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読み終えました。綾乃の内面と由衣の決意が交錯する、じわじわくる緊迫感のある話でしたね。あの回想——歌と笑い合っていた頃の綾乃が、今の綾乃と同一人物とは思えないほど対照的で……「壊した」という台詞にゾッとしました。一方、由衣の「確かめてやる」で終わるラストも、次への期待を煽ります。あと、トイレの死因が「汚水で溺死」という非現実的な描写、まだ何か裏がありそうで気になります。この世界のルール(能力?)がどう定義されるのか、続きが楽しみです。
「綾乃ちゃん、その……」
大きな丸眼鏡の奥から、不安げな瞳が覗いている。歌は綾乃の顔をまじまじと見て言った。
「……違う、よね?綾乃ちゃんが、何かしたわけじゃないよね?」
「はあ?」
「だ、だって。確かにその、浮島さんたちに嫌なことされてたし。恨みがあるって言われたら、その通りでしょ?」
「…………」
綾乃は苛立ちのまま眉を跳ね上げる。せっかくいい気分だったのに、どうしてこう水をさしてくるのか、この女は。
まあ、言いたいことはわからないでもない。蓮見楓の取り巻き連中――浮島冬香や羽柴由衣に、自分が辱めを受けていたのは事実。それを歌も知っている。動機があるのは間違いない。
「違うわよ」
しかし、ここで怒って派手な否定をしたら、余計に疑いを向けられるかもしれない。ここにきて、歌にまで自分ではないかと思われるのはさすがに面倒だった。
「私、教室の横のトイレにずっといたのよ?それで、ついさっき戻ってきたばっかり。あの女が死んでたの、四階の隅っこのトイレなんでしょ。それで何かできたらエスパーだわ」
「そ、そうだよね、うん」
「それに、その女って人間にできるような方法で殺されてたの?むしろ本当に殺人なの?トイレがぶっ壊れて汚水被って溺れたんじゃないの?」
「た、確かに、そうじゃないかみたいなことは先生達も言ってたみたいだけど……うん」
そうだよね、と歌は何度もつぶやいている。まるで自分に言い聞かせるかのように。
「疑ったりしてごめんね、綾乃ちゃん。ちょっと心配しちゃっただけだから。私……その、うまく言えないけど。悪いことをした人は、裁かれるべきだって思うんだよ。でも、その裁かれ方は、ちゃんと法に則ったものであるべきというか。そのために法律がある、というか」
気弱に見える歌だが。彼女なりの善悪論や信念は持っているようだった。いつになく真剣な口調で続ける。
「悪いことをした人ほど、生きて反省しなきゃ意味がないと思うの。被害者の気持ちを考えて、寄り添えるようにならなきゃ報われないって。だからもし天罰なんだとしても……私は、あんなふうに浮島さんが死ぬのは違うんじゃないかなって思う」
「ふうん?死刑反対派ってわけ?」
「そうじゃないよ。実際、死ななければどうにもならない犯罪者だってこの世にいるんじゃないかって思うから。でも、浮島さんはまだ、改心できる余地も、更生できる余地もあったんじゃないかな。……私や綾乃ちゃんもまた、そうやって変わっていけるように」
「…………」
なんだか、引っかかる物言いをしてくる。まるで、綾乃も変わるべき点があるようではないか。
しかし、ここで怒鳴って変な疑念を持たれたくなかったこと。そもそも、標的の一人を拷問で殺せたことで、それなりに気分が良かったのは事実。今は飲み込んでやろう、と綾乃は大きく息を吐いた。
「……まあ、アンタが言いたいことはわかったわ。立派じゃないの。世間で通用するかは知らないけど」
「綾乃ちゃん……」
「休み時間、終わるわよ。さっさと授業の準備すれば?」
「あ、そ、それもそうだね!ありがと!」
彼女はぱたぱたと席に戻っていく。他の生徒たちもまだざわついているし、この様子だと担任が戻ってきてもすぐに授業再開にはならないかもしれないがそれはそれ。一応、綾乃も次の英語の教科書だけは出しておくことにする。
学校で死体が発見された場合は、何が起きるのだろうか。多分警察には通報されているはず。事情聴取、なんてものもあるのだろうか。直接死体に触ってもいないし、自分がやった証拠はどこにもないはずだが。
――……そうね。疑われないように手は打った方がよさそう。次の時は、アリバイでも作ってから犯行に及ぶべきかしら。
動機があるのは事実で、それだけでも疑われる材料ではあるだろう。二人目の羽柴由衣を殺す時は、もう少し慎重になった方が良さそうだ。
ちらり、と英語のノートや教科書を机の中から引っ張り出している歌を見て思う。あのお人よしにも、疑われないようにしたいところだ。空気が読めなくて苛立つこともあるが、あんなんでも綾乃のクラスでたった一人の友達なのは間違いないのだから。
『あ、すごい!絵を描くの、得意なんだね!』
新学期の時、綾乃がノートに落書きしていた絵を見て近寄ってきた歌。彼女は自分の、お世辞にも上手とは言えない絵を見せてきて困ったように笑ったのである。
『そ、その。私もお絵かきが好きなんだけど……この通り、全然上手じゃなくて。漫研に入っても全然上達する気配がなくて。……絵を描く方法、教えてくれないかな』
『……いいけど、別に』
