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「え? あ……ううん、どうもしないけど驚いて。だって記憶がなくなるなんて現実にあると思わなかったもの」


「……そう言えばそうだよな。驚いて当然だ」


瑞記は、はは、と小さく笑った。そうだ今の自分は現実にはなかなかないような状況に置かれているのだ。


「ねえ、何も覚えてない奥さんってどんな感じ?」


「どんな感じって言われてもなあ」


「気まずいとか、新鮮とか、感じることがあるでしょう?」


希咲にじっと見つめられて、瑞記は腕を組み、うーんと唸った。


「そうだなあ……正直言って変な感じがするよ。本人には違いないのにがらりと性格が変わってるんだから、別人を相手にしているみたいだ」


「変わった? どんな風に?」


「楽観的な感じというか、大怪我をして記憶までないのにあまり落ち込んでないんだよな。いつも暗い顔をしていたのが嘘みたいだ」


「ふーん……あとは?」


希咲は園香の様子がかなり気になるのか、興味津々といった顔をしている。


「やけに堂々としてる。物怖じしないで自分の思ってることを、はっきり言うんだ」


事故の前の園香は、いつも何か言いたそうにしながらも決して口にせずに自分の内に仕舞いこむようなところがあった。

瑞記はそれに気づいてはいたが、小言を言われるのが嫌で見ないふりをしていたのだけれど。


「あまり夫婦仲がよくないって話しただろ? でも園香はそのことを覚えてないから、普通に話しかけて来る。今も見舞いに来ないのを指摘するメッセージを送って来た」


「ふーん、ねえ、そのメッセージ見せてよ」


「え?」


いくら希咲が相手でも、夫婦間のやり取りを見せるのは気が引ける。


しかしニコニコしながら手を差し出されると、拒否するのはかわいそうな気がして、瑞記は渋々ながらもスマートフォンを希咲の手のひらに乗せた。


「ええと、お仕事お疲れさまです。か……敬語まじりだね」


「会話だと敬語なしだよ」


「そうなんだ……なるほど、瑞記が言う通り、以前に聞いていた印象とは違うね。一見気を遣ってる文面だけど、内容は今日どうして来なかったのか説明して、だものね」


「やっぱり怒ってるよな」


瑞記は溜息を吐いた。今日は本当に園香の病院に行くつもりでいた。ただ急ぎの仕事が入りその対応をして、気付いた時には面会終了三十分前になっていたのだ。


園香にやっぱり行けなくなったと連絡しなかったのは、どうせメッセージを読んでいないし伝えなくても大丈夫だと思ったから。


ただそう正直に伝えたところで、彼女が納得するかどうかは分からない。


以前の園香は神経質で疑い深く思い込みが激しかった。状況が変わった今でも根本的な性格は変わらず、ふとしたきっかけで表面に出てくるのではないか。


園香とは何度も言い争いをして来ている。その度に付き合い始めた頃の純粋な好意は薄れていき、今では愛していると言い切るのが難しい程になっている。もうこれ以上言い争いはしたくない。


「怒ってそうだねー。でも正直に仕事でしたって言ったら更に機嫌を損ねてしまいそう。あ、でも私の存在も忘れてるのか。それなら大丈夫かな?」


「どうだろうな。でも希咲のことは何も覚えてなかった。会話の中で“名木沢さん”って名前を出してみたけど、これといった反応はなかったんだ」


「瑞記ったら、そんなこと試してたの? 奥さんが可哀そうじゃない」


「含みがあった訳じゃないのに? ただ仕事について質問されたから答えただけだ。仕事の話なら希咲の名前を出すのは当たり前だろう?」


「そう。まあ奥さんが平気ならいいのかな。むしろ嫌な思いをせずに済むようになったみたいだし、記憶がなくなったのが良い方向に作用したのかも。私にとっても罪悪感に悩まされなくなるからよかったかな」


「罪悪感って」


瑞記は眉を顰めた。


「希咲は何も悪くないだろ? 元々罪悪感なんて抱く必要はないんだ」


いつも明るくて前向きで誰に対しても平等な精神を持つ希咲がそんな暗い感情を持っていたのかと思うと、その原因になった園香に対して苛立ちがこみ上げた。


「悪いのは妻だろ?」


夫婦仲が悪化したのは、園香が瑞記と希咲の関係を変に疑ったのがきっかけだ。


なぜいつも一緒に行動しているのかと問われ、ビジネスパートナーだからと説明した。


しかし園香は度が過ぎた関係だと言い、少しも希咲を認めてくれない。


本来なら一番瑞記を理解し支えるべき園香が、顔を合わす度に瑞記を責める。


終いには希咲とは仕事以外で一切付き合わないでくれと言い出して、その時は大喧嘩になってしまった。


少しキツイ言葉をぶつけたら園香は大げさなくらい落ち込んでいたけれど、謝る気にはなれず、それ以来ぎくしゃくした関係が続いていた。


「希咲と浮気してるなんて低俗なことを言われたら、僕だって頭に血が上るよ。それでもきちんと僕たちの関係を出会いから丁寧に説明したんだ。希咲が僕にとってどれほど大切なパートナーなのかもね。でも全然分かってくれない。それどころかどんどん意固地になっていく」


彼女があんな捻くれた性格だったとは、結婚前には少しも気が付かなかった。


瑞記の愚痴を黙って聞いていた希咲は、ふっと目元を綻ばせた。


「瑞記のそういうところ、奥さんは分かってないんじゃないの?」


希咲が楽しそうに、瑞記によりかかってくる。


「悪気なく傷付けるのが上手」


彼女はなにかを呟いたけれど、小声で上手く聞き取れない。


「ごめん、もう一度言ってくれるか?」


「近い内に私も奥さんのお見舞いに行くって言ったの。今度は疑われる前に挨拶しておいた方がいいでしょう?」


「そうか。初めから園香に希咲を紹介しておけばよかったのか。いいアイデアだ。園香にも話しておくよ」


瑞記は顔を輝かせて、妻へのメッセージを作り始める。


希咲の助言に従えば、何もかもが上手くいくような気がしていた。

円満夫婦ではなかったので

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