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一夜明けた次の日、三人はのんびりと道を歩いていた。瑛斗は咲莉那に問いかけた。
「そう言えば咲莉那さん、俺を助けてくれたあの日、どうして最初桜香と名乗ったんですか?」
「だって、偽名使わないと火龍使いの咲莉那だってバレるでしょ?…でも、瑛斗には、バレたけど…」
「だって、火楽って言ってたじゃないですか。それに本当に桜香かどうか聞いたとき目をそらしましたし。バレバレですよ」
「そっか~、いつもは大丈夫なんだけどな…まぁ、あの時は運が悪かったってことで」
「めちゃくちゃ楽観的…よくそれで生きてこれましたね。」
「けっこう運良いから。だから、人前で私を呼ぶときは桜香でお願いね。」
「はい」
そんな会話をしながら歩いていると、瑛斗は祠があることに気付いた。その祠には螺旋模様や風を思わせる旗があった。
瑛斗は立ち止まり、祠に手を合わせた。
咲莉那が立ち止まって振り返り「どうしたの」と聞いた。
「風龍(ふうりゅう)の空華(くうか)様にお参りしているんです。この旅の無事と咲莉那さんの真実を解き明かせるようにと」
「瑛斗…ありがとう。」
「主様、空華の祠があるということは…近くに村があるのでは?」
「確かにそうだね、もう少し歩いてみよう。」
しばらく進むと火楽が言ったとおり遠くに村が見えた。
「主様、あそこ、村が見えますよ。」
「本当だ。ちょうどいいし、あの村に入ろうか。」
こうして三人は村へと向かい無事到着した。だが、村は静まり返り、ただ風が乾いた地面を舞う音だけが響いていた。咲莉那、瑛斗、火楽の三人が門をくぐると、村の人々は彼らをじっと見つめた。その視線には不安と期待、そしてどこかに潜む恐れが混ざっているようだった。
やや腰の曲がった村長と思われる老人がよろよろと三人に歩み寄り、その場で膝をつき、深く頭を下げた。「旅の御方、どうかお助け下さい。この村では、若い女性が次々と姿を消しております。なにかが見えるという噂が広がり、恐怖で誰も森には近づけないのです。」
咲莉那はその言葉を聞き取りながら周囲に視線を巡らせた。「なにか…それはどこで見たと言う噂なのですか?」
村長は震える手で村の端にある森を指し示した。「森の中です。だが恐ろしくて近づく者はおりません。ただ、消えた者たちが戻ったことは一度もないのです。」
そして、村長は再び頭を下げると、申し訳なさそうに言葉を続けた。「今日はもう日が暮れてしまいます。良ければ、宿に案内いたします。良いものは提供できませんが…」
「ありがとうございます。それで十分です。」咲莉那が穏やかに答えると、村長はほっとしたように微笑み、三人を宿へ案内し始めた。
宿は村の中央に位置する古びた建物で、木の軋む音と年季の入った家具がその長い歴史を物語っていた。村長が「こちらでお休みください」と促し、咲莉那が軽く頭を下げると、彼は礼を言って部屋を後にした。
火楽は窓辺に近づき、鼻をひくつかせた。「…どうも落ち着かない。この村、良くない気が漂っています。」
咲莉那は床に座ると「やっぱりか…失踪者探しのついでに森を浄化した方がいいかもね…」と呟いた。
瑛斗は少し間を置いて、低い声で問いかけた。「どうして若い女性だけが失踪するんでしょう?」
その時、宿の外から微かな足音が響いた。咲莉那たちが目を合わせたその瞬間、足音は消え、静寂だけが残った。
その夜咲莉那は謎の気配で目が覚めた。
彼女は隣で寝ていた火楽を軽く揺り起こした。「火楽、何かいる。部屋の外だと思う。」
