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「萌、あんたここにいたのかい」
背後の戸が突如として開けられる。
肩越しに俺はうしろへと視線を送ると、そこには困ったように小首を傾げた静子さんの姿がある。いつもの白のポロシャツを着ているし、なんだかまだ活力のある顔をしていることからも、仕事の合間とかに様子を見にきた感じなのだろう。
「し……お、お母さん」
萌が、木刀を持った腕をだらんとたらし、気づいたように背後に隠してから、弱々しい声音でいう。
「布団にいなかったからもしやと思ってきてみたら、やっぱりあんた、お兄ちゃんのところにいたんだねえ」
しかも、といいぎろりと木刀へと目を向ける。木刀は萌の背後にあったが、残念ながら普通に見えてしまっている。
「木刀まで持ち出して」
「ふえ」
「だめじゃないか。それはね、扱い方によっては、とっても危ないものなんだよ。人に怪我をさせたり、場合によっては自分も怪我をする。そりゃーお兄ちゃんがきて一緒に遊びたくなるのは分かるけどさ」
「だって……」
「だってじゃないだろ? さあこういう時はなんていうんだい?」
静子さんは萌の両肩をつかむと、ぐっと顔を寄せて目をのぞきこむ。
「ご……ごごご…………」
萌はうしろ手に持った木刀を畳の上に落とすと、大粒の涙をこぼしつつ、実に子供らしい謝罪の言葉を口にする。
「ごべんなざーあぁぁあぁあぃっ! あがあざん! ごべんなざいっ! もうじないがら! ゆるじでぐだざあああぁぁいぃっ! うえええーええぇーんっ!」
萌は静子さんにつれられ去っていった。
周囲に田舎の夜特有の静けさが戻ってくる。
俺は全身に浮かんだ汗を、高鳴る鼓動をしずめるためにも、窓を開けると窓敷居へと腰をおろし、街灯の、橙色の光に照らされた闇夜へと顔を向ける。
今しがた萌は確かにいった。『ソア・イスカリー』と。『士気高揚(エンハンスド・ライフフォース)』と。そしてなにより俺のことを『勇者グラン』と。それらは俺が転移した異世界、グランファニアーにあった実際の言葉だ。
『ソア・イスカリー』は魔王ソアラのミドルネームとラストネーム。『士気高揚(エンハンスド・ライフフォース)』は魔王ソアラが有していた特殊スキルの名。最後の『勇者グラン』については人間族の国『オルオ』においての俺の呼び名だ。正式にはグラン・サ・フォージャーだが……そもそもどうして萌がそのことをしっているのだろうか。一体どうして……。
いても立ってもいられなくなった俺は、とりあえず窓枠から立ちあがると慎重な足取りで歩き出し、せまい部屋をいったりきたりする。
……間違いないよな。決定的だよな。認めるしかないよな。
萌は、俺の実の妹は、魔族の国カサンドラゴの王、ソアラ・ソア・イスカリーであると。
だがどうしてこうなった? 俺はこれからどうすればいい? また……今度はこの世界、日本で、血塗られた争いを繰り広げるとでもいうのか?
