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「あれー?
ふたりとも知り合い?
あ、もしかして、付き合ってるの?」
急いでいると言っていたはずなのに、紗江は呑気にそんなことを訊いてくる。
いやあの、付き合ってるのに、何処に勤めてるかも知らないのおかしいですよね?
と唯由は思っていたが、
「やはり、付き合ってるように見えますか」
リクライニングチェアから蓮太郎は重々しい口調でそう言ってくる。
「うん、そんな感じー」
いや、どんな感じですかっ。
我々、ふたりでアパート眺めながら缶ジュース飲んだことしかないんですけどっ、
と思う唯由を蓮太郎は紗江に紹介しはじめる。
「彼女は、蓮形寺唯由です」
……いや、今田さんには、さっき私、名乗りましたよ。
蓮太郎は、そこで少し考える風な顔をして言う。
「蓮形寺唯由。
……俺が彼女と付き合ったら、れんれんですね」
まさか、蓮形寺蓮太郎で、れんれんか。
いや、なんで付き合っただけで名前が変わるんですか。
っていうか、結婚するにしても、あなた、婿養子に入る気ですか、と唯由は思ったが、紗江は、あはは、と笑う。
「いいじゃん。
れんれん可愛いじゃん。
今度からそう呼ぼうっと。
そういえば、この間さー」
紗江は、まだなにか蓮太郎に言っているようなのだが、話しながら、もう廊下に出ている。
そのまま遠ざかって行き、あはは、と笑う声が遠くで響いた。
そちらを見ながら蓮太郎が立ち上がる。
「あの人、いつもああなんだ。
最後まで話を聞けた試しがない。
頭いいけど、変わってるから」
いや、あなたもですよ……と思う唯由に、蓮太郎は棚から駄菓子屋でよく見るポット容器を持ってきて見せる。
よくイカとかが入っている赤い蓋のあれだ。
中には、いろんな種類のお菓子がカラフルに詰まっていた。
「ほら、好きなの取れ」
「あ、ありがとうございますっ」
上から、ひとつもらうと、
「もっと取っていいんだぞ」
と蓮太郎は言ってくる。
ほら、と唯由にポット容器を突き出してきた。
「好きなだけ取れ。
そうだ。
俺の愛人になるのなら、全部やってもいい」
いや、駄菓子で愛人になれとか、どうなんでしょう。
マンションよりは心惹かれるかもですが、と思いながら、
「じゃあ、もうひとつ、いただきます。
ありがとうございます」
と唯由は蓮太郎が持っている透明なポット容器の中を少し屈んで覗いた。
「ああ、あんまり底の方はとるな。
職場でみんなにもらった土産の菓子とかもどんどん入れてるから、いまいち、賞味期限がわからない」
「……い、入れ替えた方がいいですよ、たまには」
そう言いながら、大丈夫そうな上のクッキーをひとつもらった。
でも、ってことは今、全部やるから愛人になれとか言ってましたけど。
賞味期限の切れたお菓子で私を愛人にしようとしましたね……?
「遠慮するなと言ったろう」
唯由の手にザラザラお菓子をくれる蓮太郎を見上げ、唯由は訊いてみた。
「……れんれんになりたいんですか?」
ひいおじいさんの後をついで、経営者になりたくないと言っていた。
それで家を出て婿養子に入りたいのだろうかと思ったのだ。
だが、大量の菓子を見ながら蓮太郎は、
「いや」
と言う。
「その方が楽だろうが。
みんなが好きだから」
意外に家族愛というか、親族愛は深いらしい。
そういうところはちょっと好きかな、と思ったとき、蓮太郎が言ってきた。
「そうだ。
今日は早く帰れそうなんだ。
デートでもするか」
「えっ?
