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中身は惚れやすくて恋愛脳な私だけど、スーツを着て仕事用の眼鏡をかけ、ひとたび出社すれば無表情の仕事女へと変身する。
なんでこうなったかというと、説明すると長くなるので、ただ一言。
拗らせた。
私が初頭効果とやらをもう少し真剣に考えていたらこうなっていなかった(と、思う)。 きっと今頃、子どもの1人くらい抱えていた事だろう。
忘れもしない。
新人研修の朝に寝坊してコンタクトが破れて、さらにメガネまで忘れるものだから研修中終始目付きを鋭くしていた。
それがあまりに怖かったのか、同僚から近寄られることも無く、人見知りな性格も相まった、結果。
「あ、穂波さんだ」
「お前クールビューティーな女タイプだから良いんじゃね?話しかけたら?」
「確かに好きだけど、極めすぎて怖いし無表情で無理。常に見下されてそうじゃん」
……今の私が完成。
「穂波さんって笑うことあんのかな」
「見たことない、ないんじゃね?」
笑いますよ、人間ですから。
カタカタとキーボードを打ち付けながら、心の奥底で返事をする。
「酒飲んでもあんなんかな」
「ていうか酔わないんじゃね?」
酔いますよ。なんなら今も二日酔いが残ってますよ。
「誘ってみろよ」
「無理無理!そんな勇気ねぇよ〜」
事務課を立ち去る男性社員の後ろ姿に、 気になるなら、誘おうよ!と、 言えない言葉を胸の奥で飲み込む。
イメージを崩して大変心苦しいけれど、中身はちょっぴりミーハーで常に恋愛脳のごく一般的な一女子ですよ?
私もランチタイムには同僚と気軽に近場のカフェへランチに出掛けたいし、仕事終わりには合コンして軽率にお持ち帰りされたい人生だった。
地元の友達も半数以上は結婚した。唯一の親友は世界中を飛び回る写真家。
こんな情けない愚痴、この六年間いっちゃん以外に誰にも言えなかったのに、まさか常葉くんに知られるとはなぁ。
だけど、あの時の心の棘が少しだけ軽くなったのも否めない事実。
ふ、と、緩みそうになった頬に気取られていると「お疲れ様です」よく聞く声がオフィス内に響いて胸がびくりと震える。
「お疲れ様です。本間さん、どうしたんですか〜?」
「橘ちゃんに会いに〜。て、来週、企画会議あるから会議室使いたくて」
「了解です、書類出しますね〜」
「穂波さん、これ」
彼は私の背後から、ある書類を差し出した。
顔を見ることも無く受け取れば「よろしく〜」と普段通りの声を背中で聞いた。
会議室の使用申請の書類に目を通すと、やたらと主張の激しい付箋はすぐに私を捉えた。
“いつもの場所で”
飽きずに鳴ってしまう胸が悔しくて、目の奥が熱くなった。
ランチタイムも社内に友達と呼べる存在が居ない私は度々社食にお世話になっている。
社内にはお洒落なカフェテリアもあるけれど、値段と量的には断然社食。
もちろん若い女性はあまり見かけない。中堅社員やら男性社員が多い中、女一人なのは私くらいだけど気にしていたのは1年目の初めのひと月。
このままだとお局コースまっしぐら。あぁどうしよう、結婚できるのかな私。
二日酔いも幸い午前中に完全に抜けて、カツ丼をちびちびと口に運んでいると
「常葉くん、もう行くの?」
と、テレビの音声に紛れて届く、珍しく若い女性の声。
しかもそれは聞き捨てならないワードなので思わず振り向いた。
「ん、」と、気だるげに食器の乗ったトレイ片手の彼は、朝別れたばかりのグレーのスーツ姿。
常葉くんが社食を利用してるの、珍しいな。
「どこ行くの?」
「内緒。またね」
爽やかな甘い笑顔を何人かいる女性へ向けると颯爽と行ってしまったので、再び空になりそうな器と向き合う。
常葉くんこそ、入社以来悪い噂も無ければ成績も優秀で完璧人間だと思う。性格は少々難ありだけど、顔面でカバー出来てるよ。
あんな人と、一緒に過ごしたんだ。
……そして今からは一緒に過ごそうとしているんだ。
「常葉より俺の方が良くね?あいつ、いつも捕まんねーじゃん」
「やだ、常葉くんが良い〜」
