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#夢
凪川 彩絵
いや、教えてもらえなかったのだ。
それが、どうしても胸に引っかかってしまう。
もしこうなる前に晴永から伝えられていたならば、もう少しだけやんわりと受け止められたかもしれない。
事前に教えてもらえなかったのは、瑠璃香のことを晴永が信用してくれていないからではないだろうか。
フェアな関係でいたいと……そう伝えたはずなのに。
双方の指輪の内側へ刻まれた〝Fair〟という言葉にもっと真実味を持たせて欲しかったと言ったら、ワガママだろうか。
(……怖い)
ぽつりと、心の中で呟く。
このまま手を伸ばしてしまったら……もう、戻れなくなる気がした。
まだ気持ちがぐちゃぐちゃでまとまらないのに……否応なく晴永の世界に引きずり込まれてしまう。
それでも――。
瑠璃香はリングから視線を離すことができなかった。
もし、受け取らなかったら――この指輪は瑠璃香以外の女性――藤井田千紗の指へ嵌ってしまうんだろうか?
そんなことはないと分かっている。きっと藤井田ホールディングスのご令嬢に贈るとなれば、もっとゴージャスな指輪が用意されて……瑠璃香のためにしつらえられた目の前のシンプルなリングは、お役御免で廃棄されるのが落ちだろう。
晴永とこの指輪を選んだ日のことをふと思い出した瑠璃香は、小さく息を吸って、――ほぅっと吐いた。
(そんなのは……イヤ……)
ぽつんと寂しくリングケースに残されたままの指輪へ、ゆっくりと手を伸ばす。
指先が、わずかに震えてしまうのは、迷いが完全に消えたわけじゃないからだ。
不安も、消えていない。
でも……。
(……私、晴永さんと、一緒にいたい)
その気持ちだけは、はっきりしていた。
晴永の横に、自分以外の女性が立つと考えただけでギュッと胸が締め付けられるような気持ちになるのは、きっとそういうことなのだ。
リングに触れる。
ひんやりとした感触が、指先に伝わってきて、瑠璃香は一度だけ、ぎゅっと目を閉じた。
(――この選択をしたのは、私自身)
そう、思いながら、ゆっくりと指輪をリングケースから抜き取った。
視線を上げると、晴永がまっすぐこちらを見ていた。
何も言わない。
ただ、待っている。
その姿に、胸の奥が、わずかに揺れた。
(いつもみたいに『ぐずぐずしてないでさっさと決めろ』って命令してくれたらいいのに)
仕事なら即決力のある晴永が、恋愛方面に関してだけは奥手なのだと知っているのは瑠璃香だけだと思いたい。
もし……ここで瑠璃香がこの指輪を受け取らずに……晴永と藤井田令嬢との婚約が進めば、彼はそれを業務みたいに淡々とこなしてしまいそうな気がした。
ワンナイトラブの翌日、どこか上司の顔をして意地悪く瑠璃香を絡め取ろうとしてきたときの晴永みたいに――。
それだけは、嫌だった。
晴永にはどこか不器用で……奥手なままの男性でいて欲しい。
瑠璃香は、小さく息を吐いた。
「……信じます」
かすれるような声で……それでも、はっきりと。
「全部は……まだ、ちゃんと分かってないけど……」
言葉を探しながらも、なんとか続ける。
「それでも……私、晴永さんと一緒にいたい」
リングを、胸元でぎゅっと握る。
逃げるようでもなく、縋るようでもなく、ただ〝そう決めたのだ〟というように、静かに言葉を紡いだ。
「だから……これ、受け取ります」
その言葉が、部屋に落ちた。
時計の音が、またひとつ、刻まれる。
「嵌めて……くださいますか?」
晴永へ指輪を手渡しながら、左手を彼に向けて差し出した。
――戻れない場所へ、一歩踏み出したいみたいに。
コメント
1件
戻らなくていいよ?( •̀∀︎•́ )✧︎