(いやいやいや。そうと見せかけて……実は不破さんにそっくりなお人形さんみたいな可愛い可愛い妹さんとかっ!? はたまためっちゃ年下の許嫁と言う線も捨てきれないではないですかっ)
日和美のような庶民にはあまり関係のない話だけれど、高貴な方々の間にはまだまだ色々ありそうな気がする。
政治的な裏があって仕組まれた婚姻相手とか……家同士が決めた許嫁とか……生まれた瞬間から一緒になることを定められた結婚前提のどこぞの姫君様とか……。
(どれも……ありそう!)
とどのつまり、全部いまTLで流行りの政略結婚モノの設定なのだけれど、日和美の中では全て違うものとして列挙されていた。
記憶を失っているはずの不破の口から、その手掛かりになりそうな記憶の断片みたいな言葉が出てきたことよりも、もしかしたら彼にはどなたか決まったお相手がいらっしゃるのかも知れない、と思う方が胸をチクチクと刺してきてしんどいと思ってしまった日和美だ。
(不破さん……)
彼のことをそう呼べるのも後ちょっとなのかも知れない。
日和美はツンと痛くなった鼻をシュン、とすすり上げると、
(だったら今だけ)
そう思って不破の胸に頬をすり寄せた。
***
『日和美さん、好きです。愛しています』
『私もです! 大好きです、不破さん!』
出会ってたった一日。
布団の落下から始まった稀有な偶然が引き合わせた二人は、恋に落ちるのも急転直下。
出会った翌日には二人同時にお互いに対する烈火ような想いに気が付いて、恋の炎は瞬く間に燃え広がった。
そうして今まさに。
一面の花畑の中で二人。嘘偽らざる気持ちを確かめ合ったばかり。
彼はやはり某国の王子さまで、国には親が決めた隣国の姫君様な許嫁がいて……結婚しなかったら戦争になってしまうかも知れないって。
『こんなに愛し合っているのに……。一緒にはなれないんですね、私たち』
うわーん!
日和美は鼻水と涙でぐしゃぐしゃに泣き濡れながら、ヒシッと不破譜和にしがみ付いた。
「――……なみさん? ひなみさん。日和美さんっ!?」
そんな日和美を、不破が何度も何度も名前を呼んで揺さぶって――。
(あーん。そんなにされたら気持ち悪くなってしまいますぅー)
「お願い……、もっと優しく……して……?」
日和美は頭がくらくらするほどの酩酊感に無意識にそうつぶやいて。自分の声の遠さに何となく『ん?』と思った。
綺麗な色とりどりの花畑の中。クリアだったはずの視界がぼんやりぼやけて薄暗くて狭い部屋が徐々にクッキリと浮き上がってくる。
「ふぇ……?」
どういうことだろう?と混乱しまくりの日和美の目の前に、泣きそうな顔で彼女を覗き込む不破がいた。
「不破……さ?」
「すっ、すみませんっ! 僕……っ、ひょっとして寝ぼけて日和美さんに何かしましたかっ!?」
ギュッと両肩を掴まれて、グイッと近付く超絶美形に、日和美はクラリと酔い痴れそうになる。
だけど掴まれた腕の力強さに、思わず眉根を寄せて。
「不破さ、痛ぃ……です」
「すみませんっ」
ぼんやりした頭で不破に痛みを訴えたら、慌てたように力を緩められた。
腕を緩めてくれた上でなおも心配そうに日和美の顔を見つめてくる不破に、日和美はソワソワと落ち着かない。
「あ、あの……実は……」
そう切り出してはみたものの、どう続けたらいいものか戸惑ってしまう。
正直に、重たい布団に不破が押しつぶされていないか心配になって彼の生存確認をしに来て、寝ぼけた不破にガシッと捕獲されてしまったと話すのが無難だろうか。
(そっ、その場合は必要なさそうな(?)彼の顔に見惚れて近付き過ぎたから、というのは伏せておいても平気かな?)