火楽はすぐに鼻をひくつかせ、「確かに…嫌な匂いがします」と低く呟く。
二人が静かに部屋を抜け出すと、廊下の先で何かが素早く曲がっていくのが見えた。影が揺れるように動いた一瞬の出来事だった。
「今の、なに…?」咲莉那が囁くと、火楽は首を振る。「わかりません。主様、追いましょう。」
二人は静かな廊下を足音を忍ばせながら影の消えた方向に急いだ。だが、曲がり角の先には何も残されていなかった。ただの暗闇と静寂だけが、咲莉那たちを迎えた。
「完全に消えた…」咲莉那は小さくため息をつき、森の方をじっと見据える。「やっぱり、あの森には何かある…」
翌朝、村の空気はさらに重たく沈んでいた。
三人が宿から出ると、村の中心部に人々が集まり、悲しみと動揺が広がっていた。村長が三人に近づき、恐れと涙の混じった表情で呟いた。
「また…若い娘が姿を消しました。昨晩までは確かに家にいたのに、今朝目覚めると家族がいなくなったと叫んでいるのです。」
咲莉那は沈黙を守りながら、手を軽く握り締めた。「やっぱり夜が鍵か。何かが村に潜んでいる…。」
火楽は鼻をひくつかせながら言った。「何か嫌な気配が残っている気がします。この事件はやはりなにかあります。」
瑛斗が村長に視線を向けながら問いかけた。「昨夜、何か異変を感じたりしましたか?足音や物音、見慣れない気配はありませんでしたか?」
村長は震える声で答えた。「たしかに…影のようなものが村の端を横切るのを見た者がいると言っていました。でも、それは恐ろしくて近づけなかったそうです。」
咲莉那は深く息を吸い込み、静かな声で言った。「その影が森に向かっていた可能性があります。今日こそ森を調べる必要がありそうだね。」
森に足を踏み入れた三人は、周囲を見渡しながらゆっくりと進んでいった。枝が擦れる音と足元の乾いた葉の音だけが響く静寂に、火楽が鼻をひくつかせる。
「この森、やはり陰の気が漂っている。それも…濃い気が。」火楽が囁くように言うと、瑛斗は刀を握りしめた。「準備しておけ。何が出てくるかわからない。」
咲莉那は木々の間に視線を巡らせながら、深く息を吸い込んだ。「おそらく、失踪事件の犯人がこの森に潜んでいるはず。それを探るためにも進むしかない。」
瑛斗たちが森の奥深くを進んでいくと、火楽が足を止めた。
「主様、これを見てください。」
火楽が指差した先には、木の枝に引っかかっていた布切れがあった。それは柔らかい素材で、どこか衣服の一部のようだった。火楽がそっと手に取り、咲莉那に渡す、指先に冷たさと湿り気が残る。
「この布…失踪した人のものかもしれない。」咲莉那が呟いた。
瑛斗が近づき、鋭い目つきでその布を見つめる。「布切れがここにあるということは、この辺りを通った可能性が高い。もっと周囲を調べるべきかと思います。」
「そうだね。それなら、私の術を使おう。」
咲莉那はそう言うと、袖の中から狐の半面を取り出した。
「それは、なんの術ですか?」
瑛斗が不思議そうに聞くと、咲莉那は「見てからのお楽しみ」そう言いながら狐の半面をつけた。するとポンッという音とともに咲莉那の周りに煙が立ち込めた。その煙は一瞬にして消えたが、咲莉那の姿も瑛斗の視界から消えた。
「咲莉那さん…?」彼が声を上げるが、答えは返ってこなかった。
その代わりキャン!という可愛らしい鳴き声が聞こえたのだった。
瑛斗が驚いて声の方向を振り返ると、小さめの狐が森の影から姿を現した。その狐が見つめるのは瑛斗ではなく、火楽だった。
「主様、いつもの術ですね?」火楽が静かに笑みを浮かべながら言うと、その狐が軽く尻尾を振る。
