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「じゃあ不破さんはこっちの部屋で寝んでくださいね。――私はあっちで寝ます。何かあったらここの襖をノックしてください。即行で目覚めますので! く、くれぐれも扉を開けて起こそうだなんて思われないで下さいねっ?」
「はい。そちらの部屋は立ち入り禁止ですもんね?」
日和美は不破の言葉にコクコクと首が外れそうなくらい激しく頷いた。
結婚しているわけでも、ましてやお付き合いしているわけでもない男女なのだ。
少女漫画や日和美の大好きなTLでは間違いなく嬉し恥ずかし萌えキュンドキドキエッチなシチュエーションになる同居生活初夜だけど、実際は別室に各々が引っ込むと言う何とも味気ないもので。
(い、いやっ。不破さん、夜這いに来てくれたりしないかな?♥とか思ってやしないんだからねっ!?)
一人重ぉーい布団の中。
(ああんっ。不破さんそんなっ、ダメっ♥)
だなんて、布団の重みを相手に良からぬ妄想をしているだなんて、扉の向こうの彼には口が裂けても言えないではないか。
それに――。
現実問題として、この部屋に不破が入ってきたら絶対まずいのだ。
結局リビングの壁から取り外した萌風もふ先生の『ときマカ』(正式名称『ときめきハプニング★ 午後のティータイムで王子様に見初められて身ごもりました⁉︎ 強引な茶葉の君はカラフルなマカロンでうぶな姫を魅了する』。←長いっ!)の壁掛け時計だって結局、隠すのがもったいなくて、枕元の壁にこっそりちゃっかり立てかけてあったりするし。
不破がもしも日和美の言いつけを破って、眠っている日和美に近付いたなら、必然的に目に入ること間違いなし!
加えて布の掛かっていない本棚だって全面的に御開帳♪のままなのだ。
健康的な成人女性の桃色な乙女心としては大いに襲いに来てほしいところだけれど、それをされると困るだなんて、一体どんな焦らしプレイだろう!
「はぁー……」
大きく溜め息をついて、密かに耳を澄ませてみたり。
安普請のアパートだ。薄い壁一枚で隔てられているだけなのに、聞き耳を立ててみても衣擦れの音ひとつしてこない。
(不破さんっ。もしかして重いお布団に押しつぶされて窒息してたりします!?)
考えてみればどこぞの王族さまや貴族さまや御曹司さまが、綿の重い掛け布団なんて使ったことあるわけがないではないか!
そう思ったら不破が圧死しているのではないかと気が気じゃなくなってきて。
日和美は薄暗がりの中、ソワソワと目が冴えて眠れなくなってしまった。
(えっと……私、今日はいつになく可愛い寝間着……だよ、ね?)
不破の服を買うついで。
いつもは高校生の頃に愛用していた学校指定の体操服やジャージ。
それから外出時に着用するには忍びないほどに着古した、首筋のだらりと伸びたトレーナーやTシャツ。
あとは敢えて買っておいた男性用のダボッとした大きめのトップスに、下は下着のまま……などでダラリと過ごしている日和美だ。
しかし不破と住むにあたって、さすがにそれではまずい!と『ファッションセンターしまむた』で女子力の高い部屋着を数着新調しておいたのだ。
今着ているのだって、アメリカ発祥の大人気のたれ耳わんこキャラ、ミックスナッツ先生の『ヌスーピー』柄の薄ピンクの七分袖チュニックに、白い柔らか素材の綿パンがセットになった、何とも可愛いルームウェアだ。
襟元もビヨビヨに伸びたりしていないし、毛玉のひとつだって出来てやしないピカピカのおニュー。
しかも!
下もショーツむき出しのままじゃなくて、何と左裾に、ヌスーピーの飼い主少年チャーキー・ブラウニのワンポイント入りのハーフパンツまで穿いちゃってるんですよ、今の私!
