テラーノベル
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王宮に、緊張の風が吹いていた。 レオが賊の潜伏情報を受けて、少数の兵を率いて出発したのは、昨日の朝。 予定では、夕刻には戻るはずだった。
でも――夜が明けても、彼の姿はなかった。
「まだ戻っていないのですか?」
私は、侍女からの報告を聞いて、胸がざわついた。
「はい。連絡も途絶えています。 王様は、追加の部隊を編成中ですが…」
私は、居ても立ってもいられなかった。 レオの笑顔、果実の木の下での言葉、夕焼けのようなまなざし―― それが、胸の奥で叫んでいた。
「私が行きます。 レオは、私の空の一部です。 風が止まりかけているなら、私が吹かせます」
セレナは、静かに頷いた。
「あなたが行くなら、信頼できる仲間を連れて行きなさい」
その言葉に、私はギルドへ向かった。
「ミラさん、協力をお願いできますか? 王子様が戻ってこないんです。 賊の潜伏地へ向かいたいの」
ミラは、すぐに仲間を集めてくれた。
「アイリス、あなたの風は、私たちにも届いてる。 だから、今度は私たちが吹かせる番」
集まったのは、薬草師の少年、地図職人の老女、剣を携えた若者―― 王宮の兵ではない、でも“信頼”で結ばれた風の仲間たち。
目的地は、城下町の外れにある廃村。 かつて交易路だったが、今は誰も寄りつかない場所。
「レオがそこへ向かったのなら、何かがあるはずです」
私は、地図を見ながら言った。
道中、風は静かだった。 でも、空気は重く、木々のざわめきがどこか不穏だった。
廃村に着いたとき、私は息を呑んだ。
建物は崩れかけ、空気は冷たく、そして―― 地面には、王宮の兵の紋章が落ちていた。
「ここで、何かが起きた…」
私は、剣を持つ若者に目配せした。
「周囲を警戒しながら進みましょう。 レオがどこかにいるなら、必ず見つけます」
廃屋の奥、私は小さな物音を聞いた。 扉を開けると、そこには―― 傷を負い、意識を失いかけたレオがいた。
「レオ!」
私は駆け寄り、彼の手を握った。
「…アイリス…来たのか…」
彼は、かすれた声で言った。
「もちろんです。 あなたが戻らないなら、私が迎えに行きます。 だって、あなたは私の空の一部ですから」
レオは、微笑んだ。
「君が来るって…信じてた」
その言葉に、私は涙がこぼれそうになるのをこらえた。
「もう大丈夫です。 風は、あなたのもとに届きました」
冒険者たちが周囲を警戒しながら、レオを支えた。 賊の姿はすでになく、痕跡だけが残っていた。
でも――風は、確かに吹いた。
王宮に戻ったレオは、静かだった。 廃村での出来事――それは、敵の策略だった。 偽の情報で彼をおびき出し、兵士たちを罠にかけた。
「…僕が、判断を誤った」
レオは、玉座の間の隅で、拳を握りしめていた。
「彼らは、僕を守るために命を落とした。 それなのに、僕は…何もできなかった」
私は、そっと彼の隣に座った。 風は止まり、空気は重かった。
「レオ、あなたのせいじゃありません。 でも、あなたがその痛みを抱えているなら――私は、隣にいます」
レオは、目を伏せたまま言った。
「君が来てくれたとき、僕は…救われた。 でも、君までこの痛みに巻き込みたくない」
「私は、巻き込まれたくて来たんです。 あなたの空が曇ったなら、私は風になってその雲を退ける。 それが、あなたは私を笑顔にしてあげたいから」
沈黙が流れた。 でも、その沈黙は冷たくなかった。
レオは、ゆっくりと顔を上げた。 その瞳には、痛みと、感謝と、言葉にならない想いが宿っていた。
「アイリス…君がいてくれて、本当に良かった」
私は、何も言わずに頷いた。 そして、そっと彼の手に触れた。
その瞬間、風がふわりと揺れた気がした。
レオは、私の頬に手を添えた。 そして、自然と――唇が重なった。
それは、静かな夜の中で、風が止まった一瞬。 でも、心は確かに動いていた。
痛みの中で生まれた、ひとつの灯り。 それは、言葉よりも深く、風よりも優しく、 二人の空を、そっと照らしていた。
その夜、王宮の空気は静かだった。 でも、風は確かに吹いていた。 名前で呼び合う絆が、心をつなぎ、 そしてその心が、静かに重なった。
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