でも――。
そうすると自然と〝ルティ〟のくだりも話さねばならない気がして、日和美はグッと言葉に詰まってしまった。
きっと不破にとって、ルティのことは記憶への架け橋となる重要な手掛かりに違いない。
彼のことを思えば、今すぐにでも『その名に心当たりはありませんか?』と聞いてあげるべきなのだけれど。
(もし不破さんに記憶が戻ったら……私との同居はなくなる……んだよ、ね?)
そう思うと、どうにもなかなか話すことが出来ない日和美だ。
それに――。
病院で、記憶が戻ると同時に記憶喪失の間の出来事を忘れてしまう可能性があることだって示唆されている。
(私、不破さんに忘れられたくないっ!)
でも、こうして迷っている間にも、不破は当然日和美の言葉を待っているわけで。
「実は……?」
とっても間近。不安そうな顔で超絶美しい顔にじっと見詰められて先を促された日和美は、一生懸命頭をフル回転させた。
「わ、私っ、喉が渇いてキッチンにお茶を飲みに行ったんです。そしたら……不破さんが苦しそうにうなされてらしたので……それで……」
口から出まかせ。出だしからして出鱈目なことを並べ立ててみたのにアラ不思議。話し始めてみたら、自分でもびっくりするくらいスラスラと架空の理由が浮かんできた日和美だ。
「あんまりにもお辛そうだったので起こした方がいいかな?って貴方を揺すってみたんです。そしたら寝ぼけた不破さんにどなたかと勘違いされてギュッとされて……。頑張ってみたんですけど抜け出せなかったので諦めて腕が緩むのを待っていたら……いつの間にか一緒に眠り込んじゃってましたっ。……驚かせてしまって本当にごめんなさい!」
テヘペロ。
口の端に小さく舌を出して、なるべくライトな感じお愛想笑いをしながら告げてみた。
不破に今の話を重く受け止められたくなくて努めて軽い感じを装ってみたくせに、ルティのことを完全に省いて説明できなかったのは、きっと心の端っこに彼女(?)のことが棘のように引っかかっていたからだろう。
(うー、私のバカ!)
そう思うのと同時、日和美は
(だけど……ひょっとして私、萌風もふ先生みたいな小説家になれちゃうんじゃない?)
とも思ってしまった。
全部を虚偽で飾り立てると真実味がなくなる。
嘘をつくときはほんのちょっとだけ事実を織り交ぜた方がより効果的。
そんなことをネットか何かで読んだことがある日和美だ。
その論を信じるならば、いま自分が告げた言葉はパーフェクトなんじゃないだろうか。
なんて心の中。一人密かに自画自賛をしていたら、不破が落ち着かない様子で瞳を揺らせて。
「そ、それで……僕は……その、貴女に。えっと……」
珍しく煮え切らない様子の不破に日和美がキョトンとしたら、
「い、いやらしいことをしたりはしませんでしたかっ?」
耳まで真っ赤にして不破がそう問いかけてきた。
日和美は余りに初心な不破の様子に
「ま、まさかっ。いっそ私の方が襲ってしまいたくてウズウズしちゃったくらいですっ!」
思わず、要らない本音をポロリとこぼしてしまって。
(あーんっ。私のバカッ!)