瑛斗は戸惑った表情で呟いた。「この狐が…咲莉那さん…?」
「ああ、主様だ」
火楽は静に言う。
「主様は、自分の術で狐の姿になれるんだ。この狐の姿と耳と尻尾だけが生えた狐の姿と、二つあるんだ。」
「咲莉那さんって、すごいですね。でも、どうして狐の姿に?」
「狐は嗅覚が鋭いんだ。その特性を活かして、布の匂いを嗅いで、失踪した人を探すんだよ。」
「なるほど…」
火楽は静かに屈み込み、小さめな狐の姿をした咲莉那の近くへ布切れを持っていった。「主様、これです。匂いを嗅いでみてください。」
咲莉那は火楽に差し出された布切れに鼻を近づけると、慎重に匂いを嗅ぎ始めた。尾を少し揺らしながら鼻をひくつかせ、匂いを深く探る姿はどこか本物の狐のようだった。
瑛斗はその様子をじっと見守りながら、ただその静けさに言葉を失っていた。「まるで本当に狐そのものだな…」と呟き、布切れの匂いがどのように咲莉那を導くのかを興味深げに観察していた。
突然、咲莉那が鋭く「キャン!」と鳴いた。鼻をひくつかせながら布切れを森の奥へと向かい、「こっちだよ!」と言わんばかりの仕草で瑛斗と火楽を誘導する。
火楽は即座に立ち上がり、その方向をじっと見据えた。「主様が嗅ぎ取った匂いは間違いない。行こう。」
瑛斗は少し戸惑いながらも、二人の後を追うことにした。「狐の姿で匂いを辿るなんて…やっぱりすごいですね。」
火楽は瑛斗に向かって一瞬だけ振り返り、「主様はこうした術をいくつも扱えるんだ。」と低い声で語った。
森の奥へ進む咲莉那の尾が木々の間で微かに揺れる中、瑛斗と火楽はその後に続いた。謎めいた気配の中で、三人の調査は深まっていく。
木々がさらに密集する森の奥へ進んでいくと、突然鋭い悲鳴が響き渡った。咲莉那は耳を立て、瞬時に音の方向を特定した。火楽が低い声で呟く。「人間の声だ…。主様、急ぎましょう。」
瑛斗は布を握りしめ、抜刀の準備をしながら二人の後に続いた。
茂みを抜けると、そこには若い娘が倒れこんでいる姿があった。彼女は咲莉那たちが昨晩失踪したと言われていた娘だった。彼女の目は恐怖で大きく見開かれ、その目の前には巨大な妖怪が不気味な形で彼女を捕えようとしていた。
瑛斗は即座に刀を抜き、「動くな…!」と声を上げ、妖怪に向かって突進しようとした。だがその瞬間、いつの間にか術を解いていた咲莉那が勢いよく瑛斗の腕を掴んだ。「待って、瑛斗!」
「何をしているんですか!この娘が危ないじゃないですか!」瑛斗は困惑と怒りが入り混じった表情で叫んだ。咲莉那は鋭い眼差しで妖怪を見据えながら言った。
「あの妖怪、昔私が助けた子だ。」
「助けた…?」瑛斗は驚いて咲莉那に視線を向けた。彼女は冷静に言葉を続けた。「彼がここで何をしているのか理由を聞く必要がある。」
咲莉那はゆっくりと妖怪の前へ歩み寄った。無防備に見える彼女の姿に、瑛斗は困惑した表情を浮かべる。「咲莉那さん、何を…!」
火楽が軽く片手を挙げ、瑛斗を制した。「主様に任せよう。」
「どうしたの?」咲莉那は穏やかな声で問いかけた。「覚えている?私たちが君を助けたあの日のことを…。」
しかし、妖怪の目には冷静さの欠片もなかった。その瞳は赤く染まり、荒れ狂う感情だけが渦巻いていた。低くうなり声を上げながら、鋭い爪をゆっくりと振り上げる。
咲莉那はその場を動かず、ただ妖怪の動きを静かに見守った。けれど、火楽がすぐ後ろで低い声で囁いた。「主様、彼は…理性を失っています。」
