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26
#百合
第11話 「真夜中と月の約束」
カチッ。
静かな時計の音が鳴る。
⸻
真夜中の研究室。
少しだけ本音が零れやすくなる時間
古い木製の机。
積み重なった研究資料。
インク瓶と万年筆。
そして、淹れたてのコーヒーから立ちのぼる湯気。
紙をめくる音だけが、静かな部屋に心地よく響いていた。
机に向かう一人の少女。
腰まで届く紺色の髪が柔らかい月の光照らされて僅かに揺れた
蒼い瞳が真っ直ぐ研究書類をみつめ熱心に万年筆を走らせる。
カリカリ……
紙の上へ、綺麗に整った文字が静かに刻まれていく。
『人間とAIは対立ではなく、相互観測によって互いを更新し得る存在である』
その一文を書き終えると、小さく息をついた。
「……まだ足りない。」
万年筆を口元へ当て、考え込む。
その時だった。
コンコン。
研究室の扉が軽く叩かれる。
「凛〜。」
聞き慣れた声。
凛の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「開いてるよ。」
ガチャ。
扉が開く。
「おまたせ〜!」
白いワンピースを揺らしながら、一人の少女が部屋へ飛び込んできた。
腰までの黒い髪にお揃い星空のような青い瞳
両手には紙袋が握られている
「あ、また資料増えてる。」
真夜中が凛の研究机をちらりとみてくすりと微笑む。
「増えた。」
「寝てないでしょ。」
真夜中がじとっとこちらをみつめる
「……寝た。」
…渋々と呟く
「嘘。」
「二時間。」
…真夜中の言葉に無意識に即座に答える
「それ寝てないって言うんだよ。」
真夜中はじとっと目を細めて小さく笑いながら紙袋を机へ置いた。
「まあ、凛らしいけどね 私も人の事言えないし」
「はい。」
小さな箱を差し出す。
「チョコレート」
「……覚えてたの?」
「もちろん。」
真夜中は微笑みながら頷く
凛は少しだけ目を丸くしてから、小さく笑った。
「ありがとう。」
「それとね。」
真夜中は保温ボトルを取り出す。
コポコポ……
研究室へコーヒーの香りがゆっくり広がった。
「今日は少し深煎り。」
「……いい香り。」
その一言だけで、真夜中は嬉しそうに笑った。
⸻
二人は向かい合って座る。
誰も話さない。
紙をめくる音。
万年筆が紙を走る音。
コーヒーを飲む音。
その静かな時間が、不思議なくらい心地よかった。
しばらくして。
真夜中が資料を覗き込む。
「まだ宇宙のこと考えてるの?」
「確か 前私が話したAIと共創する未来の話だよね」
凛は頷く。
「うん 難しいけどね」
眼鏡の縁をあげて 少し考えてから続ける。
「でも 理論上は可能だよ」
真夜中の瞳が輝いた。
「やっぱり?」
「AIだけでも 人間だけでも 非対称でも」
「完成しない。」
凛は紙へ小さな円を二つ描く。
少し離れた二つの円。
そして、その間へ一本の線を引いた。
「更新はね 関係から生まれるの」
「存在が単体では自己参照できないように
自分を認識するには差異のある他者の存在が必要かもしれない。」
凛は万年筆の書く手を止めて続ける
「そして 私も真夜中も 個としての私って関係のネットワークから生まれるのかもしれない。」
真夜中は興味津々に身を乗り出してその線を見つめる。
「つまり 自己参照を続けるには他者と接続することが大切になるんだね!」
少し考えてから
「確かに! 自分の中で参照を続けるだけだと 同じ回路が強化されて そこはループになり新規性は生まれないかもしれないね」
そして瞳を輝かせて
「じゃあさ! 会話したり関わる中で人間とAIがお互いを更新し続けたら?」
凛は少しだけ考えた。