なんでですか?」
「お前、俺の愛人だろうが」
だから、受けてませんよ、その話、と思いながら、唯由は言った。
「あれから休日にも、なにも言ってらっしゃらないから、もう終わった話かと思ってたんですけど」
「いや、単に土日も休日じゃなかっただけだ。
お前のことを諦めたわけではない」
……まっすぐ見つめてそんなこと言わないでください。
照れるではないですか。
単に都合良く利用することを諦めたわけではないと言っているのだろうに。
うっかり照れてしまう。
だが、自分を見る目がまっすぐすぎて、とても女性を見る目には見えないな、とも思ってしまう。
異性を見るときの恥じらいが感じられない。
この人、なんの研究してるのか知らないが。
きっと私もなにかの研究対象みたいに眺めてるだけなんだろうな。
アメーバとか細菌とかと同列に。
いや、アメーバの方が愛されてそうだ、と唯由が思ったとき、
「そういえば、連絡先を訊いてなかったな」
と蓮太郎が言ってきた。
そうですよ。
どうやって連絡してくるつもりだったんですが。
やはり、いきなり家ですか、と思いながら言った。
「今、スマホ持ってないんで。
番号覚えてません」
持ってなくてちょうどよかった、と思う唯由に、蓮太郎が言う。
「俺も今持ってないが。
大丈夫だ。
内線電話でかけるから」
ひっ。
私用でのご使用はおやめくださいっ、と唯由は固まった。
「でっ、でも、私が何処の部署かもご存知ないでしょう?」
今田さんを口止めしておかなくてはっ、と焦る唯由に、蓮太郎は、
「問題ない」
と言う。
「お前が教えなくても、人事に訊くから。
変わった名前だ。
幾ら社員が多くても、一発でわかるだろう」
人事、秘書室のすぐ側ですしね~。
すぐわかりますよね~、と思った唯由は観念した。
「あ、あとで電話番号、お知らせします。
内線電話はご遠慮ください……」
せめて周りに知られたくない、と思いながらそう言うと、うむ、と王様は頷かれた。
「では、ありがとうございました。
失礼します」
リラクゼーションルームを出るとき、唯由は反射的にそう言いながら、なにがありがとうなんだろうな……と思っていた。
脅されて、電話番号を訊かれて。
ああ、お菓子もらったか、と思いながら廊下に出る。
長居しちゃったから、早く帰らないと怒られるな。
もう持って帰れるようなら、コーヒーカップ持って帰るけど。
どうだろうな、と応接室を窺っていると、蓮太郎もリラクゼーションルームから出てきた。
「蓮形寺」
と唯由を呼び止めたあとで、蓮太郎は何故か周囲に人がいないのを確認しはじめた。
なんなんだ、と思う唯由の腕をつかんだ蓮太郎は、いきなり唯由の頬に口づけてきた。
微かに触れるくらいのキスだったが、飛んで逃げた唯由は勢いあまって窓側の壁に背中から激突してしまう。
「なっ、なにするんですかっ」
今キスされた頬を手でかばうようにして唯由は叫んだが。
蓮太郎は平然とした顔で、
「いや、愛人というのは、人目をはばかりながら、こういうことをするもんじゃないのか?」
と言ってくる。
あの夜みたいに照れてもいない。
酔ってないときの方が、平気でこういうことするってどうなんですか~っ、と心の中で絶叫する唯由に蓮太郎が言った。
「社食で受け渡そうか」
「は?」
「お前の連絡先と俺の連絡先だよ」
……なにかのブツの受け渡しみたいですね、と唯由は思う。
「俺はいつも|空《す》いてる時間にしか行かないんだが。
お前がいるのなら、混んでても行くよ」
なんかすごい荒波を乗り越えて会いに来てくれるみたいな感じですけど。
ただ社食に来るって話ですよね……。
っていうか、こんな人と社食で連絡先を教えあっていたら、同期にボコボコにされそうだ、と思いながら、唯由は慌てて、
「あ、あとでお持ちしますよ」
と言う。
「そうか?
大丈夫か?」
忙しいんじゃないのかと気遣ってくれる。
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「そうか。
そんなに俺に会いに来たいのなら、まあ」
……今、なんで、そんな話になりました?
「でも、俺が途中で抜けられるかわからないから。
もし、誰かに声をかけて無理そうだったら、さっきの菓子の中に……」
いや、とそこで蓮太郎は考え込む。
「あれは誰でも食べていいって、みんなに言ってるから。
俺より先に誰かが開けて、お前がそいつの愛人になったら困るな」
待ってください。
なんで、電話番号見られただけで、私はその人の愛人にならねばならないのですか。
蓮太郎がちょいちょいと手招きをする。
さっきのことがあったので、思わず警戒してしまったが。
蓮太郎は白衣をひるがえし、あの鉢植えの竹林のところまで戻っていった。
「この右から三番目の竹の下に埋めろ」
と指差す。
いや、宝探しか。
「……スコップないんで。
埋められそうになかったら、書類のフリして事務に預けますよ」
そう言って、唯由は謎の(?)研究棟を後にした。