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教室の灯りはすでに落ちていた。まだ明るさの残る空が窓を染めるなか、蓮司は音もなく近づいてくる。
教室の一番後ろ──遥が、何も言えずに佇んでいるそのすぐ横をすり抜けると、蓮司は日下部の席に腰を掛けた。
机に肘をつき、顎をのせる。目線の高さを揃えるように。
「玲央菜って、ああ見えて弟好きなんだよな」
ぽつりと。唐突に。けれど、確実に“そこ”を狙った声だった。
日下部は動かない。だが、その指先が机の端をかすかに掴む。
蓮司は、にやりと笑う。
「ま、好きの意味は……ちょっと変わってるけど。
おまえも、よく一緒にやってたらしいじゃん。遥への躾」
声はあくまで冗談めいて軽い。重さも悪意も見せない。けれど、それが逆に日下部の喉を絞める。
「玲央菜が殴ると、おまえは黙って見てた」
「叫んで泣いてぐしゃぐしゃの顔、面白かった?」
「それとも、止めるふりして抱きしめたのか?」
──遥の瞳が揺れる。声は出さない。だが呼吸が詰まる気配が、はっきり伝わってくる。
日下部は、唇を噛んだ。
「……違う。そんなもんじゃ、ねぇ」
「へえ」
蓮司はその目を細める。
「“そんなもん”じゃなかったんだ? もっとちゃんと、加わってたってこと?」
日下部が拳を固く握った。
蓮司はその手に目を落とし、ふと触れる。爪の形が残るほどの強張りを、指先でなぞる。
「罪悪感ってさ、出し方に人柄出るよね」
「おまえ、偽善者っぽくて好きだよ。守るフリ、庇うフリ、全部“償い”でしょ。過去の分」
「でもさ、遥にとっては──“今さら”なんじゃね?」
日下部の肩がびくりと跳ねた。
「……わかってるよ」
ようやく、絞るような声が漏れる。
「わかってる? ほんとに?
じゃあ、何でまた黙ってるわけ?」
蓮司の声が、ほんのわずかだけ低くなった。
「おまえ、この間もそうだったじゃん」
「俺が手ぇ出しても、何にも言わなかったよな」
「まるで──遥と同じだなって思った」
その言葉に、遥の指が震える。教室の隅、ただ立ち尽くしている。声を出せず、視線も上げられない。
蓮司は気づいている。だが視線は一度も向けない。
「あいつも昔、おまえが見てる前で泣いてたんだよな。小さくて、声も出なくて、ただ殴られて」
「おまえ、知ってた?」
「玲央菜の言葉のあと、あいつが一人で吐いてたのとか」
「服の奥の痣とか、声を殺して泣いてた夜とか」
蓮司の指先が、日下部の顎を軽く持ち上げる。
「“知ってたのに”、何もできなかった? ──違うよな。やった側だもんな?」
その瞬間、日下部の顔色が変わる。
震えではなく、怒りとも違う、深い場所から染み出す絶望。
「……俺が壊したんだよ。遥を」
呟いた言葉は、蓮司には届いていないふりをされた。
「ま、俺としてはありがたいけどね。
おかげであいつ、ずっと“自分が壊した”って思ってくれてるから」
「おまえのせいで、あいつ、自分のこと加害者だと思い込んでる。……面白くない?」
沈黙。日下部の目が、遥へとわずかに逸れる。
そこにあるのは──言葉にできないほど深い“断絶”。
蓮司は最後に、軽く笑った。
「人ってさ、自分が一番許せないの、たぶん“許されたい”って思ってる自分自身だよな」
「おまえも、遥も。そういうとこ、似てるよ」
そして蓮司は立ち上がる。あくまでゆっくりと。
去り際、遥の背中すれすれを通りすぎる。
「……泣くの我慢してる顔も、見飽きてきたな」
その言葉が、遥の胸に突き刺さる。
けれど彼は、振り向かない。声も出さない。ただ、沈黙だけがそこに残った。