「えっ⁉︎」と驚愕の声を漏らす不破を前に、今度は日和美が赤面する番だった。
***
「あー、えっと……。そうだっ! ちゃ」
「ちゃ?」
「ちゃ……ちゃっちゃと朝食にしちゃいましょう! きっと今日もピーカンなお天気ですっ。いつまでも布団にいちゃダメです。お日様の光を浴びて元気に目覚めましょう!」
会話している時点でとっくに目なんて覚めているのだが。
ぎくしゃくとした足取りで不破から離れると、日和美は不自然に視線を逸らしながらそう告げてシャーッ!とリビングのカーテンを開ける。
「あ……」
そうして目にした窓外の景色は、日和美の言葉に反して数メートル先も煙ってしまうような土砂降りの悪天候だった。
「……雨ですね」
不破がポツンとつぶやいたのを華麗に(?)スルーして、日和美は言葉を紡ぐ。
「えっと……きょ、今日はあれです。写真! い、一緒に写真を撮って……現像しちゃいましょう!」
昨日は結局何だかんだ寄り道をし過ぎて写真を撮るまで話が至らなかった二人だ。
幸い家にはプリンターもパソコンもある。
最近のスマートフォンはカメラ機能も結構いい。
二人で写真を撮って印刷して……その写真を不破に渡せば万事OKだ。
(もちろん、私もパスケースに忍ばせて……。ふふふ)
不破の写真が手に入ると思ったら自然表情筋が緩んでニマニマしてしまった日和美だったけれど、不破が病院で話してくれたことを忘れたわけではない。
いやむしろ。
ルティの一件があってから、その必要性を一層強く感じてしまったくらいなのだ。
不破の記憶が戻ってくるのはそれほど遠い未来ではない気がして、すごく不安で。
忘れられても一緒にいたことを証明できる何かが欲しいと日和美が熱望してしまったのも仕方ないことだろう。
***
「不破さん、朝食はパンとご飯どっちがお好きですか?」
何となくビジュアル的にはパンなイメージの不破だけれど、丸一日一緒にいてみて分かったことがある。
(多分不破さんは……)
「どちらでも大丈夫なんですが、何となくご飯がしっくりくる気がします」
(やっぱり)
不破の答えを聞くなり心の中でそう思ってしまった日和美だ。
不破は案外日本的なものを好む傾向がある。
昨日だってランチに焼き魚定食を選んでいたし、夕飯に肉じゃがを出したら喜んでくれた。
日和美は祖母の教えで休みの日におかずを作っておいて、冷凍庫に常備菜としてストックするようにしている。
父子家庭で殆ど祖父母に育てられた日和美にとって、それは一人暮らしを始めてからも変わらない習慣で。
「じゃあ、ひじきの煮物とほうれんそうのお浸し、それからお味噌汁としょうが焼きを用意しますね」
冷凍庫の中から、小分けにしたひじきの煮物を二回分の量取り出して電子レンジに入れながらリビングの不破を振り返った日和美は、目を真ん丸にして動きを止めた。
不破が、リビングを占拠していた布団を畳んでいるところだったからだ。
(うわっ。……めっちゃ違和感っ)
と思うものの、それが逆に不破らしいとも思えて。
日和美が昨日不破に買ったスウェット上下のラフな感じも、違和感に拍車を掛けている。
不破は天蓋付の大きなベッドで、高級ふかふか羽毛布団にくるまれて真っ裸で寝る方がしっくりくる気さえしてしまった。
だが実際の不破。顔はどう見ても春風みたいなぽやんとした印象の王子様なのに、やることは結構庶民的なのだ。
それは努力してやっているようには見えなくて……どう考えても〝やりつけている〟身に染みている感のある所作だから、日和美は不破の人物像がますます掴めなくなってしまう。
(不破さんって何者なんだろう)
気になるけれど知りたくない。
複雑な乙女心だ。
そんなことを考えていたら、味噌汁用のヤカンを火にかけながらも、小さく吐息がもれてしまった日和美だ。
冷蔵庫には忙しい時を見越して、あらかじめかつお節と乾燥わかめ、刻みネギ、お麩が味噌と一緒に丸められた味噌玉がラップに包んでいくつかストックしてある。
汁椀に入れてお湯を注いでかきまぜれば一人分のお味噌汁がすぐに出来上がる優れものだ。
湯がいて冷凍しておいたほうれん草は、小鉢に入れたら調度良いぐらいの量ずつに分けてこちらもラップにくるんである。
それを二包み取り出すと、温まったひじきの煮物と入れ替えるように電子レンジへ放り込んだ。
その間に玉ねぎのスライスをフライパンで軽くしんなりする程度に炒めてから、そこへ一昨日しょうが焼きのタレに漬けこんでおいた豚肉を取り出して投入して。
ジューと言う小気味よい音をさせながらしょうが焼きに火を通していたら、電子レンジが仕上がりを知らせてきた。
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