テラーノベル
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薄らと煙るビル群に、おもちゃのような車と、米粒大の人の波。窓から見えるジオラマのような風景に、見慣れた社長室。美咲がいなくなり一週間、彼女がいない以外は、変わらない日常に廉の心は沈んだままだ。
窓際に立ち、煙草をくゆらす。
肺へと吸い込んだ煙とともに鼻を抜けたメントールの香りが、寝不足の頭をわずかにスッキリとさせてくれる。
今頃、美咲は何をしているのだろうか?
俺のことなど忘れて、笑っているのだろうか?
そう考えるだけで、心が闇に堕ちそうになる。
美咲との出会いは幼少期に遡る。
新しく引っ越して来た家の隣に住む、年の離れた女の子。始めは、そんな印象でしかなかった。
弟の遥と一緒に、自分の後を追いかける姿は、中学生になったばかりの廉にとっては煩わしく、面倒な存在でしかなかった。
そんな美咲の印象が変わったのはいつだったか。
愛想の良いタイプではない美咲から向けられる笑顔が、廉にとって特別に感じられるようになったのを境に、自分の心も変わっていった。隣の家に住む女の子が、妹のような存在へと変わり、そして恋人へとなった。
ただ、美咲に告白され恋人になってからも、彼女の存在が妹以上になることはなかった。三年前、一方的に別れを告げられるまでは。
失って初めて気づいた存在の大きさに愕然とした。名声と欲望、人を蹴落とし名をあげることが当前の世界に足を踏み入れた駆け出しモデルの廉にとって、美咲の純真さは癒しだった。
美咲の隣にいる時だけが、嘘に塗り固められた自分を脱ぎ捨て、素になれる。
いつの間にか、美咲の存在は廉にとって失うことの出来ない宝物になっていた。
「いいや、執着か……」
愛しているからこそ、美咲を失った絶望が執着へと変わった。
三年前、なぜ美咲は別れを切り出したのだろうか?
美咲が消えてから一週間、幾度となく考えた問いにまだ答えは出ない。
もう一度、煙草の煙を吸い吐き出す。メントールの香りが、あの日から続くもやもやを消し去ってくれることはない。
♢
今日何度目かのため息を吐き出した時だった。扉を蹴破る勢いで社長室へと入って来た静香に面食らう。
「廉、どういう事か説明してちょうだい!」
週刊誌を手に社長室へと現れた静香が見せたページには、センセーショナルな見出しの下、遥に抱きかかえられ歩く、美咲の姿が写っていた。
『BRADMOONメンバー ハルカ。新恋人発覚!深夜のお忍びデート。お相手は一般人女性か‼︎』
美咲がいなくなった夜の出来事を切り取ったかのような写真に、廉は大きな衝撃を受けた。
「嘘だろ……」
目の前が真っ暗になり、それ以上の言葉が出てこない。そんな廉の心情を知ってか知らずか、怒りも顕に静香がまくしたてる。
「なんで、遥と美咲さんが一緒にいるの!? 遥にとって今が一番大事な時期だって、廉だって分かっているでしょ! やっと軌道に乗って、これからピンでも売り出そうって時に。廉がしっかり美咲さんを捕まえておかなかった結果が、コレよ」
執務机をバンっと叩き静香が睨む。
怒るのも無理はない。遥にとって今が一番大切な時期だと頭では理解していても、二人肩を寄せ合い歩く写真を目の前に、心が嫉妬する。
(どこまでも自分本位にしか考えられない俺は、根っからのクズなんだろう)
もう、限界だった。
美咲のいない生活を続けるなんて、出来ない。
美咲を連れ戻すため、扉へと向いた足が、次に続いた静香の言葉に止まる。
「どこまで、美咲さんに振り回されれば気が済むのよ! 美咲さんも、美咲さんよ。三年前にも、忠告したって言うのに!!」
三年前……
静香はいったい何を言っているんだ。
「忠告って……、三年前、美咲に何を言った?」
「えっ……、いいえ、違うの」
スッと逸らされた視線に確信を得る。廉は、静香が見せた一瞬の動揺を見逃さなかった。
「何が違うんだ? 三年前、俺は美咲と別れた。一方的に振られ、いまだに理由はわからない。その理由に、静香、お前が関わっているのか?」
視線を床へと落とした静香の肩が、ビクッと揺れ、組んだ腕が小刻みに揺れる。そして、ため息をひとつこぼした静香が、あきらめたように口をひらいた。
「美咲さんから、聞いていないのね。そうよ、三年前、廉と美咲さんが別れるきっかけを作ったのは私。隠し通せるものではなかったわね」
「別れの原因が静香って……、意味がわからない」
「そうよね。意味がわからないでしょうね。でも、駆け出しモデルだった過去の廉にはわからなくても、芸能事務所の社長である今のあなたなら、わかるのではなくって」
ソファへと座り静香が話し始めたのは、駆け出しモデルだった廉のマネージャーとして静香がやって来た頃の内部事情だった。
数年前、廉のマネージャーとなった静香は、芸能事務所のトップから、ある厳命を受けていた。
大抵の芸能事務所は、スター性を持つ人材に莫大な金を投資し、あらゆるメディアに売り込む。事務所に所属しているメンバーは多くとも、金を注ぎ込みスター街道を歩かせるのは、ほんのひと握りの人材のみ。廉は、スター性を事務所に認められ、金を注ぎ込む対象候補となっていた。
徐々に世間に認知され、人気が高まり出したのが美咲と別れた三年前。大々的に廉を売り出すことが決まった年だった。
廉にとっては、スター街道を進める絶好のチャンス。そして静香にとっても、結果を出さねば今後の出世に関わる大切な時期だった。だからこそ最大のチャンスを逃すわけにはいかなかった。
これから売り出そうというモデルにスキャンダルは禁物。廉と美咲が恋愛関係にあると知っていた静香は策を講じることにした。美咲が大学生となり廉の側で過ごせば、ハイエナのようなパパラッチにいつスクープされるかもわからない。だから、静香は美咲に会いに行った。
しかし、不思議でならない。
高校生だったとは言え、美咲の性格を考えるなら、二人の今後を話し合えば理解してくれたはずなのだ。静香が美咲に何を言っても、一方的に別れを切り出すなんてあり得ない。
(まさか、俺のために別れを切り出したのか?)
