テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
上野文
10,374
#悲しい
シジミン
107
kirisu
551
畝澄ヒナ
119
恵はそんな私を見てニヤニヤしつつ、胸ポケットから折り畳んだメモを出し、テーブルの上に滑らせる。
「見てもいいの?」
「あげるよ。あの人なりの金言だから、ありがたく受け取っておきな」
言われてメモを開くと、こう書いてあった。
【Count your blessings.】
「……あなたの祝福を数えなさい?」
直訳して呟くと、恵は中華丼をモリモリ食べ、嚥下してから教えてくれる。
「英語のことわざで、足りないものばかりに目を向けるんじゃなくて、今自分の手元にある幸せを数えて、実感しなさいって意味らしい。……朱里はもう、十分に幸せなんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、目の奥が熱くなった。
「ちょ、待って……」
私はフォークとスプーンを置き、俯いて目を瞬かせる。
きっと最後の言葉は恵のものなんだろうけど、思いの外響いてしまった。
「ま、日本風に言えば『足るを知る』かな。……京都の龍安寺を思い出しなよ」
言われた途端、脳裏につくばいが思い浮かぶ。
【吾唯足知】
円形のつくばい――茶室に入る前に手や口を清める手水鉢の中央は正方形に掘られ、そこに水が貯まっている。
そして中央の四角を漢字の一部に当てはめ、上下左右に漢字の残りが書いてあるのだ。
子供の頃、祖母に連れられて意味を教えてもらい、そのあとも何度も龍安寺を訪れた。
――分かっているようで、分かっていなかった。
「……そうだね。私はもう幸せなんだ」
目元を拭い、顔を上げると、恵が微笑んでいる。
こんなに私を想ってくれている親友がいて、婚約者もいて、立派なおうちがあって、涼さんみたいに凄い人からも金言をもらえる私は、十分に幸せだ。
「……私、最近になって色んな願いが叶うようになって、『もっと、もっと』って強欲になっていたのかも」
「気持ちは分かるよ。朱里は愛情に飢えていたし、不安に怯えず、安心できる生活を求めていた。形のないものを欲し続けていたんだよ。ご両親が愛情不足だったと言いたいんじゃなくて、色々あって今まで『愛されてる』って実感を得て満足する事がなかったんじゃない? だからより沢山の繋がり、深い繋がりを求めてしまうんじゃないかな。……でも、さっきも言ったように、今の自分を落ち着いて見つめてみな? 思ってるより悪くないから。だから、焦って幸せ探しをしなくていいんだよ」
「……うん」
そのあと、私は少しポーッとしつつ、パスタを食べ進めた。
食後、恵は水を飲み干してから言う。
「毎日、仕事が忙しいし、帰ってもゴージャスな家が待ってるし、正直、庶民には気が休まらないよね。……もし良かったら、今度自然のある場所でボーッとしない? もしくは写経体験とか、座禅とか」
「あはは! それいいね!」
私は恵の提案を聞き、思わず声を上げて笑う。
「涼子も言ってたけど、思考がループして止まってしまったら、場所を変えるんだって。歩いたり、外に出たり。考え込むのは大体屋内だから、正反対の場所に行くの」
「うんうん。久し振りに恵とキャンプもいいね」
「マジそれ。久し振りに朱里の作ったカレー食べたい」
「ホント? 中国四千年のカレールーが火を噴いちゃうもんね」
「なんだそりゃ。……しかし朱里のカレー、ただの市販のカレールーなのに、マジで美味しい」
「愛情入ってるからね。萌え萌えキュンですよ」
そう言って、胸の前で指ハートしてみせると、恵が微妙な顔になった。
「待って……。朱里がメイドカフェで働いてたら、通い詰める自信ある」
「マジか。真性のアカリストですな」
「筋金入りだよ。何年ものだと思ってんの。熟成しきってるよ」
「んふふ」
ポンポンと恵とこう会話していると、とても楽だし楽しい。
小鳥遊さんに褒められ、知りたがられていると、確かに気分は良かったけど、「もっといい自分を見せないと」と思っていたかもしれない。
(自然体でいられる相手を大切にしないと)
改めてそう思った私は、恵とキャンプ場を検索して残り時間を過ごした。
仕事に戻る頃には、小鳥遊さんがもう私に関わらないとしても、仕方ないかと思えるようになっていた。
**
コメント
1件
わあ、第948話……すごく温かい気持ちになりました。「Count your blessings.」って言葉、胸に響きますね。朱里ちゃんが自分の幸せをちゃんと見つめ直せたの、良かったなあ。恵との自然で飾らない会話も、二人の関係が伝わってきてほっこりしました。龍安寺のつくばいの話も出てきて、朱里ちゃんの心が落ち着いていく感じが伝わってきたよ。自分も「もっと」って欲張りになることあるけど、今ある幸せを大事にしようって思えました。ありがとうございます🌙