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呪いが取り払われて幾度目かの夜が訪れる。デミバータの森から湧きだした薄闇がワーズメーズの街を覆っていく。街から多くの神秘が失われ、去っていった魔の者もいれば、これ幸いと姿を現した者たちもいる。とはいえ、ワーズメーズは魔法使いの街であり、迷わずの呪い以外にも邪悪な者を退ける術が十二分に施されていた。静寂を割って歌う者がいれば妖精たちは耳を塞いで退散し、まじないを携えた梟が星の光を隠せば星影に揺らいでいた鬼火は消滅した。
ユカリ、パディア、ビゼ、三人横並びで道を歩いていると、パディアが棍棒のような杖に縋りつきながら大きなため息をつく。
「まさか私の人生で盗みに入る時が来るなんて思いもよらなかったわ」
「気が進まないならパディアは残ってもいいんだよ」とビゼが優しく言う。
「ビゼ様は気が進んでいるのですか?」とパディアが変なところを気にする。
「僕だってもちろん気は進まないさ。泥棒に入るなんてね。でも、まあ多少は正当性が出来たじゃないか。行方不明の友人の手がかりがこの公邸の中にあったんだ」
「自尊心に対する言い訳が法廷で役に立つとは思えませんが」
「本当に、何でユーアのクチバシちゃん人形がここにあったのでしょう」ユカリは公邸を囲む高い石壁を仰ぎ見ながら言った。「ユーアもここにいるのでしょうか?」
「そもそも有名な人形劇よ? ショーダリー閣下の私物かもしれないわ」
パディアの言葉にビゼは疑問を呈する。「独身男が御伽噺の登場人物の人形? 絶対ないとは言えないが、ショーダリーだよ? 絶対ないね」
「拾ったのかも」とパディアが呟くとビゼが笑い飛ばす。
魔導書の為に盗みに入る罪悪感はユカリにもあった。しかし今ユカリの中では魔導書よりもユーアの心配の方が勝っていた。子供嫌いのショーダリーがユーアにどんな用があるというのか。考えても分からない。
「ショーダリーさんの魔導書ってどんな魔法が記されているんですか?」とユカリは二人に尋ねる。
「中身は誰にも読めてないよ」とビゼが言った。「だけど、どのような魔法が使えるかは昔から公表されている。それにその魔法をかけられた人物も大勢いる。曰く勇気を引き出す魔法だ」
「勇気? それだけですか?」
「それだけだ。でも侮ってはいけないよ。何と言っても魔導書の魔法だ。その力は破壊的と言っていい」
破壊的な勇気と言われてもユカリにはどういうことか分からなかった。物語の英雄たちは誰もが素晴らしい勇気を持って試練に挑んでいたし、ユカリもまたそれに準じようと心に決めていた。しかし勇気が破壊をもたらすという考え方はぴんと来なかった。
ユカリはパディアも何か知らないかと目線をやったが、パディアは石壁を見上げている。
「一体どんな魔法なんでしょう?」ユカリは首を傾げる。「動物の王に変身したり、人の形をしたものを自由に操れる魔法に比べると使いにくそうです」
「最も有名な使い方は戦場における兵士の鼓舞だね。どれほどの臆病者も歴戦の英雄のごとく怪物に立ち向かうことが出来るようになる。勝ち目がなくとも全力で戦いを挑むことが出来るんだ。だけど何より恐ろしいのは、此方の勝利揺るぎない赤子のような敵に対してさえ、勇気を振り絞って全力で戦わせることが出来る点だね。最も強き者、此れ即ち最も勇まぬ者、とはよく言ったものだ。公的な件だとショーダリー自身も二度の戦争で使用している。といってもどちらもミーチオン都市群に属する都市国家だったんだけど。ワーズメーズはいくつも同盟規定を破っているからね。魔法使いばかりのこの都市が自治を保ってこれたのはあの魔導書のお陰だよ。狙われたのも魔導書のせいだけど」
ユカリは立ち止まる。遅れて大人二人も立ち止まり、ユカリの方を振り返る。
ただでさえ、迷わずの魔法の魔導書を手に入れて、この街に混乱をもたらしたのに。
「勇気の魔導書を盗んでしまうと、この都市は無防備になるんですね」とユカリは確認する。
ビゼは躊躇いなく答える。「うん。その通りだ。怖気づいたかい? やめるなら僕らは従うよ。やるけど、気が引けるっていうのなら、何かしらユカリさんが納得できる理由を拵えることも出来る」
「例えば?」
「例えば。どうせ盗んだって他国にばれやしない。ばれたところでワーズメーズの街を狙う理由が減るだけさ。そもそも魔導書を所有していると公表している国々の内、いくつが本当に所有しているか分かったものじゃないんだからね。戦争の九割ははったりで出来ているんだよ、とか」
ユカリは少し考えてから答える。「あまり納得できないです。でも大丈夫です。魔導書を盗みに行きます。どちらにしろ、ユーアを探しには行くのですから」