いいやだめだ! 戦争は……殺し合いはだめだ! ここは日本である以前に柳川温泉であり、旅館『すずらん』なんだ。なにより兄と妹でそんなことをしたら、静子さんに迷惑をかけるばかりでなく、悲しませることになるのは目に見えている。
だったら……だったらやるべきことは一つしかない。話し合いだ。
お互い膝を突き合わせて話し合い、なにか解決できる方法を模索するんだ。
簡単……ではないかもしれない。だってそうだろう。それができたなら、そもそも異世界グランファニアーにおいて、あんな惨事を繰り広げる必要はなかったのだから。
翌朝。幸か不幸か……いや幸と考えるべきか、萌と二人で話せるだろう機会がさっそく巡ってきてしまう。
俺の目の前には一枚の紙がある。紙の上部、ヘッドラインには、次のように書かれている。
『柳川小学校 授業参観&家族給食会』
俺は、案内の紙と、にこにこと笑みを浮かべる静子さんとを、交互に見ながらいう。
「ええと……これは?」
「だから、瑛太にこれにいってほしいんだよね」
「いくって、俺が萌の父兄として参加するってこと?」
「あら、なにかおかしいかい? 実の兄が妹の授業参観にいくのが」
「いや、おかしくはないけど……」
「それに、どうせ瑛太暇だろ? だったらいってきておくれよ。その方が萌も喜ぶだろうし」
いや。喜ばないと思う。むしろ殺意を抱くと思う。殺られる前に殺らなければ……! みたいに。
「暇というか、できれば旅館を手伝いたいというか」
「手伝うって、どうせまだなにもできないだろ? というか萌の世話をするってのも、私からすれば、ある意味旅館の手伝いに入るんだけどねえ」
負担をへらすという観点で見れば、確かにそうなのかも……。
「それにさ、これは私の強い思いでもあるんだよ」
「強い思い?」
「萌を引き取ってからもう何年もたつけど、仕事の忙しさにかまけて、萌になに一つ親らしいことができていないんだよね。だからせっかくお兄ちゃんである瑛太が戻ってきてくれたんだから、少しでも、ほんの少しでも、家族っぽいことを味わわせてあげたいっていうか、まあそんな感じなんだよ」
静子さんのこの言葉を聞き、俺は萌の授業参観&家族給食会にいくことを了承した。
授業参観は昼前の四時間目だった。四時間目の授業が十一時から始まるということだったので、俺はそれに間に合うように旅館兼自宅である『すずらん』を出た。
小学校は商店街を抜けた先の住宅街の奥にあった。『すずらん』からは多少距離はあるが、歩いていけないこともないので、立地的には好都合だといえるだろう。
俺は来客用の下駄箱に靴を入れると、そこに入っていた来客用の茶色のスリッパを履いて、萌のクラスである『3年3組』へと歩を進める。
教室についたのは十一時十分。授業は既に始まっており、児童の母親、ならびに父親たちが、教室の後方に立ち、彼らの息子、愛娘に対して、子煩悩丸出しの生温かい視線を送っている。
……ええと、萌はどこに…………。
額のところに手でひさしを作り教室内を見回す。
いた。教室の中央付近。茶髪だからすごく目立つな。……というか、あれほんとに萌か? なんか超笑顔だし、きらきらしてるし、昨夜の怒りやら嫌悪やらに満ち満ちた、歳不相応ともいえる形相は、一体どこへやら……。
「じゃあこの問題ですが、どなたか答えられる人はいますか?」
メガネをかけた女の教師が、時代の流れなのか丁寧な敬語で児童たちに聞く。
「はいはいはーい!」
いの一番に手をあげたのは、なんと俺の妹、萌だ。萌は席を立たんばかりに前のめりになり、元気いっぱいに手をあげている。
「先生! 萌分かりまーす! あてて! あてて!」
「まあ、今日も北見さんは元気いっぱいですね。じゃあ北見さん答えてください」
萌の明るさに引っ張られたのか、教師の口調が若干だがほぐれる。
俺のまわりにいる父兄たちのあいだからも、どこか幸せそうな微笑や、「萌ちゃんを見ているとこっちまで元気になるねえ」とか、「ほんとほんと。萌ちゃん本当にいい子よねー」とか、そんな評判の言葉が口々にささやかれるのが聞こえてくる。
授業が終わり、教師の口から父兄に対してこのあとの家族給食会のことが告げられると、児童たちは、母親、父親たちと会場である体育館へと向かうため、いそいそと席を立ち、駆け寄り、合流する。
「げっ」
