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「それにしても呆れたものです」ハーミュラーの姿なき声が深山に吹く風の音色のようにこだまする。「本当のところはシグニカ統一国やライゼン大王国と同様、魔導書を欲しているに過ぎないのに、クヴラフワを救いたいなどと嘯いて、挙句呪いに苦しむ青人草の純粋な信仰心を惑わそうとまで考えていたとは」
屋敷の外から響いているようだが、まるでハーミュラーの体内にいるかのように、ユカリにはどの方向からも声が聞こえた。ビアーミナ市全体、あるいはクヴラフワ全体にまで聞こえているのだろうか。
「呪いを強化しているのが魔導書なんですから、お互い様ですよ」とユカリははっきりと言い返す。「魔導書を取り除けば苦も無く解呪できる可能性もあります」と思いつくままに話しながらユカリは自身の言葉に納得する。
「それが魔導書を得るための詭弁ですか」溜息の聞こえてきそうな声色だ。「グリュエー。なぜそのような者たちに与するのです? 私も貴女もただ一心にこの地にて苦しむ人々を救おうとしていたはず。なぜ救済の邪魔をするのですか?」
「やり方が間違っているからでしょう」とレモニカが抗弁する。「他者を変質させる呪いが救いなどとよく言えたものです。それも呪いそのものと融合させるなんて」
「そもそも、やり方以前に目的が違うよ」とグリュエーは見えないハーミュラーを見据えるような眼差しで天井を仰いで付け加える。「グリュエーが救いたかったのは呪いに苦しむ人々だけじゃない。何より救いたかったのはクヴラフワのために昼も夜も研究しながらシシュミス教団を運営していたハーミュラーなんだから」
深い森で彷徨う者をせせら笑う魔性のようにハーミュラーは静かに嘲笑する。
「成長しましたね、グリュエー。賢しらな甘言を弄するとは。耳障りの良い言葉をかければ、私が絆されるとでも思いましたか? 私には崇高な使命があるのです。私には、私より、私の願いをも超える偉大な使命が!」
少なくともユカリにはグリュエーの真心が伝わった。ユカリが嘘をつくのが下手だとしたら、グリュエーは嘘をつくという発想すらない。ユカリはそのことをよく知っていた。
どこからか竪琴の荘重な音色が、乾いた大地を潤す清水のような音色が鳴り始める。
「何か始めたようだ」ソラマリアが窓際で呟く。
ユカリも窓から、ソラマリアの視線の先に浮かぶ引っ繰り返ったモルド城を見つめる。その城が瓦礫を振らしながら身悶えすると、中から大量の光、半神ハーミュラーの蜘蛛の糸が溢れ出し、蜘蛛神シシュミスの徘徊する空を覆うようにしてクヴラフワ全土へと伸びる。
「ちょっと見てくる」
ユカリは窓から外に出て、魔法少女の杖で空へと上昇する。まるでモルド城が巨大な糸車であったかのように蜘蛛の糸が途切れることなく紡がれ、ビアーミナ市の外へ伸び、そしてクヴラフワ各地に降り注いでいる。
地上へと戻って見たままのことを伝えると「じゃあビアーミナ市にだけは降ってないんだね」とベルニージュが確認した。
「あ、うん。そうだね」とユカリは頷く。「つまり、たぶん、これで残りのクヴラフワ中の人々が克服者に変えられるんだと思う。総仕上げだろうね」
「わたくしたちが克服者に変えられないのは何故でしょう? 大王国や救済機構の面々もそうですが」
「信仰か、そうじゃないなら、呪いの中で生きてきたことで親和性でも得たか」とジニが仮説を立てる。「そういえばエイカ、あんたも克服者にされたじゃないか」
水を向けられたエイカは思い出そうと首を傾げる。
「眠らされてたから分かんない」とエイカは暢気に呟く。
今やハーミュラーの糸に包まれるだけで克服者になってしまうが、元々の克服の祝福はそれなりに大掛かりな儀式を要していたのだろう。他にも何か条件があるのかもしれない。