「…気づいてないか。私だってことに。」咲莉那は寂しげに笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べた。「何があったの?どうして、こんな風になってしまったの…?」
だが、その問いかけにも答えは返ってこない。妖怪の口から漏れ出たのは、ただの唸り声だった。咲莉那は静かに息をつき、目を細めながら火楽に指示を出す。「私が気を引いてるうちに娘さんを安全な場所へ運んで。」
火楽は即座に反応し、倒れている娘の元へ駆け寄る。「分かりました、主様!任せてください!」
瑛斗は咲莉那の冷静さと素早さに感心しつつも、目の前の状況に不安を隠せなかった。
咲莉那は静かに妖怪の目を見つめながら立ち止まった。彼女の視線は揺るぎなく、言葉を慎重に選ぶ。「落ち着いて。お前を傷つけるつもりはない。私はただ…話したいだけ。」
だが、妖怪の瞳に理性の光は一切戻らない。むしろ、その姿はますます凶暴さを帯びていく。唸り声が深く響き、周囲の空気が不気味に震える。
突然、妖怪の鋭い爪が咲莉那に向かって振り下ろされた。
「咲莉那さん!」瑛斗が叫びながら飛び出そうとしたその瞬間、とてつもない重圧感が周囲に広がった。瑛斗はその場で足を止め、胸を押さえながら息を整えようとしたが、呼吸がしにくくなるほどの圧力に襲われた。風は吹いていないはずなのに、木々はざわめき、鳥たちは一斉に飛び立っていく。
「これは…何なんだ?」瑛斗は驚きと困惑の表情を浮かべながら
咲莉那の方へ視線を向けた。彼女は静かに立ち尽くし、美しい淡藤色の目は龍使いの威厳を宿している。
咲莉那の視線が妖怪を鋭く捉え、
低く静かなその声が静寂を破る。「この我を襲おうとするとは…我に対する恩を忘れたか!」
彼女の言葉は重く響き、周囲の空気を震わせた。それでも、妖怪の動きは止まらなかった。唸り声をさらに深め、攻撃の構えを強める。
瑛斗は驚愕したまま目の前の状況を見つめていた。「恩…?どういうことなんだ…?」
火楽が低い声で説明するように囁く。「主様が言っていた通りだ。この妖怪、かつて主様と俺が助けた子だ。ただ…今の彼は理性を失っている。」
咲莉那は一歩前に進み、再び声を上げる。「思い出せ!我がお前を助けた日のことを…!」
それでも、妖怪は動きを止めることなく荒れ狂う唸り声を上げていた。鋭い爪を振りかざし、今にも攻撃が迫ろうとしている。
咲莉那は一瞬だけ息をつき、そして低く静かな声から一転、力強く妖怪の名前を呼んだ。「カサギリ!」
その名前が口にされた瞬間、妖怪の動きがぴたりと止まった。瞳に宿る赤い光がわずかに揺らぎ、次第にその激しい輝きが薄れていく。
「咲、莉那…様」
たどたどしかったが、妖怪━━いや。カサギリは、確かに咲莉那の名を呼んだ。
咲莉那は静かに近づき、柔らかい声で再び問いかけた。「思い出した?あの日、私たちが君を助けた時のことを。」
カサギリは頭を垂れ、その鋭い爪をそっと地面に伏せた。
「咲莉那様に恩がありながら、爪を立てたこと、誠に申し訳ありません。どうかこのカサギリをお許しください。罰なら喜んでお受けします。」
彼の声には深い後悔と悲しみが滲んでいた。瑛斗はその言葉を耳にし、咲莉那の力とカサギリとの深い絆に驚きを隠せなかった。
咲莉那はそっと息をつき、優しい笑みを浮かべながら言った。「罰したりしない。戻ってきて良かった。」
瑛斗は眉をひそめ、カサギリが理性を失っていた理由について問いかけた。「一体、どうしてカサギリはこんなふうになってしまったんだ?」
火楽が低い声で答えた。
「それは…おそらくこの村や森に漂う濃い陰の気のせいだろう。」
「陰の気?」瑛斗は戸惑いの表情を浮かべた。