ようやく俺の存在に気づいた萌が、なんだかえげつない女児らしからぬ声をもらす。
「ど、どうしてお前がここに!?」
萌は俺に近づくと、まわりの視線、聞き耳を気にしながら、小声でいう。
「授業参観だ。もちろんこのあとの給食会にも参加するぞ。なんたって俺は魔王ソアラのお兄ちゃんなんだからな」
挑発ともいえる俺の言葉を聞き、萌はぐぬぬみたいな顔をし、奥歯を噛みしめる。
否定しなければ、すっとぼけもしないか。……既に確信してはいたが、これで萌が、俺の妹が、魔王ソアラの生まれ変わりであると、確固たるものになったな……。
「……さてはお前、すきを見て我を殺めるつもりだな? そうはさせぬぞ……させぬからな!」
給食会でも萌の人気ぶりはすごかった。父兄からは萌のいい子っぷりを称える言葉がそこかしこから聞こえ、会の最中も入れ代わり立ち代わり、それはクラスという垣根を越えて、たくさんの友達が萌を訪れては、幸せそうにおしゃべりをし、楽しそうに笑い声をあげた。
極めつきは無事に家族給食会を終え、気まずいながらも萌と一緒に帰途につき、商店街に差しかかった時だ。まず初めに声をかけてきたのは、商店街の出入り口すぐのところにあるだんご屋さんだ。だんご屋のおばさんは満面の笑みで萌を呼びとめると、「今日も元気だねー萌ちゃんの元気な姿を見るだけでおばさんも若返ったような気分になるよーありがとーねー」みたいにいってから、お土産として、枯れ草色の紙に包まれた何本かのみたらしを萌に差し出した。次に声をかけたのは揚げ物屋さんだ。だんご屋さんと同様に、店主の泰造さんは、萌に快活にも声をかけると、「揚げたて持ってってねー」といい、いくつかのコロッケを萌に差し出した。その次は道行く犬を散歩させるおばあさんに、その次は青果店のお姉さんに、その次は花屋のお兄さんに、その次は……。
気がつけば萌は両手いっぱいに、商店街の人たちからもらったお土産の数々で、いっぱいになっていた。
……学校でもそうだが、萌って本当に皆から人気があるんだな。そりゃまあそうか。見た目もかわいいし、明るいし、元気だし。よく見ると、友達に対しては気遣いを、大人に対しては敬意を、しっかりと払えているし。
俺は嬉しそうにする萌の笑顔を見てから、空へと視線を送る。
……今なら話せるかもしれない。こんな優しい世界にいる、心の底からの笑顔を浮かべることができる魔王となら、話せるかもしれない。異世界グランファニアーでは決してできなかった、友好的かつ平和的な話が。
「魔王ソアラ……なんだよな?」
呟くように発せられた俺の言葉に、萌は立ちどまり顔をあげる。
「そういうお前は……勇者グランだろ」
「ちょっとあっちで話さないか?」
俺は商店街を出た先、旅館やホテルの建ち並ぶ温泉街の出入り口付近を指さす。そこは真ん中に川が流れており、左右に敷石にて舗装された歩道が走っている、とてものどかな場所だ。秋には温泉街を中心にしたお祭りがおこなわれる。その時はこの川沿いも提灯などで飾り付けられてとても幻想的になる。
ベンチの一つを選び俺はそこに腰をおろすと、横に座れとでもいうみたいに隣をとんとんと手で軽く打つ。それを見た萌は表情で「げえ」と応えてから、あくまでもよそよそしく、かつすり足で近寄り、決して俺から顔をはずさないようにしつつ腰をおろす。
「ええと、もうめんどうだから単刀直入に聞くけど、萌、お前は俺をどうしたい?」
「どうしたい、とは?」
「だから、やっぱり俺を殺したいのか? 昨日の夜、俺の寝こみを襲ったみたいに」
「あれは……」というと萌は一度口をつぐみ、がっくりと肩を落としてから、気まずそうに膝のうえで指と指をくるくるする。
「……早計だった。お前が我を狙っていると考えたら、先手を打たねばという思いがつい先行してしまい、焦ってしまった。お前を殺したら一体どんなことになるのか、どういう事態におちいるのか、正直完全に抜け落ちていたんだ」
「じゃあお前は、とりあえずは俺を殺すつもりはない……そういうことでいいんだな?」
もてあそぶ手をとめ顔をあげると、萌はにっと不敵な笑みを浮かべ、鋭い視線を俺に向ける。
「勇者が我を殺すというのならば、殺す。殺さないというのならば、とりあえず今は殺さない」
「でもどうして急に心変わりを? 向こうの世界のお前だったなら、有無をいわさず殺っているだろうに」