ちょっとその先のゴミステーションへのゴミ出し程度なら、このまま行けてしまいます!(ブラをすればっ)
すごくないですか⁉︎
……などと、同年代の女の子たちが聞いたなら『ん? 当たり前のことじゃない?』と口を揃えて言いそうなことを、自信の糧にした日和美だ。
(だから大丈夫っ)
日和美は重たい掛け布団をガバリとはぐって起き上がると、シーリングライトの引き紐を素早く三回引っ張って、豆球の薄赤い仄かな明かりを灯した。
そうして一旦動きを止めると、呼吸も控えめにして再度隣の部屋の音に聞き耳を立てる。
(……やっぱり静か)
今ガチャガチャ自分が動き回ったことで、衣擦れの音などがしてきたらそのまま待機しようと思っていたけれど、やっぱり隣室は静まり返ったまま。
(王子、今助けます!)
日和美の中では、すでに不破が布団に押しつぶされて苦しんでいる構図が出来上がってしまっている。
グッと拳を握って決意を固めると、日和美はリビングとの境目の襖の引手にグッと手を掛けた。
***
『し、失礼しまぁ~す』
我が家のリビングなのに、不破がいると思うとどうあったって緊張のあまり遠慮がちになってしまう。
日和美は小さな声で、まるでよそのお宅を訪問した〝気のいい泥棒〟のような声をかけると、そろりそろりと足音を忍ばせて不破が眠る布団に近付いた。
不破はテレビ前に置かれていたソファやローテーブルを窓際に寄せるようにして布団を敷いていたから、襖を開けたら結構すぐそこ――目の前にいて。
まだ暗闇に慣れ切らない日和美の目に、テレビ下のDVDデッキの時計が光るデジタル表示や、テレビの主電源のスタンバイの明かり、カーテンの隙間から差し込む月光が力を貸してくれる。
自分も少し前まで暗がりにいたこともあって、割とすぐに夜目に慣れてきた日和美だ。
真っ暗闇じゃなく、あちこちにほんのりと明かりを放つものがあったのも幸いして。すぐさま布団に入った不破の様子が割とハッキリ認識出来るようになった。
(はわわわ~。不破譜和さん、めちゃ綺麗)
ぱっちりキラキラなお星さまが散りばめられたみたいな目が開いているところも確かに素敵だけれど、こうして目を閉じていると、まつ毛が長いのが際立つではないか。
明度なんてほとんどない明かりの下でさえ、頬にまつ毛から落ちる影が見える気がして――。
彼の枕元にあるDVDデッキの時計表示の緑がかった明かりに照らされているからだろうか。
ほんのりと青白く見える不破の肌はまるでビスクドールみたいに現実味がなくて。
作り物みたいにすべすべの肌に、日和美は思わず明かりに引き寄せられる蛾みたいにおびき寄せられてしまう。
布団わきにトスン……とひざをつくと、彼へ覆いかぶさるみたいにしてまじまじとその顔を見詰めた。
(不破さん、ちゃんと息してる?)
こうして眺める限りでは苦しんでいるようには見えない。
でも余りにもお行儀よく寝そべっているから、逆に息をしているように見えなくて、日和美は一人ソワソワしてしまう。
(か、確認のためっ)
異性の寝間に忍び込んでイケナイことをしているというやましさを払拭するように、言い訳がましく心の中でそうつぶやくと、そぉっと彼の口元に耳を近付けて吐息を確認しようとして――。
「ん……」
途端不破が眉根を寄せて小さく喘ぐから。
ドッキィーーーンッ!
耳を不破の口元に持っていっていたこともあって、ふぅっと耳朶を掠めた不破の吐息と色っぽい声に、日和美は危うく心臓が口から飛び出してしまいそうになる。
ただ単に、やたら近付き過ぎてしまったせいで、日和美の髪の毛が不破の鼻先をくすぐったのが原因なのだけれど、日和美にはそんなの分からなくてただただ後ろめたさに苛まれて冷や汗タラタラだ。
(あ、いや、喘いだって定義しちゃうのは語弊がありますかねっ!?)
