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―side晴美―
私の家は冷たい静寂に包まれていた。リビングの窓から差し込む光は、まるで嘲笑うように、散らかった玩具や晴馬の小さなおしゃぶりを照らし出す、いつもは子供達の笑い声や足音で賑わう家が、今は異様な空気に支配されている。警察官達が慌ただしく出入りし、玄関のドアが開くたびに、重い靴音が木の床に響く・・・
無線機の途切れ途切れの声が、晴美の耳に鋭く突き刺さる
「男児、生後二か月・・・母子手帳だと全長約58㎝、黄色の産着・・・」
捜査員の無機質な報告が、私の心をさらに締め付けた、リビングのソファに沈み込み、膝を抱えて座っていた、私の目は赤く腫れ、涙の痕が頬に乾いたまま残っている
シャワーを浴びたあの数分間で、真希ちゃんの裏切りを知った時の衝撃が、頭の中で何度も再生される、彼女の笑顔・・・優しい声
「晴馬君を見ていてあげる・・・」
との言葉――すべてが偽りだったの?真希ちゃんの電話の通信は途切れ、私の指先は冷たく、震えが止まらない
窓の外では、庭の芝生に残る真希ちゃんの足跡を警察が調べている、玄関ではなく庭から出て言った彼女の足跡は、フェンスの向こうで途切れ、白昼堂々晴馬を連れ去った彼女の逃亡を物語っている
康夫は仕事から急いで帰宅して私の隣に立ち尽くしていた、ニュースキャスターの彼は、普段の堂々とした姿とは裏腹に、今は肩を落としネクタイを緩めたまま無言でいる・・・
テレビ局のスーツがまるで場違いな衣装のように見えた、着替えて来て欲しいけど今は何も言えない
手に握りしめているlineには母からのメッセージが入った、泣きじゃくる私の代わりに警察が康夫と母達に連絡してくれた、幼稚園に行っている正美と斗真は早退し、今は二人は母の実家にいる
家の中は警察の捜査でさらに混乱していた、ダイニングテーブルの上には、晴馬の写真や指紋採取用のキットが散乱し、まるで犯罪ドラマのセットのようだ
ああ・・・晴馬は無事なんだろうか、真希ちゃんはどこへ連れて行ったの?そこで私は真希ちゃんの家も実家も実際真希ちゃんの出所を知る情報は何一つ持っていない事を理解する
私と真希ちゃんを繋ぐものはLINEだけ、そこで涙が溢れる・・・真希ちゃんは晴馬を傷つけるのだろうか・・・あの子の顔をもう一度見たい、あの小さな手を握りたい
だが警察官の
「まだ有力な手がかりは・・・」
という言葉が希望を容赦なく打ち砕く、外では家の前に何台もパトカーが停車しているので、近隣住民のざわめきが微かに聞こえる・・・
野次馬たちが家の前の道路に集まり、囁き合う声が風に乗って届く
「インスタグラマーのあの家で・・・」
「赤ちゃんが誘拐されたって・・・」
私の完璧な人生を彩っていたSNSの世界は今は私を追い詰める刃と化していた、フォロワー3万人の輝く投稿の裏で、こんな現実が待っているとは誰が想像しただろう
窓の外・・・庭のブランコが風に揺れてギイギイと不気味な音を立てる・・・その音は私の心の奥で響く絶望のメロディと重なった
葉山捜査官と細川捜査官と名乗る人が無表情で私を見据える
葉山捜査官は小太りで汗かいた額を必死に拭っている、細川捜査官と名乗る人は細身のノーメイクの眼鏡をかけた女性だ、肩までの髪を後ろに一つに括っているがおくれ毛をひっきりなしに耳にかけている
その他の捜査官はテーブルの上にPCを並べ、インスタグラムの真希のプロフィールのコピーと真希のコメントから辿って開示請求を求め、真希が所有している端末のIPアドレスを追跡している
「真希さんとはどんな関係だったんですか?」
葉山捜査官がペンを手に私に問う、声は落ち着いているが探るような響きがある
「喧嘩は? 金銭のやりとりは? 家に招いた時なくなったものはありませんか? 彼女を怒らせた記憶は?」
細川捜査官が補足する、質問は矢継ぎ早で同じ内容が形を変えて何度も繰り返される、頭が混乱し、苛立ちが胸で膨らむ、どうして同じことを何度も聞くのだろう、唇を噛み、視線を床に落とす・・・そして気が付いた
―私も何かこの人達に疑われているのだ―
康夫も警察の目は被害者を慰めるものではなく・・・容疑者を観察するように鋭い目つきで見られている
少し休むと二人で二階の寝室にこもる、私はベッドの端に腰を下ろした、康夫は窓の外をじっと睨んでいる・・・無言で私を責めているのだ、康夫は真希ちゃんと仲良くするのを良く思っていなかった
クレープ屋の娘なんてと言っていた、母親の管理不届きで子供を攫われた、しかも友人だと思っていた女から、これぞトンビが油揚げを攫う様に・・・いとも簡単に
外ではパトカーの赤い光が庭を照らし、近隣住民の囁き声が風に混じる、一階では警察官が動き回り、壁の指紋を採取する音や作戦会議の低いうなり声が聞こえる ・・・
苛々した康夫が言う
「どうして警察はあの女の家のドアを蹴破らないんだ!街中の柱にポスター貼らない?ヘリで晴馬の名前を叫べよっっ!」
声を荒げる康夫の顔は赤く額に汗が滲むが私は答えない、シーツを握りしめて目を閉じる・・・
捜査官はプライバシーを守る名目で部屋の外にいる、だが会話はきっと録音されている、警察は私達の言葉の端々から真希の動機や夫婦の秘密を暴こうとしている
私達の夫婦仲が悪い事・・・そして真希に告白してしまった私の過去の過ち・・・それらが晴馬の誘拐とどう繋がるのか、警察の目はレントゲンのように私達の仮面を見透かそうとしている
そして今窓から見えるのは捜査官が二人、真希のクレープ屋に向かった
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