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◻︎すじ肉カレー
その日の帰り道。
私は結城と三木のアパートへ行った。連絡先を交換するのを忘れていたので、直接訪ねた。
ピンポン!
「はぁーい」
パタパタと足音がして、三木の娘の歩美がドアを開けてくれた。
「こんばんは、お父さん、どう?」
「あ、昨日の。湿布でぐるぐるにしてあったから、今日は少しよくなったみたいです」
「お邪魔してもいい?」
「はい」
私は買い物してきた食材と花をテーブルに置いて、奥のテレビの前にいた三木に声をかけた。
「三木さん?」
「え?あ、ひゃあ…すみません、こんな…」
よほど真剣にテレビを見ていたのだろう、こっちを向いた顔が涙でぐしゃぐしゃだった。
「ドラマでもう、すみません、恥ずかしい」
「すみません、お邪魔してしまって」
「あの!昨日はすみませんでした、俺が三木さんを押してしまったばかりに、三木さんに怪我をさせてしまって。それから、すぐに謝らなくてすみませんでした!」
言うのと同時くらいに、正座をして土下座のように頭を下げた。
「そんな、もういいんですって。僕がしっかり立ってなかったからなんだし、そんなに強く押されたわけでもないんだから」
「でも…。俺の嫉妬心からの行動です。慰謝料というか治療費とか、なんでも言ってください。俺の気がすまないんで」
「もう今日はだいぶいいんですよ、つかまれば歩くこともできますし。だからそんな、ね?」
「はぁ…でも」
結城はまだ納得がいかないようだった。
「申し訳ありません、実は結城は私の部下なんです。昨日は言いそびれてしまって。街コンはプライベートなことだったので、会社での関係は出さないでと最初に私が言っていました。本当に申し訳ありませんでした」
私も結城と並んで、頭を下げた。
「そうでしたか。じゃあ、そちらの結城さんはこちらの森下さんのことが好きなんですね?だから、指輪をしたまま婚活に参加して、森下さんと親しくなろうとしていた僕のことが許せなかったと…」
「そうです」
きっぱりと答える結城。
「だから、結城君、私のことを好きだとかなんとかもうやめて」
「どうしてですか?!」
「からかわれても、うまく返せないし、年も違いすぎる。それに、あなたは若い子にモテてるじゃない?昨日だって…」
街コンでも、参加した女子の3割は結城を見ていたと思う。
「からかってなんかいません、俺は本当に…」
「ストップ!そんな話はどうでもいいの。とにかく、晩ご飯の支度しますね、材料も買ってきたので。結城君は、もう帰っていいから」
「そんなぁ」
結城はこれ見よがしに、肩を落とす。
「あの、晩ご飯ならあります。昨日たくさん、カレーを作ったから」
歩美がお茶を持ってやってきた。
「そうなの?歩美ちゃんが作ったの?すごいね」
私はレジ袋の中の玉ねぎとじゃがいもとニンジンと、お肉とルーをそっと隠した。
「あの、よかったら、食べていきませんか?」
歩美が大人びたことを言った。
「そうだね、食べていってください、これも何かの縁だし」
断ろうとしたけど、ご飯もたくさん炊いてあるんですという歩美に、引き止められた。
結城も、腕を掴まれていて、ありがたくごちそうになることにした。
カレーは思ったより辛口で、ほろほろととろけたお肉がとても美味しかった。じゃがいもやにんじんはほとんど煮崩れていて、それも美味しい。
「これ、ほんとに歩美ちゃんが作ったの?マジで美味いんだけど」
結城も驚いている。
「うん、本格的だよね?大人のカレーだよ」
私も感心してしまう。
「カレーは、お母さんが教えてくれた自慢の料理なんだ。お味噌汁とカレーができれば、あとはなんとかなるって言ってた」
ローボードの上に置かれた笑顔のお母さんの写真を見る歩美。
手作りの白いフォトフレームには、角に小さな貝殻がいくつか貼り付けられていた。
「優しそうなお母さんだね」
満面の笑みでこちらにいる家族を見守っているようだ。
「優しいよりも、面白い、かな?ね、お父さん」
「うん、そうだね、楽しいお母さんだったね」
親子の間には、共通の思い出があるのだろう。目を見合わせて、微笑みあってる。もうここにはいないのに、まるで今でもここにいて会話をしているように感じられる。
_____家族っていいな
「いいご家族ですね、三木さんと歩美ちゃん。うらやましいです」
本心からそう思った。私はもしかすると結婚したいというより、家族が欲しいのかもしれない。
「歩美ちゃん、このカレーの材料はなに?このお肉、めっちゃ美味いんだけど」
「これね、すじ肉なの。長く煮込むとトロトロになるから」
「ふーん、三木家のカレーは、すじ肉カレーなんだね」
冷凍庫にいつもすじ肉があって、カレーにしたり甘辛く煮込んだり、シチューにしたりと使い勝手がいいらしい。
「お母さんがノートを書いていてくれたし、家にいる時はずっといろんなことを教えてくれたんだ。これ、見て!」
引き出しから、大学ノートを持ち出して見せてくれた。そこには、色鉛筆や蛍光ペンでカラフルに書かれたレシピや、アイロンのかけかた、コンロの掃除の仕方などが書いてあった。
「うわぁ、私も知らないことばかりだ。すごいね、歩美ちゃんのお母さん!」
「うん、私もお母さんみたいなお母さんになるんだ。でも…」
「でも?」
「私がいつか結婚してしまったらお父さん、1人になってしまうから心配。それはお母さんも心配してたから…」
これも見て、と一通の手紙を見せてくれた。