咲莉那が淡藤色の目を輝かせながら静かに言葉を継いだ。「そう。この場所には、陰の気が充満している。それも異常なほどに…その影響を受けて、カサギリは自分自身を見失ってしまった。」
火楽が小声で付け加える。「村の人々も、長くこの影響を受けていれば無事ではいられないでしょう…。主様、早急に手を打つべきです。」
瑛斗は驚いた表情を浮かべながら呟いた。「じゃあ、この村そのものが危険な状態ってことですか?」
咲莉那は短く頷き、再びカサギリの方へ目を向けた。「だからこそ、この陰の気の正体を突き止める必要がある。」
瑛斗たちは村に戻り、娘を無事に家族へと返した。娘の母親は涙ながらに何度も礼を述べ、村の人々も集まり感謝を伝える。しかし咲莉那の表情は曇ったままだった。
村長がゆっくりと歩み寄り、深々と頭を下げる。「本当にありがとうございます、桜香殿。まだ何か気になることでも?」
咲莉那は村長に鋭い視線を向けた。「この村や森に漂う異常な悪い気に何か心当たりはありませんか?」
村長は一瞬ためらうように目を伏せたが、深く息をついて語り始めた。「…実は、この森の奥深くには、かつて封印された妖怪がいると言われています。その存在は長い間、村の禁忌とされ、詳しく知る者はほとんどおりません。」
瑛斗が驚きの表情で村長に詰め寄った。「封印された妖怪?それが関係しているのですか?」
村長は眉をひそめ、ゆっくりと頷いた。「可能性はあります。」
咲莉那は村長の言葉に深く考え込みながら、静かに呟いた。「森の奥に行く必要がありそうだね。その封印がどうなっているのか、確かめる必要がある。」
火楽が淡々と準備を進めるように言った。「この村にこれ以上被害を及ぼさないためにも、急ぎましょう、主様。」
森の奥へ向かう道中、濃霧が次第に立ち込め、咲莉那たちは慎重に足を進めていた。だが瑛斗は、その異様な雰囲気の中で奇妙な感覚を覚え始めた。次々と失踪する若い女性、夜に現れる謎の影、そして森の奥深くに封印された妖怪…
「待ってください咲莉那さん。」
瑛斗は立ち止まり、深く思索に耽った。
咲莉那が彼の方を振り返る。「どうしたの?」
「その妖怪に心当たりがあるんです」
瑛斗は少しずつ記憶を辿りながら、図書室で読んだ内容を思い出していった。「たしか、骸煉(むくろれん)という名前でした。」
咲莉那は瑛斗に問いかけた。
「骸煉…それが封印された妖怪の名前?」
瑛斗は頷き、焦るように続けた。「はい、骸煉は極悪非道で知られる妖怪で。文献にはこう書かれていました…『骸煉は人の命を喰らい、特に若い女性を好み、影の分身を使う。暴食によりその力を高め、周囲を恐怖と破壊で染める存在』と…。」
火楽が低い声で呟く。「そんな存在が封印された理由もうなずけますね。もし封印が完全に解かれれば、この村だけでなく、広域にわたって壊滅的な被害を及ぼすでしょう。」
咲莉那の目が鋭く光り、決然とした声で言った。「封印の状態をすぐに確認しないといけない。」
咲莉那たちは、森の奥深くへと足を進めていった。周囲の空気が一層重くなり、木々のざわめきさえも消え失せ、不気味な静寂が辺りを包む。
瑛斗が辺りを見回し、かすかに震えた声で呟く。「ここが…封印の場所…?」
前方に現れたのは、巨大な岩に刻まれた古びた文字と、その周囲を覆う薄暗い霧だった。その霧は、まるで生きているかのように揺らめき、岩の周囲を怪しく漂っている。
火楽が低い声で確認する。「確かに封印がありますが…何かがおかしい。」
咲莉那は目を細め、封印の中心に注意深く視線を送る。「封印が弱まっている。このままでは…。」