その時、夕暮れの気配を爪弾くような竪琴の謎めいた調べに、これまでに何度も聞いて来たハーミュラーの『星降る夜の讃歌』が加わる。しかし苦しみに寄り添うような物悲しいばかりの音色ではない。暗くて、汚くて、痛々しくて、気圧されて、獰猛で、寂しくて、不吉で、忌々しい。恐怖を掻き鳴らしたような歌だ。聞いているだけで不快な感情が湧き出てくる。
「変身して!」と声をあげたのはベルニージュだ。
続いて苦しむような嗚咽が聞こえ、変身した皆が振り返るも視線の先には誰もいなかった。ジニが消えた。
「わ! 何? 暗い! 皆いる!?」と声をあげたのはエイカだ。
ユカリは駆け寄って手を掴み、エイカを励ます。
「いるよ。大丈夫」
「落ち着け」とカーサも声をかける。「どれも幻のようなものだ。怪我だけはするなよ」
全ての呪いが一度に襲い掛かってきているらしい。ただし孤立の呪いと一体化した克服者であるエイカは深奥に沈まずに済んでいる。
「どうなってるの?」とエイカが問いかける。
「他のみんなは大丈夫」ユカリは改めて変身が間に合った皆を眺めて言う。「義母さんだけ、深奥に沈んだみたい。でももちろん大丈夫に決まってる。ねえ、解呪の楽の音で対抗できないかな?」
「わたくしが行きますわ」そう言ってレモニカが外へと出て行き、ソラマリアが後を追う。
すぐに太鼓と鐃鈸の力強い律動が、大地を揺るがし、山を打ち崩す律動が唸る。ハーミュラーの歌の律動と重なりながら、しかしはっきり違っていて、生み出された不協和音に頭がおかしくなりそうだ。
「わあ!」とユカリとエイカが同時に叫び、お互いに抱き着く。いつの間にか床に虫が湧き出ている。「何かいる! 何!? あ! 臭い! なんか臭うよ!」とエイカが訴える。
虫や臭いは呪いの副産物に過ぎず、魔法少女の衣でも拒めない。エイカを机に上らせる。
「もっと! もっと上に行かないと!」とエイカが不安げに呟く。
呪いが次々に襲い掛かっているのだ。これがクヴラフワ中で起きているということだ。
「ワタシたちも加勢しよう」とベルニージュがグリュエーを伴ってレモニカたちに合流する。
二種の弦の音と鍵盤が加わり、重なり合って、深みのある楽の音が、深海にこだまする鯨の歌声の如き楽の音が響き渡る。やはりハーミュラーの竪琴の音色とは調和がとれないが、押し返している。
途端に虫が屋敷の外へと逃げ出した。同時に自身の動揺と混乱に疲労したエイカが机の上で膝をつき、荒々しく呼吸する。
「目は見える?」と尋ねたユカリとエイカの目が合う。
「うん。大丈夫。まだちょっと臭う気がするけど」と呟いてエイカは鼻をひくひくさせる。
だがジニは戻ってきていない。ユカリは必死に思考を巡らせる。単純に考えるなら、八つの呪いの内、四つの解呪の演奏によって四つの呪いが解かれているのかもしれない。暗闇と蟲、高所。あと一つは孤立の呪いではないということだ。
「気を付けて」とユカリはエイカに手を貸して机から降ろさせる。「まだ呪いは残ってる。『虚ろ刃の偽計』かもしれないから怪我は厳禁だよ。カーサはいるの?」
「ああ、ここにいる」
「ふたりはここにいて」
ユカリも屋敷の外へと出、不安そうに嘶くユビスを横目に敷地の外へ出る。
皆は演奏しながらモルド城の方を見上げている。ハーミュラーの姿は見えないが、空を覆う糸に透けたシシュミス神が背景に浮かんでいた。しかし蜘蛛神を奉じる巫女の歌はまるで耳元で歌っているかのように大きく聞こえる。
「みんなは演奏を続けてて!」
ユカリが魔法少女の杖に乗るとベルニージュが呼び止める。
「どうするつもり!?」
「歌うのをやめさせる!」
呼び止めているらしき声は聞こえたがユカリは止まらず、一直線にモルド城へと飛んでいく。