テラーノベル
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夕方、誰もいなくなった教室の隅。開け放たれた窓から湿った風が入り込み、黒板の端に貼られたプリントがかすかに震えていた。
蓮司は何でもない風を装いながら、日下部の机に腰かけていた。
その距離は、背中の隙間すらないほど近い。
日下部は立ったまま、身動きを取らず、ただ耐えていた。
向き合わない。けれど、蓮司の声は耳の奥にまで染み込んでくる。
「……玲央菜ってさ」
不意に名前を出された瞬間、日下部の喉がわずかに跳ねた。
「そういう反応、待ってた」
蓮司は笑う。優しくも冷たくもない。ただ“楽しそう”に。
「知ってるよ。遥の家のこと。玲央菜がどういう奴で、おまえがどう“加担”してたか」
「──別に責めないけどさ」
「昔のことだしな? ……でも、面白いよなあ。おまえ、あの女のこと、好きだったんだろ?」
日下部の口元が引きつる。
「違う」
「へえ。じゃあ、なに? 怯えながらくっついてたのは、ただの共犯者ごっこ?」
「……っ」
「可愛いじゃん、おまえ。あの頃の遥、ボロ雑巾みたいだったよな」
「それ見て、なに考えてた? “ああ、こいつも俺と同じだ”って?」
蓮司の指が、日下部の首元に伸びる。
触れはしない。だがそれが余計に、恐怖を凝縮させる。
「いまも、似たような顔してる」
「“止めなきゃ”って思ってんのに、動けない。声も出せない。手も伸ばせない。……でも、見てるだけはしてる」
「そういう奴、好きなんだよな、俺」
声に揶揄も怒りもない。ただ、観察する者の静けさだけがあった。
「遥は、どう思ってるんだろうな。──“おまえの大事な人も、昔から、おまえの地獄を黙って見てた”って」
「……やめろ」
日下部がかすれた声で言った。
「ふうん。でもさあ、そういう“黙ってた過去”って、今さら許されると思う?」
「それとも、“遥なら許してくれる”って?」
蓮司はふと目をそらす──遥の方を見た。
窓の向こう、廊下の影に気配があった。 それが誰なのか、蓮司は確認しない。ただ、知っているように微笑んだ。
「……いいよな。人間って、口を閉じるといちばんよく壊れる」
「おまえも、遥も。そういうとこ、よく似てる」
囁くような声だった。
けれどそのすべては、遥の心に──暴力のように突き刺さっていた。
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