隼士は大学時代からずっと一人暮らしで、家族は年に数度、近くに来た時に寄るぐらいだ。故に、隼士の部屋から必要な物を持ってきてくれと頼んでも困ってしまうだろう。その点、ほぼ毎日にように通っていた朝陽は、どこに何があるのか完璧に理解している。これ以上の適任者はいないはずだ。
ただ、やはり今や他人同然の男が部屋を漁ることに抵抗を覚えるらしく、隼士は朝陽の提案に眉間に皺を寄せている。
これはまずい。もしかしたら「お前には信用がない」と断られるかもしれない状況に危機感を覚えた朝陽は、咄嗟に口を開いた。
「――――玄関には白い犬の置物」
自分には、是が非でもこの役目を任されなければいけない理由がある。だから、ここで諦めるわけにはいかない。
「廊下を歩いてすぐ右にあるのはバスルームで、中には黄色いアヒルが鎮座してる。あれ、風呂に浮かべてピヨピヨ鳴らすの好きだよな。で、リビングにはイタリア製の地球儀と、裁判に勝てるようにって買った、花言葉が『勝利』のスマイラックスがあって、あとエロ本は寝室の本棚の上から――――」
「うわーー!」
突然、目の前で大声を上げた隼士が、酷く慌てた様子で言葉を遮ってくる。
「も、もういいっ。分かった、大親友様とやらに全部任すっ! だからそれ以上言うなっ」
隼士が急に首を縦に振ったのは、次々に部屋の様子を並べる朝陽を信用したのか、はたまたエッチな本の在処を暴露されたくなかったのか。それは一目瞭然だろう。
「んっふふー、最初からそう言ってくれればいいのにぃ。それじゃ早速行ってくるから、部屋の鍵貸して」
「もう、鍵でも何でも勝手に持っていけ……」
「はーい、では借りていきまーす。じゃ光太さん、この場はお任せしますね」
隼士から鍵を受け取った朝陽が、コートを持って外に出る準備を始める。
「おう、行ってこい。大親友様を忘れた薄情者の締め上げは、引き続きやっとくから」
「わぉ、頼もしい。お願いしまーす!」
出口の扉に手をかけてからもう一度振り向き、飛び切りの笑顔を向けてやる。と、隼士は辟易とした表情で「早く行けっ」とぞんざいに手を振ってよこした。
その様相に笑い声を上げながら、病室の外へと出る。
しかし――――。
「…………ふぅ」
病室の扉が完全に閉まったところで、朝陽は一気に表情の温度下げた。そして静かに長い息を吐きながら天を仰ぐ。
自分は、ちゃんと友人の顔をできていただろうか。思い出そうとするが、正直、いっぱいいっぱいで自信がない。
だがそれでも一先ず、朝陽の計画は順調に進み始めたと考えてもいいだろう。
あとはどうやって二人の過去を隠し通すかだが、幸運なことに家族や光太を含めた周囲の人間達は、二人の関係を知らない。つまり今後は隼士が記憶を取り戻さないことを願いつつ、友人として時を過ごすだけだ。
ただその前に一つだけ、朝陽にはやっておかなければならない大きな仕事がある。
そっとズボンのポケットから、鍵を一つ取り出す。と、先程隼士から預かった物と全く同じ形の鍵が掌の上で並んだ。
片方は隼士からプレゼントされた合鍵だ。
以前、就職を機に同棲したいと言われた時、家に仕事を持ち帰るほど忙しい隼士の邪魔をしたくないと断ったら、妥協案としてこの鍵を渡された。それから朝陽が隼士の部屋に通うという生活になったのだが、それも今日で終わる。この合い鍵を使う日は二度と来ない。
そう思うと少し寂しさが込み上げてきたが、それでも朝陽は決意を実行するために――――そう、隼士の部屋から恋人である自分の痕跡を全て消すために、静かに歩き出した。
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