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◇◇
検査の結果に問題がない為、園香は三日後に退院出来ることになった。
と言っても体はまだ思うように動かないから、しばらくは自宅で安静に過ごす日が続きそうだ。
「園香、退院日は瑞記君が迎えに来るの?」
いつも通り早い時間から見舞いに来ていた母が心配そうな顔をした。
「まだ分からないの。仕事の調整が出来たら来てくれると思うけど」
昨夜、メッセージを送っておいたけれど、返事はまだない。
「そうなの……こんな時くらいは休んでくれたらいいのにね」
母は肩を落としてぽつりと零す。はっきり口にはしないものの瑞記の態度に不満があるようで、ここ数日は否定的な言葉を口にするようになっていた。
(まあ、仕方ないよね。妻が入院してると言うのに滅多に様子を見に来ないのだもの)
入院半月を過ぎたというのに、彼が顔を出したのはたったの三回。
しかも最後に会ったときに、険悪な雰囲気になってしまった。
瑞記が怒ったのは、園香の態度が癇に障ったからのようだった。
ただそう分かっても、謝って仲直りする気にはなれなかった。
(だってあの人ってすごく無神経なんだもの)
彼は数日ぶりに見舞いに来たと言うのに、園香の身体を気遣うそぶりも見せず、いきなり自分の用件を話しはじめた。
同僚を連れて来て園香に会わせたいと言い出したのだ。
『怪我が原因で園香が記憶喪失になったと説明したらとても心配していたんだ。それに今後のこともあるから挨拶をしたいって。なるべく早くがいいんだけど、いつがいいかな?』
瑞記はなぜか園香が喜ぶと思っているようだったが園香の内心はその真逆。
瑞記に反感を覚えていた。
職場の同僚に家族の体のデリケートな問題を軽々しく話す口の軽さ。加えて園香の都合を確認しないうちから顔合わせを決定事項としていること。
入院中でメイクどころか、基本的な手入れも出来ていない状況で、どうして夫の同僚に会えると思うのか。
夫の同僚とはいえ、今の園香にとっては初対面の相手なのだ。もう少し回復して身なりを整えてから挨拶したい。
そう思うのは当然じゃないだろうか。
しかし瑞記は、園香の気持ちを察することが出来ないようだった。
『瑞記の同僚に会うのは退院してからがいいな。病院じゃおもてなしもできないし』
瑞記は『おもてなしなんて、そんな細かいことは気にしなくていいよ』とか『心配してくれている人を拒否するのはよくない』などしつこく食い下がって来た。
『私は気にする』
『だから気にするなって』
『それは無理だよ』
かなり執拗だったが、園香の意思が固いと悟ると諦めたのか不満顔を隠しもせずに溜息を吐いた。
『園香は本当に頭が固いよな』
『そういう問題じゃないでしょ?』
『つっかかるなよ、自分が悪いのに。でももういいよ。名木沢さんには断っておくから』
不貞腐れたような瑞記の態度に園香のいら立ちは増していく。
それでも感情的になっては駄目だと自分に言い聞かせた。
『会わせたい同僚って名木沢さんなの。確かとても信頼出来るパートナーだって言ってたよね?』
『そうだよ』
『せっかくのお見舞いを断って申し訳ないと謝っておいてくれる? また日を改めてご挨拶させてくださいとも』
『伝えるけど、いつ時間を取れるか分からないよ。彼女は僕よりも忙しい人だから』
ごく自然に出た瑞記の言葉に、園香は驚いた。
(名木沢さんって女性だったの?)
ビジネスパートナーと言うから、やり手そうな男性を想像していたのだけれど、まさか女性だったなんて——。
『名木沢さんは本当に出来た人で、僕にとって必要な存在なんだ』
先日の瑞記の言葉が脳裏に蘇る。
(それって妻よりも大切な人ってことじゃない?)
考えすぎかもしれないが、そう聞こえる。
胸の中にモヤモヤした不快感が広がっていく。
嫉妬しているのとは違うが、気分が悪い。上手く言い表せない複雑なマイナス感情。
瑞記からは園香が不機嫌になったように見えたのだろう。彼は居心地悪そうな素振りをして、しばらくすると病室から出て行った。
それ以来彼は避けるかのように、園香との関わりを断つようになった。
きっと園香に対してまだ怒っているのだろうが、そんな態度では母から冷たい夫だと思われても仕方がない。
「瑞記君が来られないなら、うちに直接来なさい。お母さんが迎えに来るから」
退院後は一カ月程実家で世話になる予定でいる。まだ不自由があるし、通院にも便利だからだ。
ただその前に今生活している住まいを見ておきたいから、横浜のマンションに寄るつもりだと伝えてあった。
「ありがとう。でも、どうしても今の家を見ておきたくて。何か思い出すかもしれないでしょ?」
「そうだけど……今の園香がひとりで行くのは危険よ?」
母は瑞記が来ないと確信している様子。園香も期待していない。
「大丈夫。電車が無理そうだったらタクシーに乗るから」
「お父さんが居たらよかったんだけど」
「その日は定例の経営会議なんでしょ? 株主総会前で忙しいんだと思うわ」
「でも……あ、そうだわ。彬(あき)くんに頼んだらどうかしら」
「え、何言ってるの? 彼は台湾じゃない」
母が言う彬くんとは、母の従姉の息子だ。ソラオカ家具店の社員でもあり、今は台湾の支店に勤務している。