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「ラズール、医師から聞いたがフィル様がまだ目を覚まさぬようだな」
「はい。しかしようやく熱が下がりましたので、今日明日にでも目を覚まされるかと思います」
「だといいが。もう王の代わりの者がいないのだから、フィル様に何かあっては困る」
険しい顔でブツブツと呟きながら去っていく大宰相の後ろ姿を一瞥して、俺はフィル様の部屋の扉を開ける。
無事に国境を越え、見張りのための小部隊を残して、軍と共に城に戻ってきた。
戻るとすぐに、フィル様の部屋を王城で一番日当たりのいい明るい場所に移動させた。この部屋には大きな窓があり、たくさんの太陽の光を浴びることができる。そして春になると咲く様々な花を見ることができる。
フィル様にとって王城は、よい思い出がない場所ではあるが、やはり生まれ育った王城は落ち着くのだろう。戻って来た翌日には熱が下がった。だがそれから七日経っても目を覚まさない。熱が下がったとはいえ、夜になると上がる時がある。それが原因か。なかなかよくならない体調に安心ができない。
今日も窓辺にあるベッドで、フィル様が眠っている。窓から降り注ぐ光に包まれた姿が、とても美しい。
俺はベッドに近づくと、膝をつきフィル様の左手を握りしめて声をかけた。
「フィル様、もうお昼ですよ。本日はよい天気で暖かいです」
かすかにフィル様の長いまつ毛が揺れたが、まだ目を覚まさない。
このままずっと眠ったままなのだろうか。生きてさえいてくれるなら、それでもいいが。俺が一生、傍にいて大切に世話をする。だがやはり、起きて動く姿を見たい。美しい緑の瞳に俺を映してほしい。
斬り落とされた左腕以外は、どこも怪我をされていないのに、なぜ起きないのだろう。
医師は、フィル様がとても辛い想いをされたので目を覚まさないのではないかと言っていた。医師の言うことが正しいのならば、第二王子に心を傷つけられたからだ。フィル様の身体だけではなく心まで傷つけた罪深い王子。もっと強い呪文で、王子を憎むようにさせなければ。
俺はフィル様に顔を寄せ、耳元で呪文を口にしようとした。
その時、扉の外からトラビスの声がした。
「ラズールいるか?」
「なんだ」
「話がある」
「入れ」
静かに扉を開けてトラビスが入ってくる。
「フィル様のご様子は?」
「いつもと変わらない。だが今日は顔色がとてもいい」
トラビスが俺の隣に来て、フィル様の顔をのぞいて安堵の息を吐く。
「本当だ。昨夜は熱も上がらなかったと聞いたぞ。そろそろ目を覚まされるかな」
「そうだな。ところで話とは?」
トラビスが俺の腕を引いて立たせ「ネロのことだが」と口を開いた。
俺はトラビスを連れてフィル様から離れる。そして机の前にあるソファーに向かい合って座った。
「ネロがどうした。暴れてるのか?」
「いや、城の北側にある牢屋で大人しくしている。一日に一度、俺は尋問のために出向くのだが、三日前から興味深いことを言い出した」
トラビスが少しだけ前のめりになる。
俺は肘掛けに肘をつき、足を組みながら「なんだ」と聞く。
「口の軽い牢番が、交代時に他の者に話したフィル様の容態を聞いていたらしい。フィル様の目を覚まさせてやると言うのだ」
「は?デタラメだろう」
「俺もそう思った。だがネロは、自分は魔法の力も強く、医療の知識もある。何よりフィル様と近い存在だと真剣に言う」
「元より頭のおかしいヤツだと思っていたが、牢屋に閉じ込められていよいよおかしくなったか…」
俺はため息をついてフィル様に目を向ける。そんな得体の知れない奴に、フィル様を会わせるわけがないだろう。トラビスも下らない話を持ってくるな。
「おまえも暇ではないだろうに。そんな戯言ほおっておけ」
顔を背けたまま冷たく言い放つ俺に、尚もトラビスが食い下がる。
「待て。最後まで聞いてくれ」
「なにを」
「だからネロのことだ。ネロは信用ならないが、俺はネロの話を少しは信じてもいいと思っている」
「トラビス…おまえまでも頭がおかしくなったのか?それともそれは伝染する病か何かなのか?」
「相変わらずフィル様以外にはキツいよな、おまえは。違うんだよ。あのな、ネロには牢屋に入れてから三日おきに身体を拭くための湯を運んでやっている。その湯で身体を拭き頭と顔を洗っていたのだが」
「唐突になんだ?さっぱりしてよかったじゃないか」
「まあな。北側の牢屋は地下ではなく地上にあるのは知ってるだろう?だから日中は、天井近くの窓から日が差し込む」
「ああ。牢屋にしたら明るい」
「俺は尋問の時、腹が立つからネロの顔をあまり見ないようにしていた。だが三日前に興味深いことを言い出して、ようやくまともにネロと目を合わせて驚いた 」
「なぜ」
「おまえも見た方が早い。今からネロに会いに行くぞ」
「今から?午前の間にやるべき事を終えて、今からはフィル様のお傍を離れずお世話をしようと思っていたのに?」
「少し会うだけだ。頼む」
トラビスが両手を膝に置き、頭を下げる。
ネロは罪人だ。なぜわざわざ俺が会いに行かねばならない。
「断る」
俺はトラビスの後頭部を見下ろしながら、はっきりと言う。
トラビスは素早く俺の傍に来て、片膝を着きながら懇願した。
「ネロはフィル様の役に立つかもしれないんだ。すぐに終わるから…頼む!」
「…フィル様に…昼餉の代わりの栄養剤を差し上げる。それが終わってからだ」
「わかった」
俺が頷かない限り、トラビスはこの場を動かないだろう。だから仕方なく頷いた。
先に行ってろとトラビスを追い出すと、俺はフィル様の所へ行き、そっと抱きしめて耳元でいつもの呪文を囁いた。