それでは、まるで日和美が色っぽいことを仕掛けたみたいではないか。
実際には、日和美はただ不破の整い過ぎた寝顔を間近から舐めるように視姦――じゃなくて、凝視して生存確認をしようとしただけ。
何も後ろめたいことなどしていない!……はず、なのだ……ごにょごにょ。
不破が吐息を漏らしたことでビクッと肩を跳ねさせた日和美だったけれど、期せずして彼の生存確認は果たせたことになる。
(不破さん、重たい布団につぶされてなくて良かった)
ホッとしたのと同時、いきなりすぐそばから伸びてきた不破の手が、日和美の後頭部を捕まえてそのままグイッと頭を引き寄せられたから堪らない。
びっくり仰天して「ひきゃっ」と、ヒキガエルがつぶれたみたいな変な声が漏れてしまう。
「もぉ、今日も一緒に寝たいの? キミには別に寝床、ちゃんと準備してあるのに……。ルティは本当困った子だね」
よしよし、とそのまま後頭部を撫で撫でされて、頭を不破の胸元へ乗っけられて。
「ひゃわっ」
あっという間にもう一方の手でしっかり身体もホールドされて、不破の腕の中に閉じ込められてしまった。
(かっ、神様っ。これはっ。これは一体どういう状況なのですかーっ!?)
不破は、現実離れした芸能人みたいな綺麗な顔立ちをしているから華奢なのかと思いきや、全然そんなことはないのだと思い知らされている真っ最中の日和美だ。
要するに――。
(ぬっ、抜け出せないっ!)
そんなに力を込めて抱き締められているようには思えないのに、一生懸命力を込めて逃げようとしても全然ダメで。
そればかりか、彼の胸板が思いのほか厚いことや、二の腕が殊のほか筋肉質なことを思い知らされてドギマギさせられてしまう。
(ふ、不破さん、男の人だっ!)
そんなの最初から分かり切っていたはずなのに、自覚したらやけに恥ずかしくなってしまう。
(ごっ、ごめんなさいっ。もう夜這いなんてしませんからぁ~)
当初の目的は不破の生存確認だったはずなのに、心の中。
何故か日和美は自分の罪状を不埒なものだと認めてしまっていた。
息を吸い込むたびに、不破の甘い香りが肺を満たしてどんどん日和美を恥ずかしい気持ちにしていってしまう。
(なっ、何でこんな甘やかないい匂いさせてるんですかっ。ボディソープもシャンプーもコンディショナーも、みんな私と同じはずですよね!?)
パニックの余り、不破が口走った「ルティ」についての言及をすっかり忘れてしまっている日和美だ。
自分は今、そのルティとやらの代わりに添い寝を余儀なくされていると言うのに――。
きっとこの場に祖母がいたならば「そこ! そこを一番に追及せんと!」と鼻息を荒くされていたことだろう。
不破の腕の中。
一人もじもじソワソワしていたら、不破に「しーっ」と大人しくするよう宥められて、髪の毛をくしゃくしゃっと掻き乱すみたいに撫でまわされる。
これではまるで愛犬か何かの扱いではないか――。
日和美は動物を飼ったことがないので本当の所はよくは分からないけれど、北国で沢山の動物と一緒に暮らす『動物キングダム』と言う施設を作っている〝ゲンゴロウさん〟と呼ばれるおじさんの出る動物番組は結構好きで、テレビでよく観ている。
不破の日和美への接し方は、その中でゲンゴロウさんが大型犬などを撫でまわす仕草にそっくりだと感じてしまった。
(私、ペット扱いですかね⁉︎)
とすると、さっき不破が口走った〝ルティ〟とやらもそんな感じなのかもしれないな、と思って。