ユカリが歩き始め、ビゼが歩調を合わせようとしたが、パディアはその場に留まっていた。
「ユカリ。貴女、ユーアのことをどう思っているの?」
「友達だと思ってます」とユカリは間を置かず答える。「助けるのに躊躇いはありません」
「そう、じゃあ私たちのことはどう思っているの?」
ユカリは交互に二人を見る。
「同じです。大事な友達だと思ってます。おこがましいかもしれませんが」
「そんなことないわ」パディアがかぶりを振る。「私もビゼ様も同じように考えている。貴女が私たちを友人だと思ってくれているように、私たちも貴女を友人だと思っているわ」
パディアの高いところにある微笑みにユカリは暖かい気持ちに満たされた。
「ありがとうございます。何だか勇気が湧いてきました」と言って、ユカリも微笑み返した。
「よし、気持ちも一致したことだ」とビゼがユカリとパディアと交互に目を合わせる。「では、夜が明ける前に作戦開始といこう」
今夜も迷宮都市ワーズメーズには落ち着きがなかった。人々の表情から気持ちを推し量ることは出来ず、その足取りから不安と焦燥を感じさせる。笑い声は聞こえてこず、何者かの呼び声、当てどない悲鳴、あるいは雄叫び、それらが渦巻いて響いている。街を照らす魔法の灯の中に、ユカリは怪物の影を見た気がした。歪が正されたがために新たな歪が生まれたのだとユカリは気づかされた。
公邸の唯一の門が見える物陰までやってくる。昼間と何も変わらない。多くの呪いが牙を研いでいる塀に堅い門扉、屈強な二人の衛兵。
作戦は簡単だ。ユカリが衛兵の目を引き、パディアが衛兵を片づけ、ビゼが門を開く。
まずはユカリが行こうという時、パディアに止められる。
「待って、ユカリ。あれ何かしら」
それは列をなした五台の箱馬車だ。暗幕で隠されて、どれも中の様子は見えない。公邸の門が開かれ、五台の馬車が入っていく。
「分からないですけど、ショーダリーさんが馬車で来た人々に気がひかれるなら幸いです。全ての馬車が門の中に入ったら、それぞれ持ち場についてください」とユカリは言い、全員がその通りにした。
まず魔法少女に変身したユカリが衛兵に聞こえるように物陰で悲鳴をあげた。衛兵から見て左方向で寸劇が始まる。
怯えた様子でユカリは後ずさりして、物陰から現れる。ちらりと衛兵の方を見ると、まだ持ち場を離れるべきか迷っているようだった。ユカリは無様に尻もちをついて見せる。
「今だよグリュエー。私を引きずるように吹いて」
「任された」
さらに物陰から離れるようにユカリは転がされる。
「逆方向!」
再び風が吹き、ユカリは悲鳴をあげながら転がり、物陰へと隠れた。一人くらい助けに動いてもいいのではないか、と思ったが近づいてくる足音は聞こえない。駄目押しの企てを実行する。フロウの姿に変身しようかとも思ったが、こんな作戦にフロウの姿を使うのは申し訳なく思い、【鼠の鳴き声の真似】を試すことにした。
瞬く間に体が縮み、尻尾が生える。魔法少女の衣装は毛皮に変わり、鼻づらが長く伸びた。しかしユカリの想像していた姿とは大きく違った。普通の鼠に比べればかなり大きいが、せいぜい大型犬の大きさだ。鼠には違いないが、二本の足で立っている。体型は鼠らしくずんぐりとしているが、両手足はすらっと伸びていてどうにも不釣り合いだ。しかしそれらの手足は体長よりも長い黄金の毛に隠されていて、一見すると柄を外した箒のようだった。
果たしてこの姿に恐れおののくだろうか、という疑問はあったがユカリは作戦を続行した。いかにも今、少女を食べてきました、という風を装って物陰から現れる。
二人の衛兵は黄金の鼠王に目を奪われていた。逃げるつもりも戦うつもりもないようで、微動だにしない。ただただ黄金の鼠王に見蕩れていた。一体何に目を奪われているのか、とユカリはでっぷりした毛深い腹を見るが自分ではさっぱり分からなかった。ユカリは調子に乗ってくるりと回り、すらりとした手足を揺らめかせるように舞った。すると衛兵たちもそれに合わせて体をふらつかせるのだった。この姿には何か人を惹きつける魔力があるらしい。
反対側から近づいてきたパディアは少しの苦労もなく衛兵を締め上げる。ビゼは身を隠す呪術を辺りにかけつつ、門扉の解呪に取り掛かる。ユカリも門扉の所に戻るが、パディアは目を合わせてくれない。
「いつまで変身してるの」とパディアに指摘されてユカリは元の姿に戻る。
「ごめんなさい。それにしても鼠の王様ってすごいんですね」
「太陽神が降臨したのかと思ったわ」というパディアの言葉にユカリはくすくすと笑った。
しかしそのパディアの表情から冗談を言ったわけではないことが分かった。
ビゼは侵入するのに邪魔にならないよういくつかの魔法を難なく取り払っていた。最後に門を撫でると人一人分通れるだけの隙間が一人でに開く。