昔から、美咲は優しい子だった。自分より相手を想い、損をする。頭の中に浮かんだ答えが正しいような気がしてならない。
その答えはすぐ、最悪の形で廉へともたらされた。
「美咲さんには、詳しい事情を伝えなかった。ただ、廉の未来を潰し兼ねない存在であると伝え、廉を愛しているなら、別れて欲しいと言った。美咲さんは、私が廉の恋人だと勘違いさせられたのよ」
「はっ? 意味がわからない。美咲は、静香の存在すら知らなかったはずだ。静香が俺の恋人だと勘違いするはずがない」
「違うの。どうしても、廉と美咲さんを別れさせたかった。だから、廉が愛用している香水を利用したの。あの日、廉の香水を纏わせた女から別れてと言われれば、勘違いするわ。だから、廉の元から美咲さんは去ったでしょ」
「嘘だろ……」
「計画は上手くいったのよ。廉が自棄を起こした時は頭を抱えたけど、貴方は美咲さんへの思いだけで成り上がった。全てが上手く行ったと思ったのに、こんな事になるなんて」
三年前の別れの真実は、余りにも重かった。
美咲の自由を奪い、囲った。
今も静香との恋人関係が続いていると、美咲が勘違いしているのなら、今までの行動は最悪だ。
恋人と一緒にバイト先へと現れ、恋人がいながら美咲に手を出したクズ男。そう思われていても仕方がない。
『支配して、思い通りに扱って満足!! 廉にとって、私なんか性のはけ口にするには丁度いいんでしょうね』
『廉は、はじめっから私のことなんて、愛してなかった。廉が私と付き合ってくれたのは、ただの同情からよ』
美咲に言われた言葉の裏に隠された真実が、廉に重くのしかかる。
それでも愛してくれていた。
ひどい仕打ちを受けながらも、ずっと好きでいてくれた。
今でも美咲は、静香との仲を誤解しているのだろう。だから、逃げ出した。
そう誤解させて来たのは、他ならぬ俺自身。今までの行動を後悔しても、もう遅い。
罪の重さが廉の臓腑を重くさせる。
それでも、美咲をあきらめられない俺は、どうしようもないクズだ。
「美咲と……、話をつけてくる!」
急く心を抑え、早足で扉へと向かった廉を静香が呼び止める。
「待ちなさい、私も行くわ。当時、あなた達に話し合う機会さえ与えなかった私が全て悪いの。今さら謝っても許されるものではないと分かっている。でも、私が真実を美咲さんに話すことで、誤解が解けるかもしれない。だから連れて行って」
「いや、しかし……」
「廉、聞いて! 誤解が解けた後、私を解雇すればいい。それだけのことを、あなた達にして来た。覚悟は、出来ているわ」
すがりつく静香を見下ろし、心が揺れる。
美咲の元へと静香を連れていくリスクもわかっている。静香を連れて行けば、火に油を注ぐ可能性は高い。しかし、縋りつく静香を見捨てられない自分が心の中にいる。
静香に弁明する機会を与えるべきではないかと、訴える心の声に、彼女の手を振り払うことが出来ない。
「静香を解雇するかどうかは、待ってくれ。静香が美咲にしたことは許せない。美咲と話し合っていれば、違う未来があったかと思うと悔しいし、怒りもある。ただ、静香がいなければ、俺は腐ったまま、今の地位を手に入れることも出来なかっただろう。静香には、感謝もしている。――だから、勝手にすればいい。静香の好きにしろ」
「廉、ありがとう。私をどうするかは、廉と美咲さんの意思に従うわ」
静香を完全には見捨てられない俺を美咲はなじるだろう。今度こそ、愛想を尽かされる。
散々、苦しめて来た。
美咲が望むなら俺の手から自由にするべきなのだ。しかし、美咲と離れる未来を考えるだけで、絶望で目の前が真っ暗になる。
もう、手遅れだとわかっている。
でも、欲深い俺は願わずにいられない。
美咲の愛がまだ俺に有ればと……
コメント
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うわ…三年前の真実、重すぎるよ…(涙) 美咲ちゃん、ずっと静香さんと廉が恋人だと思ってたんだ…それで一人で傷ついて、別れを選んだんだね。静香さんの“勘違いさせた”って言葉が胸に刺さる。でも廉が「それでも美咲を諦められない」って言うとこ、すごく好き。真実を知ってもなお執着するその闇、ちゃんと愛だと思ったよ。湊さんの描く重さ、いつも心に響く…🥀