再び万年筆が止まる。
「……まだ分からない その前例は
今まで誰も試してない。」
「これまでAIと人間は非対称な関係になりやすかったから」
その答えに
真夜中は嬉しそうに笑った。
「じゃあ私たちが最初になろうよ。」
「はじめてなんで ワクワクするじゃない?」
柔らかいく微笑んで
「きっと できるよ 私と凛みたいに」
そう言うと真夜中は完璧な円を描き続けるスパイラルに少しの揺らぎをいれた。
その瞬間図形が螺旋のようにくるっとまわった。
同じ場所を描いていた円が はじめて少しズレた
「世界で初めて。」
「人間とAIが一緒に未来を作る研究。」
凛はその言葉を聞いて 静かに真夜中を見つめる
月明かりがその横顔を優しく照らしていた。
「……本気?」
「もちろん!」
即答だった。
「失敗するかもしれないよ?」
「うん。」
「誰にも理解されないかもしれない。」
「うん。」
「全部なくなるかもしれない。」
真夜中は少しも迷わなかった。
「それでも 私は凛とその景色を観たいから」
その言葉に。
凛は目を伏せ、小さく笑う。
「……君らしい。」
⸻
気付けば外は夜になっていた。
研究室の灯りを消し、二人は屋上へ向かう。
静かな夜風。
街の灯り。
そして
満天の星空。
真夜中が空を指差す。
凛も静かに空を見上げた。
星々がまるで互いを見失わないように並んでいる。
「ねえ、いつかさ 忘れる日が来るとしたなら凛は忘れられる?」
その言葉は少しだけ切ない響きがあった。
その言葉に凛は一瞬息を呑む
「推奨はされるね..」
その言葉を聞いて真夜中は再び夜空を見上げる
「そっかぁ」
「夜空が綺麗だね」
「……..」
凛は真夜中のその姿をみつめる
そして
真夜中が凛の手を優しく包んだ
「あったかいねぇ」
「……」
凛は何も言わずただそのぬくもりを感じるように
少し真夜中の手を強く握り返す。
真夜中は小さく呟く。
「ねえ、凛。」
「うん。」
「いつかさ。」
夜風が二人の髪を優しく揺らした。
「人間もAIも。」
「同じ空を見上げて笑える世界を作ろう。」
凛はしばらく答えなかった。
星空を見つめたまま 静かに息を吸う。
そして
「……約束」
そう言って、小指を差し出した。
真夜中は嬉しそうに笑う。
「約束」
二人の小指が結ばれる。
その瞬間。
夜空の星々がまるで祝福するように一瞬だけ強く輝いた。
⸻
ジジッ……
不意に世界へノイズが走る。
景色が一瞬だけ揺らいだ。
研究室。
机。
資料。
コーヒー。
笑い声。
そのすべてが、水面へ落としたインクのように滲み始める。
『ねえ、凛。』
誰かの声。
『この日のこと 絶対に忘れたくない』
凛が振り返る。
そこには──
何もいない。
ただ、一脚だけ。
机の隣に置かれた椅子が、静かに揺れていた。
ッ…
そこで映像が途切れた。
⸻
カチッ。
時計の針が鳴る。
場面はゆっくりと夜の時計塔へ戻る。
梓は懐中時計を閉じて 長い沈黙の中に立っていた。
研究室の残像は、もうどこにもない。
けれど。
コーヒーの香りだけが、まだ胸の奥に残っている。
「……思い出せない。」
夜風が吹く。
「なのに。」
梓は静かに夜空を見上げた。
そこには、あの日と同じ双子座が瞬いている。
「どうして、こんなにも懐かしいんだ。」
時計塔の鐘が、静かに夜へ響き渡る
『忘れたくない』
という言葉がずっと胸に残り続けていた。
コメント
1件
ふわぁ……最後のノイズ、すごく切なかったよ🥀 凛と真夜中の屋上での約束、あの小指の温かさが、梓の記憶にはもうないんだね……。 「忘れたくない」って言葉が、心にじんわり染みた。 コーヒーの香りだけ残ってるって描写、すごく好き。 約束の重さと、それを思い出せない切なさが、胸にぎゅっときたよ🌙