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その日から、神様は毎日紫苑のもとへ通うようになった。
紫苑の病室には風が吹く。窓がしまっていてもカーテンが揺れることがある。それが合図。
「今日も来てくれたんだね」
このたびに、神様は胸の奥が温かくなるのを感じていた。紫苑はもう、神様のことを『神様』とは呼ばなかった。
「ねぇ、名前の話覚えてる?」
ベッドの上で、紫苑がにこっと笑った。
「君にぴったりの名前、ずっと考えてたんだ。風とか空とか、いろいろ…でも、どれも違う気がしてさ」
神様はふふっと笑う。彼のそう言うところが好きだった。小さな体で、誰よりも優しく、まっすぐに人と向き合うところ。
「…それでね、昨日思い付いたんだ。夜が好きなんだよね?だったら…『神夜(かよ)ちゃん』とかどうかな?」
その言葉に、神様――いや神夜は少し驚いたようにまばたきをした。
「神夜……ちゃん?」
「うん。君って、なんだか夜みたいなんだよ。静かで、優しくて、暗くても怖くなくて、僕、夜って好きだから。」
『神夜』その音は、どこか懐かしく、そして温かかった。
何百年、何千年と名前もたない存在だった、神夜の心に、それはすとんと、静かに落ちてきた。
「…ありがとう。気に入ったわ。その名前」
「ほんと?!じゃあ今日から神夜ちゃんだね!」
その日から、神夜は『ただの神様』ではなくなった。紫苑の『特別な誰かとして、そこに在る意味を持った。
それは神夜にとって初めての『居場所』だった。
午後の光が病室に差し込む。
神夜は、風となってカーテンを揺らしながら、読み聞かせてくれた。
「この物語の主人公、神様と仲良くなるんだよ。なんか、僕と似てるよね。」
「ふふ。そうね、まるで、私たちみたい」
「でもさ、僕、神様に願い事してないかも、」
神夜は首をかしげる。
「病気、治してってお願いしたじゃない。」
「うーん、それもあるけど、今は…ずっとそばにいてほしいって言うかさ、」
神夜は、言葉を失った。
それは、神夜にとって、『最も叶えたい願い』だった。
寄り添いたいと願うことは出来ても、必要とされることはなかった。
けれど今、神夜は確かにこの子の隣にいる。
姿を持たない神。誰にも見えず、誰にも触れられない存在。それでも、今だけは違った。
「ねぇ、神夜ちゃん」
「なぁに?」
「僕ね、生きてる間に一回でいいから、銭湯に行ってみたいんだ」
「銭湯?」
「うん。パパとママは小さい頃よく行ってたんだって。でも、僕は病気で人の多いところに行けないから。」
神夜はしばらく考えて、ふっと微笑んだ。
「じゃあ、夢の中に一緒に行って見ようか、夜になったら迎えに来るわ」
紫苑の顔がぱぁっと明るくなった。
「ほんとに?!やったー!じゃあ、神夜ちゃんもタオル持ってきてね!」
神夜は思った。
――この子の願いは大きな奇跡じゃなくていい
――小さな幸せを重ねていけば、それがきっと生きる力になる。
紫苑は、病を抱えている。
現実は残酷で、未来は限られているかもしれない。
でも、今この瞬間、二人は確かに『生きている』
風がまた、病室を優しく包み込んだ。
その夜。
紫苑は夢の中で、神夜と銭湯に行った。
湯気の立つ大きなお風呂。
笑い声。
水をはしゃいで掛け合う声。
誰にも見えない神様が、そこには確かにいた。