その時、地面がわずかに震え、岩に刻まれた文字からかすかな赤い光が漏れ始めた。それは、不気味な脈動のように光り、咲莉那たちに警鐘を鳴らしているかのようだった。
咲莉那は封印の中心に立ち、慎重に儀式の準備を進めていた。その声は静かで落ち着いていたが、その背後で周囲の空気が不穏に揺らぎ始めていた。
火楽が龍の姿に戻り、辺りを睨みつける。「主様、どうやら奴らが近づいてきています。」
瑛斗も刀を構え、緊張感を露わにした。「くそっ…陰の気のせいで、森中の妖怪が集まってきてるのか。」
咲莉那は振り向かず、淡々と指示を出した。「火楽、瑛斗。私が封印を完成させるまで、どうにか耐えて。」
その言葉が終わるや否や、木々の間から理性を失った妖怪たちが次々と現れた。その目は血のように赤く輝き、低い唸り声を上げながら咲莉那を目指して突進してくる。
「咲莉那さんに指一本触れさせない!」瑛斗が咆哮しながら最初の妖怪に剣を振り下ろした。火楽も鋭い動きで次々と敵を倒していく。
だが、妖怪たちは無尽蔵に現れ、二人は防戦一方になりながらも懸命に咲莉那を守り抜こうとする。その間、咲莉那は集中力を切らさず、封印を完成させるべく祈りを込めて術を紡ぎ、咲莉那の声が低く響き渡った。そして淡藤色の目は紅の八塩に染まる。
「この世の秩序を乱す者よ。その名を持ってここに縛りとどめる。我が名は咲莉那なり。我が命に逆らうことあらず…」
彼女の瞳が光を宿し、最後の言葉を放つ。「我が名を持ってここに封じよ。――閉!」
その瞬間、封印の中心から眩しい光が放たれ、陰の気が急速に押し戻されていった。
「ふう。終わった…」
封印の儀式が終わり、骸煉はその力を封じ込められた。しかし、その場に漂う陰の気はまだ消えていなかった。森の木々は黒ずみ、空気は重苦しく、村へ戻るには危険な状態が続いている。
咲莉那は深いため息をつき、辺りを見回す。「まだ終わりじゃない。ここに漂う陰の気を完全に浄化しなければ、影響が残り続ける。」
瑛斗が驚きの表情で彼女を見た。「まさか、一人で浄化をするんですか!?」
彼女は頷いた。
「私は火龍使いだよ?私のこと、なめないでもらいたいね。」
咲莉那は炎華を手に取り、静かに目を閉じた。その横笛は、繊細な彫刻が施され、実に美しい。
彼女が横笛を吹き始めると、炎華の音色は力強くも美しく森全体に広がった。その音は陰の気を絡め取るように舞い、黒ずんだ木々や地面を次第に鮮やかな色へと変えていく。
瑛斗が周囲を見回しながら呟いた。「信じられない…あの音色が陰の気を浄化しているのか。」
火楽は静かに炎華の音を聞きながら、辺りの安全を確保するように動いた。「さすが俺の主様だ。」
やがて音色が高まり、そして最終の旋律を響かせた瞬間、陰の気が完全に消え去り、森は平穏を取り戻した。
咲莉那たちが森の奥から村へ戻る道のりは、どこか穏やかで静かなものだった。浄化された森は鮮やかな緑を取り戻し、小鳥のさえずりが新たな命を告げている。
瑛斗は咲莉那の横顔をちらりと見ながら話しかけた。「本当にすごいですね。火龍使いの力。」
火楽も後ろから歩きながら短く言った。「主様、ご苦労様です。」
咲莉那は軽く笑いながら首を振った。「無事に骸煉を封印出来たのも、二人が手助けしてくれたおかげだよ。二人ともありがとう。」
村の入り口が見えると、待ち構えていた村人たちが彼らを出迎えた。「よかった!皆さんが無事で戻ってきた!」
村人たちは咲莉那たちを囲み、感謝の言葉を口々に述べた。その中には、咲莉那が陰の気を浄化したことで解放された人々の姿もあった。
