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影王《シャドウロード》が完全に目覚めた夜――
世界は、呼吸そのものを止めていた。
空に浮かぶ赤月はひび割れ、
亀裂の間から“黒い脈動”が漏れ出している。
まるで世界の天蓋そのものが、
影王の心臓へと変わってしまったようだった。
地上では、都の石畳が浮き上がり、
建物の影がうねり、黒い海のように揺れている。
影王の力が満ち……
影そのものが新たな生命として世界を侵食していく。
だが、その中心に――
ひと組の影が重なるように立っていた。
カイラスとリリス。
二人の咬痕が、今までにない紅い光を放っている。
影王の気配は、深淵そのものだった。
たった気配だけで、 魂を握り潰されるような圧力が押し寄せてくる。
リリスの胸奥に眠る“欠片”が疼き、 彼女の心を影へと傾けようとする。
――来い。
――おまえは私のものだ。
――赤の巫女は、影王の花嫁となる。
囁きは甘く、冷たく、逃れられない呪いのようだった。
「……リリス、大丈夫か?」
カイラスが肩を掴む。
その手は熱く、力強く、ひとつの願いだけに満ちていた。
――俺のところにいろ。
リリスはかすかに頷こうとした。
だが――。
影王の声が、頭蓋を震わせるほど響いた。
「……赤の巫女よ。その咬痕は、おまえを縛る鎖ではない。“扉”だ。私へ通じる、深淵への道だ。」
リリスは身体を震わせた。
カイラスは即座にリリスを抱き寄せ、 彼女の耳元で囁く。
「聞くな。影王の言葉は毒だ」
「……わかってる……でも……」
胸の奥が焼ける。
二つの声が、彼女の心を引き裂く。
来い
行くな
私のものだ
俺のものだ
影の声と、カイラスの言葉が衝突し、 リリスは片膝をついた。
その瞬間――
影王が姿を現した。
影王の姿は、
“影”という概念を形にしたような存在だった。
王冠のように見える黒い棘。
足元には伸びる影の海。
身体は霧のように輪郭を変え、 人とも獣ともつかない巨大な影がうごめいている。
しかし――
その瞳だけは、人間のように美しかった。
深淵の底に沈んだ“永い孤独”を思わせる、どこか哀しみの色を帯びていた。
影王はリリスだけを見つめ、囁く。
「……戻ってこい。おまえの魂は、元は“影の側”にあった。赤の巫女よ。光に奪われたおまえを……私は取り戻す。」
「……違う……私は……」
リリスは首を振った。
影王の声が胸の奥を押し広げるように響き、意識を奪おうとする。
(違う……私は……カイラスと……)
だが、影王の言葉は彼女の理性を溶かす。
「光に恋をし、血で契りを交わそうとも……おまえの起源は、深淵。私の影から生まれた。」
カイラスがリリスを抱き締める。
「ふざけるな……! リリスは、おまえなんかのものでは――」
その瞬間、影王の指が動いた。
黒い影の槍が地面から無数に生まれ、 一気にカイラスへ襲いかかった。
「カイラス!!」
リリスが叫ぶ。
だが声が届くより早く――
カイラスは自分の影を裂き、 その中へ潜りこむようにして槍を避けた。
影の中から姿を現し、 影王へ牙を剥く。
「……影の王でも関係ない。リリスを狙うなら、俺が殺す」
影王の目がわずかに細まる。
「……吸血王よ。血と影は相性が良い。 だが……影の“起源”に勝てると思うな」
影王の足元から巨大な影の腕が伸び、 カイラスを叩き潰そうと迫る。
衝撃の瞬間――
リリスの咬痕が赤い閃光を放った。
「ッ……!」
衝撃は霧散し、 カイラスは無事だった。
影王が一歩後ずさる。
「……その力か。赤の巫女と吸血王の“双心の咬痕”。なるほど……厄介だな」
リリスは息を荒げながら立ち上がり、 両手で胸を抑えた。
(咬痕が……守ってる……?)
カイラスと彼女の咬痕が共鳴し、 影王の影を打ち消していた。
影王は静かに目を細める。
「だが……完全ではない。おまえの中には、まだ“欠片”が眠っている。それを呼び覚ませば……おまえは深淵へ還る」
リリスの瞳が揺れた。
胸奥の痛みが、急に熱へと変わる。
――来い。
――戻れ。
――おまえの居場所は、ここだ。
影王の囁きが脳を侵し、 身体が影へと引かれはじめる。
カイラスが叫ぶ。
「リリス!離れるな!俺の影の中に入れ――!」
だが――
影王の指が軽く動いた瞬間、 世界が反転した。
気づくと――
リリスは“深淵”にいた。
そこは光のない、永遠の暗黒。
空も地面もなく、上下の概念すら曖昧で、 ただ黒い海が無限に広がる世界。
ここは影王の心の底。
世界の裏側。
リリスは足元を見た。
自分の影が、何かを求めるように蠢いている。
影王が現れた。
「……ようやく帰ったな」
「私は……帰ってなんか……!」
叫ぼうとした瞬間、 影王が手をかざす。
黒い波動が胸元へ突き刺さり、 彼女の心臓が強く締めつけられた。
(あ……っ……!)