「阿呆か。ここはグランファニアーではないであろう。地球であろう。ここにはカサンドラゴもなければオルオもない、ようは我々にとっての戦争のない世界なのだ。というか向こうの世界でも、既に戦争は終結している。戦争が終わっているのだから、殺す殺されるもないではないか」
萌は俺の言葉を待たずして説明を続ける。その説明は、意図してかそうでないかは分かりかねるが、俺にとっても、戦わない選択に対する強い動機づけを与えうるものだった。
「それにだ、我はお母さんが、静子が、大好きなのだ。確かに仕事が忙しく、もうちょっと構ってくれてもいいのではと不満に思うこともあるといえばあるが、それでも静子のことが大好きなのだ。異世界での都合、いざこざを持ちこみ、静子に迷惑をかけることを、我は決してしたくない」
「それは……俺も一緒だ。俺は昔、なにより今も、静子さんにはお世話になってる。すごい感謝してるし、絶対に迷惑をかけたくないし、恩を一生かけて返していきたいと、そう思ってる」
「なんだ、では話は早いではないか」
俺の言葉を聞いた萌がきょとんとした顔をしてから、上体を前に倒し、まるで俺を下からのぞきこむようにしていう。
「我は静子が大好きで迷惑をかけたくない、お前は静子に恩を返したい、利害は一致しているではないか。であるならばここは、過去のできごとなど色々と思うところはあるだろうが、ひとまずそれは脇においておいて、平和協定を結ぼうではないか」
「平和協定?」
「そうだ。過去のことは今後一切口にしない。我は萌で、お前は瑛太。我は瑛太の妹で、瑛太は我の兄。これらを徹底し、ここ柳川温泉での、なにより旅館『すずらん』での平和で優しい穏やかな日常生活を守る。どうだ?」
「おう。オーケーだ」
多分これが、現代日本における、最適解だ。
勇者グランと魔王ソアラ……否、兄瑛太と妹萌は、平和協定を確固たるものにするため、力強く手を握り合い、互いに、まるで示し合わせたように頷いた。
「さて、話し合いの末、心のわだかまりが解消されたところで、少々小腹がすいてきたな」
俺から手を離すと萌は、先ほど泰造さんからもらったコロッケを手に取り、その一つを取り出す。
「なんだ? もしや瑛太もほしいのか?」
「ああ……ああ! これってあの泰造さんとこのやつだろ? 俺マジで好物なんだ」
「だったら」
にやりと笑みを浮かべると、まるで悪魔みたいに口角をあげる。
「ひざまずいて我にこうのだ! わーっはっはっはっは!」
萌が高笑いしているすきを見て、俺は紙袋からコロッケを一つかすめ取り、間髪を容れずにかぶりつく。
「あああああ! なんとはしたない! お前一応、見た目は子供、頭脳は大人であろうが!」
誰だよその名探偵みたいなやつは。
もぐもぐと咀嚼し味を確かめてから、俺は致命的な間違いに気づく。
「ペロ……!? こ、これは……かぼちゃコロッケ!!!」
「そうだな。泰造のやつ、我がかぼちゃコロッケが好きと知っているから、わざわざ入れてくれたんだな。本当にいいやつだ。魔王国再建の際には、是非とも王宮専属料理長として抜擢しようではないか」
「バーロー! 泰造さんとこのコロッケで一番うまいのは、さつまいもコロッケだろうが!」
「はぁ!? なにをいうか! 断然かぼちゃコロッケだ! 甘さが段違いではないか!」
「さつまいもの慎み深くも深い、優しい甘みがいいんだろうがよお!」
平和協定が交わされてからほんの数分で、さっそくいかんともしがたいいがみ合いが始まってしまう。
「……久しぶり。瑛太くん。私のこと……覚えてる?」
正面から、女の子の声がした。
とっさに声の主へと顔をあげると、俺は黄金色に輝く西日に目を細めてから、その黒のシルエットとなった女の子をしっかりと見据えようと、目を開く。
学校の制服に身を包んだ十代半ばぐらいの女の子。髪は黒のボブで、顔には髪と同じ黒のメガネをかけている。肌は雪のように白く、目の下にある小さなほくろがいいエッセンスとなり、その女の子の可憐さ、美しさを、引き立てているように感じられる。
しっている……俺はこの女の子をしっている……。
「……佐里? 佐里か? ……苫前佐里」
女の子は無言で頷く。
そんな彼女の姿、顔、表情を見た途端、俺は脳裏に、過去のできごとが、一気に、まるで走馬灯のように、駆け巡った。
──そう、おそらくは俺が異世界に転移することになった、ことの発端である、あの痛ましいできごとが。