「ありがとうございます。これで村も安心して過ごせます。」村の長老が咲莉那に深々と頭を下げると、咲莉那は嬉しそうに笑った。
村の長老と話している最中、瑛斗は安心したように口を開いた。「桜香さん、お疲れ様でした。」
その言葉に長老が深々と頭を下げた。「桜香殿のお力には感謝いたします。村の平穏を取り戻すことができたのはあなたのおかげです。」
瑛斗がふと振り向くと、そこにいたはずの咲莉那と火楽の姿が消えていた。
「えっ…さっきまでここにいたんだけどな。」瑛斗は驚いて周囲を見渡したが、二人の姿も気配も全く感じ取ることができなかった。
森の奥深く、咲莉那はふらつく足取りで歩いていた。やがて彼女は近くの木に手をつき、肩で息をしながら咳き込む。
「主様!」火楽がすぐに駆け寄り、その肩を支えた。「無理をしすぎたんじゃないですか?」
咲莉那は火楽を見上げ、かすかに微笑んだ。「これくらい…平気だよ。心配しないで。」
しかし、その声には疲労が滲んでおり、火楽は眉をひそめた。「主様…。」
咲莉那は真剣な表情で静かに頷いた。「まだ…負けるわけには、いかないからね。」
瑛斗は周りを見渡し咲莉那と火楽を探していた。ふと気配を感じて振り向いた。そこには咲莉那と火楽が、いつの間にか戻ってきていた。
「さ…桜香さん!二人ともどこに行ってたんですか?」瑛斗は少し驚きながらも、ほっとしたように声をかけた。
咲莉那は軽く肩をすくめながら答えた。「さっき助けた、カサギリの様子を見に行ってたの。」
「カサギリの様子を?」瑛斗が首を傾げると、火楽が静かに補足した。「あの妖怪は陰の気の影響を強く受けていたからな。主様が気にかけるのは当然だろう。」
咲莉那はどこか優しい表情を浮かべ、瑛斗に説明を続けた。「昔助けた子だからね。放っておけるほど、私は冷たくないよ。」
瑛斗は一瞬黙り込み、彼女の言葉に何かを感じ取ったようだった。「さすがです、桜香さん。」
咲莉那は軽く笑みを浮かべた。「それに、これも私たちの仕事の一環だからね。」
火楽が口元を緩めて言った。「主様のそういうところ、本当に見習いたいものです。」
瑛斗たちが村を後にする準備をしている中、火楽が眉をひそめながら呟いた。「主様…封印が弱まっていたのは奇妙です。実力のある者が施した封印なら、そう簡単に弱まるものではないはずです。」
咲莉那は真剣な表情で火楽に視線を向けた。「確かに…何か外的な力が働いたのかもしれないね。もしそうなら、その力の正体を探る必要がある。」
瑛斗はその言葉に少し不安を抱きながら問いかけた。「封印を弱めた犯人がいるってことですか?」
火楽は低く頷きながら答えた。「可能性は否定できない。陰の気を意図的に広げようとする者がいるとすれば…非常に厄介だ。」
咲莉那は少しの沈黙の後、決然とした声で言葉を続けた。「一度、骸煉を封印し直した場所に戻ろう。」
瑛斗たちは、封印の場所へと戻り、何か痕跡が残されていないかを慎重に調べていた。陽の光が木々の隙間から差し込む中、咲莉那が岩に刻まれた文字の近くに跪き、指先でその表面を慎重になぞる。「誰かが封印に干渉した形跡がある。意図的に削られた部分もあるみたいだね。」
火楽は辺りを警戒しながら低い声で答えた。「ここに入る者は限られるはず。これをやったのは相当な覚悟と力を持つ者だ。」
瑛斗が刀の柄に手をかけながら辺りを見回していた。そのとき、風がざわめき、彼の背後に何か不吉な気配が走った。「…待ってください。この気配…誰かが近づいてきます。」
突如として、木々の間から黒い影が現れると同時に、鋭い刃が咲莉那へと襲いかかってきた!