「顔かぁー。それより今夜飲みいかね?常葉も誘うから」
「やった、おねがーい!」
常葉くん、今夜は居ないのかな。
いやでも耳に入る会話を中断させるように腕時計で時間を確認しては思いっきり空気を吸い込んだ。
……そろそろ私も、出陣しよ。
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#ワンナイトラブ
いつもの場所。それは5階の角にある資料室。
使う人はまずいないし死角だらけなので、ここで、良く…
つい先週までの日常を思い返していたら、クロワッサンに続き今度はカツ丼がこんにちわー!なんて、元気よく戻ってきそうなので生唾で押し込む。
棚で囲われた空間、散乱する資料、いつもの二列目の突き当たり。
土下座されたらどうしようって思っていたら
「ほんっっと、ごめん!」
彼は期待を裏切らなかった。
額を床に押し付けたら私が許すとでも思ってるのかな。
他人事みたいに冷めた心でその後頭部を見下ろす。
「とりあえず、別れよう」
「いや無理。もう二度としないから」
何が無理なんだ。
今朝も15分掛けてセットしたのだろうか。緩やかな七三分けのツーブロックヘアーの見た目爽やかな彼は今日も今日とて、見紛うことのない旺くんだ。
企画課のエースとか言われる旺くんは私とは接点さえなく、明るい人柄で人脈もあって、将来も有望だとか持て囃されていた。
今の常葉くんほど騒がれては居ないけれど、それでも旺くんも、有名な人だった。
警戒する私の心に人懐っこく擦り寄って、紐解くように優しく解いて、あんなにも好きだ、愛してる、口癖みたいに囁いて、いつか一緒になろうねって、口先だけの約束をして。
思い返せばすぐに視界の端から滲んでくるのが情けなくて、瞬きを増やしてそれを消した。
「無理じゃなくて、別れます。週末家賃とかの引き落としの切り替えに行くか、」
「だから、別れないって!」
立ち上がった旺くんは、私の肩を強引に掴んだ。それは少し痛いくらいの力で、咄嗟に顔を歪めたけれど、すぐに目に力を込めた。
「私、付き合う時に言ったよね?浮気は嫌。特に若い子と浮気するんだったら別れてからしてって」
「言ったけど、所詮浮気じゃん、本気なのは依愛だけだよ」
所詮、浮気?
良くそんな事が言えるな。
あんなことをしておいて、昨日と変わらない態度で、昨日と同じ笑顔で、平気な顔で、私に許しを乞うなんて。
熱く渦巻く気持ちがお腹の奥底で煮えたぎっていれば、旺くんはあたしの耳元に顔を寄せて
「……あのさ、ここだけの話、誘ったの向こうだから」
と、囁かれた声は、甘く、熟れていた。
……女の子に、罪をなすりつけるの?
私が相手の事知ってるって気付いているのかな。
いや、気付いていたらこんな事言わない。
毎日顔を合わせる社員を陥れる度胸、この人は持ち合わせていない筈だ。
何故か急に寒気がして、身体の芯が震えた。
「それに、昇級確定って噂の会議に出れるの決まった」
「へー……そっか」
「あとは今度の企画も通りそうだし」
「良かったね」
色付きもしない世間話が耳の穴を通り抜ける。
……早く、別れたいな。
気持ち悪いのを消すように無表情を徹していると、急に旺くんは気まずそうにひとつ、咳払いした。
「……これ言うの、ずるい気がするけど」
と、うなじを触る旺くんは、形の良い二重の瞳を細めた。
「三ヶ月後の依愛の誕生日の為に、なかなか予約がとれないレストランの予約、してんだよ?」
「え?」
だけどその一言は、あたしの鼓膜に引っ掛かってしまった。
「その日、日曜だからって色々プランとかも立ててたのにさ、こうなったのは俺のせいだけど……ほんとに俺、依愛の事しか考えてないんだよ」
そうなの……?そんなこと、してくれてたの?
思いがけないサプライズの告白に、吐き気は一瞬、半減する。
「俺、依愛が居ないと無理なんだって」
旺くんみたいな人気者が、私が居ないと……無理、なの?
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