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帝都陰陽局が管理する特務官舎。
それは、高い赤煉瓦の塀に囲まれ
鬱蒼とした木々の奥に佇む、大正浪漫を象徴するような和洋折衷の屋敷だった。
ステンドグラスを嵌め込んだ洋館と、重厚な瓦屋根の和屋敷が不規則に連結されたその姿は
一見すれば高貴な貴族の邸宅のようにも見える。
けれど、私にとっては、美しく装飾された「豪華な牢獄」でしかなかった。
「今日からここで、俺の直接監視下に入る。許可のない外出は一切許さない。……いいな」
案内された一室で、界人さんは漆黒のマントを乱暴に脱ぎ捨てながら、氷のような声で言い放った。
黒い軍服に身を包んだ彼は、ガス灯の光さえ届かない官舎の薄暗い廊下で見ると
より一層近寄りがたく、人ならざる空気を纏っている。
私は、おじいちゃんが持たせてくれた数少ない荷物を抱え
慣れない袴の裾をぎゅっと握りしめて、遠ざかっていく彼の背中を見つめることしかできなかった。
監視、という名の共同生活。
広い屋敷の鴨居や扉には、至る所に墨書きの呪符が貼られ
私の内側に眠る「あやかしの力」とやらを抑え込んでいるのだという。
けれど、皮肉なことだった。
夜、静まり返った屋敷で彼と二人きりで過ごしていると
恐怖よりも、心根を浸食するような奇妙な「安らぎ」を感じてしまう自分に戸惑っていた。
◆◇◆◇
早朝
彼が無造作に食卓へ差し出す、縁が少し焦げたトースト。
夜、薄暗い廊下ですれ違う瞬間にふわりと漂う
白檀の香りと、彼が嗜む煙草の苦い残り香。
その断片的な五感の刺激が、私の知らないはずの記憶……
雪の降る夜や、誰かに抱きしめられたような体温の残滓を
静かに、けれど激しく揺さぶり続けていた。
そんな、硝子細工のように危うい静寂が破られたのは、同居を始めて三日目の昼下がりのことだった。
───ズズズゥゥゥンッ!!
腹の底を突き上げるような地響きと共に、官舎の窓ガラスがガタガタと悲鳴を上げた。
慌てて窓の外を見れば、帝都の中心部
銀座の煉瓦街の方向から、天を突くような巨大な黒煙が立ち上るのが見えた。
「……始まったか」
いつの間にか部屋に飛び込んできた界人さんの顔は、戦鬼のような鋭さに満ちていた。
彼は手際よく軍刀を帯に差し、戸惑う私の二の腕を、痛いほどの強さで掴んだ。
「界人さん……っ、今の音、なんですか?何が起きて…」
「大規模な霊的異変だ。……行くぞ、雲雀」
「え、私も?」
「お前をこの屋敷に一人にしておくわけにはいかない。何が起きるか分からんからな」
彼に引きずられるようにして表へ出ると、帝都は一瞬にして地獄へと変貌していた。
近代化の象徴である蒸気機関の馬車は無惨に横転し
地中のガス管が破裂したのか、至る所から紅蓮の火の手が上がっている。
逃げ惑う群衆。阿鼻叫喚の図。
そしてその混乱の影で、実体を持たない黒い煤煙のような「あやかし」たちが
人々の絶望と悲鳴を喰らって、どろどろと肥大化していた。
「非戦闘員は直ちに避難しろ!」
界人さんが怒号を上げ、迷いなく軍刀を抜き放つ。
彼の切っ先から放たれる青い霊力の刃が、黒い霧を鮮やかに切り裂いていく。
けれど、爆発による火の回りが早すぎた。
崩れかけた赤レンガの建物の瓦礫の下。
逃げ遅れた小さな女の子が、覆い被さるような炎を前に泣き叫んでいるのが見えた。
「あ、危ない……っ!」
爆風に煽られた巨大な火柱が、小さな命を丸ごと呑み込もうとした、その瞬間だった。
私の視界が、パッと真っ白に染まった。
心臓の、一番深い奥底で、あの時計の音が木霊する。
ガチリ。
気づけば、私は叫んでいた。
助けたい。
その一心でがむしゃらに伸ばした右手の先から、獣の咆哮のような勢いで猛烈な「炎」が噴き出した。
けれど、それは周囲を焼き尽くすための凶悪な火ではない。
爆発の業火を、まるで食い止めるように飲み込み
女の子を繭のように優しく、温かく包み込んで守り──
そして、街を汚す黒い霧を一瞬で蒸発させる、浄化の緋色だった。
「……っ、雲雀!?」
界人さんの驚愕の声が、爆音の中で響いた。
私の赤い髪は、先ほどまでの熱量を失わず、天に向かってゆらゆらと炎のように揺らめいている。
人々を助けたはずの、眩い力。
けれど、炎が収まった後に向けられた周囲の視線は、「救世主」に送られるものではなかった。
恐ろしいもの、理解を超えた異形のものを見る──
紛れもない「化け物」への蔑視と、剥き出しの恐怖。
「化け物だ……!見ろ、あの女が火を操っているぞ!」
「あやかしだ!あの赤い髪の女が、帝都を焼いているんだ!」
救われたはずの野次馬たちの怒号が、冷たい礫となって私に突き刺さる。
私は、すすけて煤まみれになった自分の手のひらを見つめて震えた。
私は、ただ……誰かを助けたかっただけなのに。
界人さんが、一歩、また一歩と、瓦礫を踏み締めて私に歩み寄る。
その右手には、霊力を帯びて青白く光る、抜かれたままの軍刀が握られていた。
彼の任務は「あやかし」を狩り、帝都の平穏を守ること。
今の私は、群衆の目に映る通り、紛れもなくその討伐対象だ。
「……界人、さん……」
私は震える声で彼の名を呼んだ。
彼は無表情を貫いたまま
「…………下がれ」
絞り出すような、掠れた声が彼の唇から漏れた。
「下がるんだ、雲雀。……これ以上、誰の前でもその力を使うな」
彼は、私を「化け物」として今すぐ切り捨てることもできず
かといって「人間」として皆の前で抱きしめることもできない。
私を射抜く紫苑の瞳の奥にあるのは、引き裂かれそうなほどの激しい葛藤と
そして隠しきれないほどに深い、絶望的なまでの哀しみだった。
黒煙に包まれ、太陽さえ見えない帝都の空。
私たちの不条理な運命を嘲笑うように
再びあの時計の刻む音が、どこからともなく重く、低く響いてきた。
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