火楽が瞬時に反応し、咲莉那の前に飛び出して攻撃を受け止める。「主様、ご無事ですか!」
「大丈夫!」咲莉那は冷静に立ち上がり、目の前の影をじっと見据えた。そこに立っていたのは、黒い布で顔を覆った刺客たち。彼らの目には冷たく無感情な光が宿り、殺気が漂っていた。
火楽が驚いたように咲莉那に叫ぶ「この匂い…主様!こいつら昨夜、部屋の前に居た影と同じ匂いがします!」
咲莉那が呟いた。
「そうか…昨日の夜部屋の前に居たのはお前たちの誰かだったのか…」
瑛斗が刀を抜き、構えながら叫ぶ。「何者だ!何の目的でここに現れた!」
刺客の一人が無言で手のひらを突き出すと、濃い陰の気が周囲に広がり、空気が一層重苦しくなった。「火龍使い・咲莉那よ。我らが主(しゅ)の計画のため、死んでいただきます。」
「計画…?」咲莉那が眉をひそめて問いかけた瞬間、刺客たちは再び彼らに向かって一斉に襲いかかってきた。
瑛斗と火楽がすぐに前に立ち、咲莉那を守りながら応戦する。「咲莉那さん!俺たちで時間を稼ぎます。その間に原因を探ってください!」瑛斗は鋭い声で叫びながら刀を振る。
火楽も鋭い息を吐き、龍の力を解放しながら敵を押し返す。「主様、ここはお任せください!」
咲莉那は刺客の言葉を思い返しながら、再び封印の岩へと視線を戻した。「計画…いったい何を目的としているの?何かがまだ隠されているはず…。」
咲莉那は刺客に視線を鋭く送り、問いかけた。「目的を話して。この封印を弱めた理由が、あなたたちの計画の一部だとしたら、それは何なの?」
刺客の一人が冷たい笑みを浮かべ、答える。「目的を知る必要はない。お前たちがそれを知ったところで、運命は変わらない。」
瑛斗が刀を構え直し、怒りを込めて叫んだ。「話せ!これ以上の犠牲を出させるわけにはいかない!」
だがその瞬間、刺客は短刀を取り出し、自分の胸元へと突き立てた。咲莉那が驚きの声を上げる。「待って!まだ話が…!」
しかし、刺客は冷静な表情で倒れ込み、最後の言葉を呟いた。「影は広がる…お前たちには止められない…。」
火楽は目を細め、倒れた刺客を見ながら低く呟いた。「主様、彼らは自分の計画に命を捧げるほどの覚悟を持っています。」
咲莉那は沈黙を守りつつ、封印の岩に視線を戻した。「計画に何が関係しているのか、もっと深く調べる必要があるね。彼らの言葉には何か隠されている…。」
瑛斗は刺客が残した言葉を思い返しながら、刀を握りしめた。「影が広がる…いったい何を意味しているんだ?」
火楽は静かに鼻をひくつかせながら答える。「この陰の気と関係しているのは間違いないでしょう。計画を追うためには、この封印の痕跡をさらに調べる必要がありますね。」
咲莉那は深く息をつき、岩に刻まれた文字を見つめながら言った。「ここで立ち止まるわけにはいかない。この先に、答えがあるかもしれない。」
村を後にして歩き出した三人。ふと、瑛斗は咲莉那の背中を見つめ、思索にふけった。
(咲莉那さん…どうしてあんなに強いのに、どこか寂しそうな背中なんだろう。それに、彼女の過去や「隊員殺し」としての真実は、一体どうなっているんだ…。)
木々の間を抜ける風が、咲莉那の髪を揺らす。その姿を目にしながら、瑛斗は拳を軽く握りしめた。(俺にできることがあるのなら、力になりたい。そして、咲莉那さんの真実を突き止めるためにも、俺自身がもっと強くならなくちゃいけない。)
火楽が隣で瑛斗をちらりと見ると、静かに言った。「瑛斗、何を考え込んでるんだ?」
瑛斗は少し驚きながら振り向き、少し笑顔を見せた。「いえ、次の土地では俺も役に立てるように頑張らないとなって。」
火楽が小さく笑いながら肩をすくめた。「その心意気だけは認める。でも、主様の役に立つってのは簡単なことじゃないぞ。」
瑛斗は小さく笑い、火楽の言葉に答えた。「分かっています。でも、あの人が俺を助けてくれたことに応えたいんです。」
前を歩いていた咲莉那が振り返り、穏やかな笑みを浮かべて二人に言った。「さあ、次の目的地までまだまだ道は続くよ。頑張るなら付き合ってもらうからね。」
瑛斗は力強く頷き、また歩みを進めた。彼の心には、咲莉那の真実と、自分の成長への強い決意が宿っていた。