画面へ向かって手を振る。
「今日もありがとう。またね」
配信終了のボタンを押した。
――つもりだった。
勇斗はスマートフォンをテーブルに置き、イヤホンを耳につけた。
配信が終わったことを疑いもしないまま、通話履歴を開く。
一番上に表示された、吉田仁人の名前を押した。
数回の呼び出し音のあと、聞き慣れた声がイヤホンから届く。
『もしもし』
「お疲れ」
仁人の声を聞いた途端、勇斗の表情がふっと緩んだ。
『お疲れ。もう帰った?』
「うん。さっき」
『飯は?』
「まだ」
『またかよ』
呆れた声に、勇斗は笑った。
「今から食べるって」
『絶対、適当に済ませるだろ』
「済ませない」
『冷蔵庫に何あんの』
聞かれて、少し考える。
撮影が続いていて、最近はろくに買い物をしていなかった。
勇斗が黙っていると、それだけで仁人には分かったらしい。
『何もないんだろ』
「あるよ」
『何が』
「卵」
『それだけ?』
「あと調味料」
『食材じゃねぇだろ』
仁人の声に、勇斗は声を上げて笑った。
その間も、配信は続いていた。
けれど、イヤホンから聞こえる仁人の声は視聴者には届かない。
映っているのは、さっきまでより明らかに柔らかい表情で電話をする勇斗だけだった。
コメント欄は、すでに異変に気づき始めていた。
『まだ配信ついてるよ!』
『勇斗くん気づいて!』
『誰と電話してるの?』
『顔が優しすぎる』
けれど、勇斗は画面を見ていない。
イヤホンをつけたままソファへもたれ、仁人との会話を続けていた。
『今日、また無理しただろ』
「してない」
『した』
「してねぇよ」
『してた。休憩中もずっと台本読んでたじゃん』
「見てたの?」
#学パロ
月城 もも
708
のりもちさん
8,151
『見えるとこにいたんだから見るだろ』
当然のように返され、勇斗は小さく笑った。
「……お前には隠せないな」
『十年近く見てるから』
何でもないように言われたその言葉が、妙に嬉しかった。
疲れていることも。
無理をしていることも。
平気な顔で隠してしまうことも。
仁人は、いつも気づく。
「敵わないな」
『何が』
「何でもない」
『変なの』
仁人が笑う。
その声を聞きながら、勇斗も笑った。
少しして、仁人が静かに言った。
『……今日もありがとな』
何に対する礼なのか、わざわざ聞く必要はなかった。
今日の仕事のことかもしれない。
無理をしている仁人を、何度もさりげなく助けたことかもしれない。
あるいは、こうして電話をかけたことかもしれない。
勇斗は目を細めた。
「無理すんなよ」
『それ、こっちの台詞』
「俺は大丈夫」
『だから、それが信用できないんだよ』
また呆れた声が返ってくる。
いつもと変わらない会話だった。
けれど、その声を聞いていると、仕事で張り詰めていたものが少しずつ解けていく。
心配してくれることが嬉しい。
今日も声を聞けたことが嬉しい。
そんな気持ちが胸の中に溢れ、そのまま言葉になった。
「……愛してる」
考えて言ったわけではなかった。
照れさせようとしたわけでもない。
ただ、自然に口からこぼれた。
イヤホンの向こうで、仁人が息を呑む。
『……急になに』
「言いたくなっただけ」
『きしょい』
そう言いながらも、本気で嫌がっていないことは声だけで分かる。
勇斗は笑った。
「はいはい」
『……俺も』
小さな声が返ってくる。
それを聞けただけで満足だった。
勇斗はスマートフォンへ手を伸ばした。
そろそろ電話を切る時間を確認しようと、何気なく画面を見る。
そこで初めて、赤い表示が目に入った。
LIVE
一瞬、何を示しているのか理解できなかった。
「……え」
画面には、見たこともない速さでコメントが流れている。
『愛してるって言った!?』
『誰!?』
『恋人いるの!?』
『まだ配信中だよ!』
『え、待って無理』
『今の電話、彼女?』
頭の中が真っ白になる。
「……やば」
勇斗は慌てて配信を終了した。
突然、部屋が静まり返る。
耳の奥では、まだ仁人の声がしていた。
『勇斗? どうした?』
「……配信」
喉が乾いて、うまく声が出なかった。
「切れてなかった」
電話の向こうが沈黙する。
何を言えばいいのか分からないまま、勇斗は終了したばかりの画面を見つめた。
電話の相手の声は、配信には入っていない。
仁人の名前も呼んでいない。
分かるのは、勇斗が誰かに電話をかけていたこと。
そして、その相手へ「愛してる」と告げたことだけだった。
だから今すぐ、仁人との関係が知られるわけではない。
それでも。
勇斗に恋人がいることだけは、もう隠せないかもしれない。
「ごめん」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
『……勇斗のせいだけじゃないだろ』
仁人はすぐにそう返した。
けれど、勇斗がもう一度謝おうとした、そのとき。
手の中のスマートフォンが震えた。
画面に表示されたのは、マネージャーの名前だった。
「仁人、ちょっと待って」
通話を切り替える。
「……はい」
『佐野。今、何もするな』
普段より低い声だった。
『SNSも更新するな。誰にも連絡するな。明日の朝、事務所に来てくれ。メンバーも全員集める』
「分かりました」
それ以上、何も言えなかった。
通話が切れる。
すぐに仁人へかけ直したかった。
けれど、画面に残るマネージャーの名前を見て、指が止まる。
誰にも連絡するな。
おそらく、仁人もその中に含まれている。
勇斗はソファへ深く沈み込み、スマートフォンを強く握った。
その頃にはすでに、切り抜かれた配信の映像がSNSへ広がり始めていた。
――佐野勇人、配信中に恋人への電話か。
――「愛してる」の声が流れる。
ほんの数分前まで、二人だけのものだった言葉。
その一言が、誰にも知られていなかった関係を、大きく揺らし始めていた。
コメント
1件
え、待って、めっちゃ刺さる……! 配信切り忘れで「愛してる」がバレる展開、心臓に悪すぎるでしょ。 普段はクールな勇斗が、仁人との電話のときだけ無意識に声優しくなってるの、解像度高いわ。二人のやりとりが自然で、積み重ねた十年がちゃんと伝わってくる。 最後のマネージャーの電話で一気に現実に引き戻される感じ、リアルでゾクッとした。続きが気になりすぎる…!