胸の咬痕が黒く変色していく。
影王が言う。
「咬痕は“運命の印”。吸血王との絆でもあるが……影の側にも繋がる“扉”でもある。」
リリスは震えた。
「扉……?」
「おまえが光に奪われるより前……その咬痕はすでに影によって刻まれていた。“深淵の伴侶”を示す印として。」
「……私が……影の……?」
影王は彼女の手をとる。
黒い海が揺れ、彼の瞳は哀しみを宿す。
「赤の巫女よ。おまえは元々……私の影から生まれた。だから、呼べば来る。呼ばれれば戻る。」
リリスの心が揺れる。
胸の咬痕が痛みではなく、 甘く、熱く、深い渇きを帯びて疼く。
影王がリリスの耳元で囁く。
「“噛まれた”のだ。光に奪われる前に……まず、私に。」
その言葉は、誘惑だった。
身体がふらりと影王へ傾く。
しかし――
リリスは目を閉じ、囁いた。
「……違う。私は……今は……カイラスのもの」
影王の表情がわずかに歪んだ。
その瞬間――
深淵全体が赤く染まった。
「リリス!!!!」
カイラスの声が響いた。
赤い光が深淵に裂け目を作り、 その中からカイラスが姿を現す。
彼の影は深淵を裂くほど紅く燃え、 咬痕の光が深淵の壁そのものを砕きながら進んでくる。
影王が低く唸る。
「……吸血王。おまえは深淵に入れないはずだ」
「リリスが呼んだ。それだけで十分だ」
カイラスはリリスを抱き寄せ、 影王へ向き直る。
「影王。おまえの“咬痕”なんて関係ない。今、彼女に刻まれてるのは――」
リリスの胸元に口づける。
「俺の咬痕だ」
深淵が音を立てて揺らいだ。
リリスの中で眠っていた“欠片”が、 カイラスの声に呼応し、赤く染まっていく。
影王の声が低く響く。
「……ならば証明しろ。その咬痕が“運命”であると」
影王は黒い海を暴風のように巻き起こし、 深淵全体を戦場に変えた。
カイラスはリリスを背に庇い、 牙を剥いた。
「リリス。俺は絶対におまえを手放さない」
リリスは震えながらも頷き、 彼の胸に手を当てる。
「私も……あなたから離れない。たとえ影王が呼んでも……」
胸の咬痕が輝き――
二人の影が結びついた。
世界にただひとつの“双心”となり、 深淵を赤く染める。
影王はついに認めたように、 静かに目を閉じた。
「……ならば行け。“永夜の双心”よ。影も血も……その咬痕の前には意味を成さない」
深淵が崩れ、 影王の身体も霧に溶けはじめる。
リリスは思わず叫んだ。
「……あなたは……どうなるの……?」
影王は微笑んだ。
「私は深淵へ還るだけだ。だが……忘れるな。おまえは“影の子”でもあり……吸血王の“運命の伴侶”でもある。」
「その二つの心は、永遠にひとつではない。しかし――共にあることはできる。」
霧が消え、影王は完全に姿を失った。
深淵が閉じ、 二人は元の世界へ戻った。
世界はまだ壊れかけていたが、 影王の消滅とともに浸食は止まっている。
カイラスはリリスの手を取り、 額を彼女の額に押し当てた。
「リリス……帰ってきてくれて、ありがとう」
「……うん……カイラスが……迎えに来てくれたから」
二人の影が重なり、 咬痕が優しく光る。
その光は暗い世界を照らし、 まるで“永遠の夜に灯る二つの心臓”のようだった。
こうして――
影の王国を揺るがした“赤の巫女と吸血王”の物語は、 ひとつの結末を迎える。
だが二人の咬痕は消えない。
渇きも、熱も、痛みも、
永夜を共に生きるための証。
――咬まれた瞬間から決まっていた運命。
咬み痕で、永遠に繋がれた二人。
世界が再び夜を迎えるたび、 二人の影は寄り添い、深く絡み合い――
永遠の双心として脈打ち続ける。