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「そう言えば実篤さん、十五夜の日は何か予定がありますか?」
車に乗り込んで次の配達先に移動するぞという段になって、くるみが窓を開けてそう聞いてきた。
「――? それっていつじゃっけ?」
恥ずかしい話、実篤は大人になってからこの方、そんなものを意識したことがない。
ラジオやテレビからやれ中秋の名月だなんだのと聞こえてきても、基本的には右から左。
九月のどこかがそれなんだろうと漠然と思ってはいても、別に何をするわけでもないから明確に何日かとか気にしてもいなかった。
子供の頃は、母親が団子をこしらえてくれて、家族みんなで(それこそ月なんてお構いなしに)貪り食らった覚えはある。けれど、十五夜の思い出なんてそれぐらいの実篤だ。
「今年の十五夜は九月二十一日です。ちょうど火曜日でお天気も良いみたいですけぇ……」
そこまで言って、くるみはちょっとだけ躊躇う素振りを見せるように視線を彷徨わせてから、意を決したように実篤を視界に捉えた。
「うち、お団子を作ろうかと思うちょるんです。――それで、あのっ、もし良かったら食べにいらっしゃいませんか?」
クリノ不動産も、くるみの木も、水曜日がたまたま定休日で、火曜の夜ならお互いに少々夜更かししても問題ない。
それもあってだろうか。
憎からず想っているくるみからのいきなりのお誘いに、実篤は何と答えたらいいのか戸惑ってしまう。
その間が苦しいみたいに、くるみがいそいそと取り繕うように更に言い募った。
「あ、あのっ。実は贔屓にしちょる業者さんから良い団子粉をお試しで貰ぉーたんです。せっかくじゃけぇ使ぉーてみたいんですけど……ひとりで食べるんは寂しいなぁ〜思ぉーて」
言われて、くるみが大学を卒業して程なくして両親を事故で一気に亡くしたのだと話してくれたのを思い出した実篤だ。
寂しいと言われた途端、「くるみちゃんさえ迷惑じゃないんじゃったら、俺は逆に大歓迎じゃわ」と身を乗り出していた。
実篤がくるみに抱いている気持ちと、くるみが実篤に対して持っている感情は、似て非なる物なのかもしれない。
だけど――。
くるみが心細い時、自分が少しでも彼女の心の隙間を埋められたなら、こんなに幸せなことはないじゃろ、とも思った実篤だ。
「良かったです。それじゃあまた詳しいことは改めて連絡しますけぇ。絶対夜、空けちょってくださいね?」
くるみがニコッと微笑んで念押ししてきて、実篤はその笑顔の可憐さに見惚れて返事をするのが遅れてしまう。
と、
「実篤さん、お返事は?」
くるみにムゥーッと可愛らしく唇を尖らされて、やっぱこの子は小悪魔じゃわ〜、めちゃ可愛いんじゃけど!と思いながら、「約束する」と小指を立てて見せた実篤だった。
***
『二十一日、お仕事が終わられたら【ここ】まで来て頂けますか?』
数日前にくるみからLINEにそうメッセージが来て、末尾に【ここ】の部分を指し示すであろうリンクが張られていた。
アクセスしてみると、新幹線が止まる新岩国駅に程近い御庄地区の一角に目印が立っていた。
不動産業を営む人間としての勘で、この辺りは確か住宅地じゃったよな、と思った実篤だ。
『何時ぐらいに行くのがベスト?』
漠然とした時間指定に、一応目安が分かればとそう返信したら、即座に
『十九時半ぐらいがいいなと思うんですけど無理はなさらないでくださいね。月も団子も逃げませんので』
というメッセージとともに、「大丈夫っちゃ」と言う文言付きの、二頭身ウサギがVサインしている絵柄のスタンプが飛んできた。
タップしてみると、どうやら「山口弁」がモチーフになった、ゆる系ウサギキャラのスタンプらしい。
「こんなんがあるんか」
スタンプは既存のものプラスアルファしかダウンロードしていない実篤にとって、有料スタンプには色んなバリエーションのものがあると言うのは何だか新鮮で。
そこでふとくるみとのやり取りを見直して、メッセージだといつも対話している時みたいにお互いバリバリの方言トークにならないのが何となくくすぐったく感じられた実篤だった。
***
九月二十一日の夜。
「こんばんは。栗野です」
くるみからのメッセージにあった場所までスマートフォンにナビをさせてたどり着いてみたら、やっぱり民家で。
建物は古いけれど、インターフォンだけは今風で、チャイムを鳴らすと機械越しに家人と会話することが出来るようになっていた。
「お待ちしちょりました」
実篤の姿を確認したからだろうか。
家の中からいつも通りの三角巾にエプロン姿――とはいえ今日はトレードマークのエプロンが、いつものショート丈のサロンエプロンではなく、胸当てエプロンだった――のくるみが出てきて、いとも容易くに鍵を解くと、玄関扉をガラガラと開けてくれる。
(くるみちゃん、もっと警戒心持たんと!)
と内心冷や冷やの実篤だったけれど、田舎は基本玄関に鍵さえ掛けずに常にオープンにしている家も多い。
それを考えると施錠してあって、インターフォン越しに相手が確認出来るようにしてあるだけマシなのかも?とも思った。