『やったあ!ありがとう!あ、綾乃ちゃんって、下の名前で呼んでもいい?』
『いいわよ。好きにしたら』
昔から、イラストを描くのが好きだった。その絵を手放しでほめてくれて、綾乃としても嬉しかったのは事実だ。
彼女と二人。穏やかにノートに落書きをしあう日々が続いていたらどれほど良かったことだろう。彼女は綾乃の力を肯定してくれる人で、理解してくれる人だった。そしてそんな彼女になら、綾乃も助力していいかなと思えた。きっとそれだけで十分だったはずなのに。
――それを全部、あの女が壊した。
ぎろり、と綾乃は教室の後ろの方で立ち話をしている女を睨みつける。
蓮見楓。すべての、諸悪の根源。あいつさえいなければ、自分の学生生活は何もかもうまくいっていたはずなのに。
――あのゴミ女は、最後のメインディッシュ。
楓と話している小柄でツインテールの少女に視線をやる。楓の取り巻きは、あと一人。あの羽柴由衣さえ消せば、楓は必ず孤立するはず。
――次はお前よ、羽柴由衣。浮島冬香以上の苦しみを与えて、すりつぶしてやるわ。
***
いくら泣いても、涙が止まることなどないのだろう。泣き続けている楓の背中をさすりつつ、由衣は続ける。
「……好きなだけ泣けばいいよ。ショックだもんね。わたしも、なんでこんなことになったか全然わかんないし」
「ご、ごめんね、由衣さん。悲しいの、由衣さんも一緒なのに……うう、冬香さん、冬香さん……」
「楓……」
楓が冬香に憧れていたのは明白だった。それは恋愛的な意味ではもちろんないのだろうが――実際、冬香は同性から見てもとてもかっこいい女性だったのである。
バレーボール部のエース。長身に、なびく美しいポニーテール。由衣にとっても、冬香は“凄い”存在だったと言っていい。自分と違って、彼女はいつもまっすぐ前を向いていた。体育だって、何をやってもそつなくこなせた。さばさばした性格で、男子にも嫌われていなかったはずだ。本人は「アタシ、男子どもに女だと思われてねーんだよなあ」なんて言ってちょっと落ち込んでいたようだったが。
そんな彼女が、何であのようなむごい死に方をしなければならなかったのかがわからない。
噂によると、トイレが壊れていて汚水が溢れ出し、それを浴びて溺死、もしくは感染症になって死んでしまったのではということだが。彼女は和式ではなく、洋式トイレで死んでいたのである。それも座った状態でぐったりしていたという。一体どうしたら、座っているトイレから天井付近まで汚水が噴き出し、汚れるようなことになるのだろう。排水管工事でもしていて、逆噴射でもしてしまったということなのだろうか。残念ながら、由衣にはそこまでの知識がないので何もわからなかった。
こんなことになって、ショックがないはずがない。
しかも、自分達は救急車で運ばれていく彼女の最期の姿さえ見ることができなかったのだ。よほどひどい有様だったということなのだろうか。わかっているのはただ、もう彼女が亡くなっていたということ。蘇生の見込みがほぼ確実にないだろうということだけ。
「どうして、冬香さんが使っている時に、トイレが壊れちゃったんでしょうか」
良い家柄の出身ということもあって、基本的に楓は自分達相手にも敬語で話す。長い黒髪が美しい美少女で、誰に対しても礼儀正しい。本人は知らないだろうが、そんな少女を陰で慕う男女は少なくないのだ。体育以外の成績も抜群にいいから尚更に。
「あまりにも、運がなさすぎです。その上、こんな死に方をするなんて、冬香さんが可哀想すぎる。何も、悪い事なんかしてないのに……」
「……そうだね」
わるいこと。
理科室で、自分達が話していたことを思い出した。
『でも、あいつ留年させた方が安全じゃない?』
『そうそ。……他にも手がないか、ゆっくり考えよう。まだまだ時間はあるんだしさ。できれば二学期中にケリつけて、三学期にあいつが学校に来なくなるってのがベストなんだけども』
悪いことをしていなかった、なんて由衣も思っていない。きっと冬香だってそうだったはずだ。でも。
自分達にだって、自分達なりの正義があった。守りたいものがあったがゆえの考えだったのは確かだ。罪がないとは言わないが、完全に悪だと言われるのは違うのではなかろうか。
何より、楓は何も知らない。この少女は、自分達が綾乃を留年させようとしていたことも、何もかも全て。だから。
「……何が起きてるのか、わからないけど」
だから。
由衣に言えることは、ただ一つだけなのだ。
「楓のことは、わたしが守るからね。何があっても絶対、守るんだから。たとえ、神様相手だったとしても、友達として」
「由衣さん……」
「だから、心配しないで。大丈夫、楓にはいつだって、わたしがついてるよ!」
とりあえず、と、由衣は後ろを振り返る。さっきからちらちら感じていた視線。由衣が動いたのを気づいてか、あいつも視線を逸らしてきた。
野間綾乃。冬香が死んで、ざまあみろと笑っていた忌まわしい女。動機なら十分だ。あいつが何かをした、という可能性は本当にないのだろうか。
――確かめてやる、絶対。
拳を握りしめ、由衣は誓うのだった。
――絶対、冬香の仇はわたしが取るんだから……!
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